魔王と氷漬けと三回目
「きゃ、きゃあああああああああっ!」
突然のギャレマスの行動に、スウィッシュが悲鳴を上げる。
自分がシュータ目がけて放った究極氷結魔術の夥しい冷気の前に身を投げ出し、彼の代わりにその直撃を受けたギャレマスが、全身がカチコチに凍りついた状態で絨毯張りの床の上に転がったからだ。
「な、何をなさるんですか、陛下ぁっ?」
思わず、驚愕と困惑が入り混じった声で問い質すスウィッシュ。
「う……うぅ……」
それに対して、ギャレマスは身体を蝕む凄まじい冷気に凍え、声を震わせながら呻くだけだった。
さしもの“地上最強の生物”雷王ギャレマスも、氷牙将スウィッシュ最大の氷系魔術の直撃は身に堪えたようで、彼女に言葉を返す余裕は無い様子だ。
そんな彼の様子に、スウィッシュは狼狽の表情を浮かべる。
「ど……どうしよう……。このままじゃ、陛下の身体が完全に凍りついちゃう……」
「あ、いや……し、心配には及ばぬぞ、スウィッシュよ……」
オロオロと狼狽えるスウィッシュに、ギャレマスは懸命に声を張りながら声をかけた。
「さ……最近、何度も冷気に当てられ続けておるから、逆に慣れてきたというか何というか……」
「あ……」
ギャレマスの言葉に、目を見開いて息を呑むスウィッシュ。
「あ~、そう言えばそうですよね!」
そう言いながら、ポンと手を叩いたのは、サリアだった。
「前にもスーちゃんがお父様を氷漬けにしちゃった事があったよね? 確か……ファミちゃんとケンカした時! じゃあ、これで二回目だね」
「……三回目です」
サリアの言葉を、言い辛そうに訂正するスウィッシュ。
ギャレマスに究極氷結魔術を誤射してしまったのは、ファミィの時だけではない。それよりも以前、王の居室に潜入した“伝説の四勇士”のひとりである聖女エラルティスと鉢合わせして、戦闘になった時もだった。
つまり――今回で三回目。
「い……いつもいつも、本当に申し訳ございません、陛下……」
その事に気付いたスウィッシュは、塩を振りかけられたナメクジのような顔になって、ギャレマスに向けて深々と頭を下げる。
そして、キッと顔を上げると、椅子に深々と腰かけ、我関せずといった様子で骨付き肉に齧り付いているシュータを睨みつけ、険しい声で叫んだ。
「ですが――何でここに、我ら魔族の宿敵である勇者シュータが居るんですかッ? しかも、我が物顔で陛下と同じテーブルでご飯を食べてるなんて……!」
「いや、だから、それを説明しようとしたのに、お主が聞く耳を持たずに一方的に攻撃し――べぶしっ!」
「へ、陛下っ、大丈夫ですかっ?」
言葉の途中で大きなくしゃみをしたギャレマスの元に駆け寄ったスウィッシュは、慌てて声をかける。
だが、その顔は真っ青……いや、それを越えて真っ白だった。
「ど……どうしよう。究極氷結魔術の冷気で、すっかりお身体が冷えてしまったのかも……。早く何かで身体を温めないと――」
「やれやれ、世話が焼けるのう……」
冷たくなりつつあるギャレマスの身体を前に、オロオロと狼狽するばかりのスウィッシュを見かねた様子で、「よっこいしょういち……」と言いながら立ち上がったのは、ヴァートスだった。
老エルフは、バンザイした格好のまま凍りつき、絨毯ばりの床の上に転がっているギャレマスの傍らにしゃがみ込むと、
「ほれほれ、すーぐ暖かくなるからの。ちいと辛抱するんじゃぞ、ギャレの字」
と声をかけながら、彼の上に手を翳す。
そして、軽く目を閉じで掌に気力を集中させると、低い声で聖句を唱え始めた。
『――応え給え 我が求めに 火の精霊 この掌に宿りて 舞い踊るべし』
すると、彼の聖句に呼応するようにその掌から真っ赤な炎が噴き出し、彼の手全体に燃え広がる。
だが、ヴァートスは熱がりもせずに、炎に包まれた掌をギャレマスの凍りついた身体に翳した。
ヴァートスの掌の炎に炙られたギャレマスの身体が、白い湯気を立てながらゆっくりと解凍されていく……。
「ああ、良かった……」
だんだんと血色が良くなっていくギャレマスの顔を見つめながら、スウィッシュが安堵の声を漏らした。
その時、彼女に向けて、からかうような軽い調子の声が投げかけられる。
「おいおい、勘弁してくれよ。万が一、そこのクソ魔王が風邪でもひいてくたばっちまったら、困るのはお前らだけじゃなくて、俺もなんだからよ」
「……勇者シュータ!」
その軽薄な声を聞いたスウィッシュが、眉を吊り上げて声の主を睨みつけた。
彼女の剣呑な視線に、シュータも眉を顰める。
「何だよ、お前? 喧嘩を売るつもりか、この勇者シュータ様にさ?」
「……」
「あー、ダメだよ、ふたりとも!」
剣呑な雰囲気になるシュータとスウィッシュの間に割って入ったのは、サリアだった。
彼女は苦笑いを浮かべながら、スウィッシュに向かって宥めるように言う。
「スーちゃん、ちょっと落ち着こ? さっきお父様もおっしゃっていたでしょ? 『これには事情が――』って。まずは、その“事情”っていうのを聞いてみようよ、ねっ?」
「は……はぁ、分かりました。サリア様がそうおっしゃるなら……」
ぎこちなく頷くスウィッシュに微笑みかけながら頷いたサリアは、今度は憮然とした表情を浮かべて深々と椅子に腰かけているシュータの方を見て、諭すように言った。
「あなたもです、勇者シュータ! さっきみたいに、挑発するような事は言っちゃダメですよ!」
「……るせえよ」
意外な事に、叱りつけるようなサリアの言葉に対し、シュータは憮然とした表情を浮かべながら、吐き捨てるようにぼそりと呟いただけだった。
(……? どうしたのだ、シュータの奴……。余が同じような事を言おうものなら、即座に鋼鉄のハリセンで余の頭を張り飛ばすか、“ちーと能力”とやらで余の身体を押し潰すか吹き飛ばすかするというのに……)
ギャレマスは、サリアに対するシュータの反応に小首を傾げたが、すぐに気を取り直す。
彼は、ヴァートスに凍りついた身体を炙られながら、コホンと咳払いをした。
そして、スウィッシュとサリアの顔を順番に見てから、ゆっくりと口を開く。
「――では、お主らにも話すとしよう。なぜここにシュータが居るのか……その事情と理由について、な」




