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陰密将と勇者と影の薄さ

 微かな風切り音と共に、湯舟の上を真っ直ぐ横切る様に飛んでいく飛刀。

 飛刀は、湯舟に浸かる勇者シュータの眉間目がけて一直線に進んでいく。


「――!」


 ハッとして振り返ったギャレマスの視界に、湯の中から飛び出し、飛刀を投擲した直後のアルトゥーの姿が映った。


「――あ、アル――!」


 ばっしゃああああああん!


「――ッ!」


 驚きで目を見開き、思わず声を上げかけたギャレマスだったが、背後で起こった大きな水音に慌てて振り返る。


「うわっぷ!」


 一瞬遅れて、噴き上がった温泉の水飛沫……もとい、お湯飛沫がギャレマスの頭上へと降りかかった。


「……しゅ、シュータは――?」


 顔面がびしょ濡れになったギャレマスだったが、彼は覆面を伝う雫を拭う事も忘れて、飛刀の直撃を受けたはずのシュータの姿を探す為に目を凝らす。

 ……だが、濛々と沸き上がる湯気とお湯飛沫のせいで、その向こうに居るはずのシュータの姿は見えなかった。

 それでも、ギャレマスは飛刀の命中を確信する。

 何故なら、アルトゥーの放つ飛刀は百発百中なのだ。

 その生来の影の薄さで完全に気配を殺し、敵の知覚の外から放つ飛刀は回避不可能。敵が飛刀の存在に気付くのは、その刃が身体に深々と突き刺さった刹那。

 そして、すぐさま飛刀は起爆し、標的は自らの身に何が起こったか確かめる間もなく爆散する――それが、アルトゥーの得意とする暗殺術だったのだ。

 今の一撃は、仕掛けるタイミングが完璧だった。何せ、予めアルトゥーの存在を知っていたはずのギャレマス自身ですら、完全に虚を衝かれたのだ。

 況や、彼の存在を知るはずも無かったシュータをば。

 その事に思い到ったギャレマスの頬が、だらしなく緩んだ。


「や……()ったか……?」


 懐疑と歓喜と安堵と解放感で、ドキドキと胸を高鳴らせるギャレマス。

 地上最強の存在であるはずの自分が、一見パッとしない凡庸な風貌の男を前に全く手も足も出せず、不様に大理石の床に這いつくばったあの日。

 その日以来、圧倒的な強さを持つ勇者の影に怯え、その存在に恐々とする抑圧と屈辱の日々――。

 そんな鬱屈とした境遇からようやく解放される……。

 彼は、今まで暗闇の中に沈んでいた自分の前途が、真っ白な光で煌々と照らし出されるのを感じた。

 ――と、その時、


「――おい、何をにやけてんだよ、魔王」

「……ッ!」


 立ち込める湯気の向こうから、さんざん聞き慣れた、それでいて二度と聞きたくなかった声が上がる。その声を聞いた瞬間、それまで虹色に輝いていたギャレマスの胸中は、たちまち闇よりも濃い絶望の黒で塗り尽くされた。

 そんな彼に、せせら笑う様な響きを帯びた“不吉”極まりない低い声が、重ねて浴びせかけられる。


「――さっき、てめえは『やったか?』って叫んでたよな。……教えてやるよ、クソ魔王。それは、“フラグ”って言うんだぜ」

「ヒッ!」


 巻き起こった白い湯気が晴れた。

 現れたのは、だらりと下げた右手の先に仄かに紅く光る魔法陣を展開し、どっしりとした風情で立っているシュータの姿。

 彼は飛んできた飛刀を、“反重力(アン・グラヴィ)”で浮かび上げた湯舟のお湯もろとも天井近くまで吹き飛ばすと同時に、その湯でびしょびしょに湿らせて、飛刀の起爆機構を即座に無効化したのだ。

