魔王と勇者と返事
「申し訳ございませんじゃねえんだよ! このヤロー!」
立ち込める湯気に遮られて良く見えないが、湯屋に響いた甲高い怒鳴り声は確かに聞き覚えがあるものだった。
(ま……間違いないっ……! あ、あの声は、勇者シュータのものだ……)
ギャレマスはそう確信し、熱い湯の中に浸かっているのにもかかわらず、まるで氷水の中にいるかのような寒気を感じながら、息を潜めて湯気の向こうで交わされている会話に聞き耳を立てる。
「四の五の言わず、サッサと入らせろよ、寒ぃだろうが!」
「そ……そうは申されましても、貸し切りのお客様のお赦しを頂かなければ……って、もう脱いでらっしゃるのですかッ?」
押し止めるトーチャの声に、驚きと呆れの声色が混じる。
その声に、全く悪びれる様子の無いシュータの声が応えた。
「おう、悪いかよ?」
「い、いえ……ですから、まだドジィンド様のご了承を頂けておりませんから、シュータ様が入れるかどうかは――」
「ご了承なんか要らねえっつってんだろ、このタコが!」
トーチャの言葉を、苛立ちを露わにしたシュータの怒鳴り声が遮った。
「俺は、“伝説の四勇士”筆頭にして人間族たちの希望の星、勇者シュータ・ナカムラ様だぞ! そんな英雄と一緒の風呂に入れるなんて、光栄とは思っても迷惑だなんて思う奴がいる訳ねえだろうが!」
「で……ですが……」
「あー、もう、まだるっこしいな! もういい、俺が直接訊く! そこどけよ。――反重力!」
「うひゃあっ!」
どうやら、立ち塞がるトーチャの身体に反重力をかけて、強引に押し退けたらしい。
トーチャの肥えた体が脱衣所のフローリングに叩きつけられたらしい鈍い衝撃音と、悶絶する声が湯屋の中にまで届いた。
それに続いて、シュータの険のある声が響き渡った。
「おい、中にいる奴! 話の内容は分かったかッ?」
「ッ!」
シュータの声に、ギャレマスは身体をビクリと震わせるが、言葉を返そうとはしなかった。
再び、シュータが声をかける。……その声色は、先ほどよりも不機嫌そうに聞こえた。
「……おい! 返事をしろよ! 聞こえてるんだろ、ゴラ!」
「……」
「返事しなければ、ここに置いてあるテメエの服を今すぐに焼き尽くしちまうぞオラぁッ!」
「ま、ままま待て! それは困るッ!