 その為、ギャレマスの前に立つシュータの身体には、傷一つ付いていない。


「くくく! 残念だったなぁ、クソ魔王! あの程度の不意打ちで殺られる勇者シュータ様じゃねえんだよ!」


 顔を皮肉気に歪め、勝ち誇るシュータ。

 ――だが、ギャレマスの目には、その憎たらしい表情は入っていなかった。

 今、ギャレマスの視界に入っているのは、大股を広げて立っているシュータの、ちょうど水面から出た()()()()()()……。


「……って、どこ見てやがるんだゴラァッ!」


 魔王の視線がどこにフォーカスされているのかに気付いたシュータは、慌てて股間を手で隠しながら怒声を上げる。


「あ……す、すまぬ。つ、つい目線の高さにソレがあったので、つい……」

「ついじゃねえよついじゃ! ……っつーか、いつまでそのヘンテコなマスクを被ってやがるんだ! 正体なんかとっくの昔にバレてるんだから、さっさと脱げやこのクソボケド変態魔王が!」

「アッハイ」


 勇者の言葉に気圧され、素直に牛獣人のマスクを脱ぐギャレマス。

 と、その時、シュータが湯舟の隅をギロリと睨みつけ、鋭く叫んだ。


「――おっと! 動くなよ、そこの男! ()()下手な真似をしようとしたら、容赦なく空中浮遊させて、女湯まで吹き飛ばすぞ!」

「――ッ!」


 隠し持っていた飛刀を握り、密かに第二撃を放とうとしていたアルトゥーだったが、その寸前でシュータに声をかけられ、ピタリと動きを止める。

 彼は、珍しく驚きの表情を浮かべ、シュータの顔を凝視した。


「な、何故だ……? 何故、先ほどの己の攻撃を防げた? それに、最大限に気配を消し、誰にも知覚出来ないはずの己の存在に、貴様は何故気付けたのだ……?」

「はぁ?」


 アルトゥーの問いかけに、シュータは眉をひそめて首を傾げながら答える。


「あんなんバレバレだっつーの。つうかよぉ、『最大限に気配を消し』って、あの程度じゃあ、向こう(日本)で筋金入りの陰キャをやってた俺に比べりゃまだまだよ」

「ま……まだまだ……だと?」


 シュータの発言に愕然とするアルトゥー。

 無理もない。生まれてから数十年、事ある毎に『影が薄い』と言われ続け、普通に立っていても誰にも気付かれないような経験を幾度も繰り返し、逆にその特徴を活かして、稀代のスパイとして手柄を上げていく事で、ついには“陰密将”という四天王の一角にまでのし上がってきたのだ。

 決して、望んで得たものではなかったが、それなりに重宝してきた『気配を消す』という自分の個性(アイデンティティ)を『まだまだ』と言われる経験など、生まれて初めての事だった。


「き……貴様は、己よりも気配を消すのが上手いというのか……?」

「まあな」


 おずおずと口にしたアルトゥーの質問に、あっさりと頷くシュータ。


「学校に居ても、あまりの存在感の薄さに一度たりとも授業で指された事が無く、修学旅行の時にターミナル駅の中で迷ってクラスに合流できなかったのに、クラスメイトはもちろん、引率の先生にすらいない事に気付かれず、そのまま置き去りにされた経験を持つ俺に比べりゃ、テメエの気配はまだまだハッキリしすぎてるんだわ」

「な……んだと……?」

「まあ、他の奴なら通用するだろうが、“東中のザ・インジャ(隠者)”の二つ名を持つこの俺には限っては通用しねえよ。“ステータス確認(スニーク・ア・ピーク)”なんてチートスキルを使うまでもなく、な」


 そう言ってニシシと不敵に笑うシュータ。

 一方、


「くっ……!」


 シュータの言葉に、アルトゥーはガックリと肩を落とし、湯舟の底に両手をついた。


「ま……負けた! この“陰密将”アルトゥーともあろう者が……まだまだ修行が足りん!」

「おう、まだまだだね。せいぜい精進するこったな、キヒヒ」


 打ちひしがれるアルトゥーと、勝ち誇るシュータ。

 その様子を傍で見ているギャレマスの胸には、


(というか……影の薄さは、修行や精進でどうにかできるものなのだろうか……?)


 という疑問が、グルグルと渦を巻いていたのだった……。

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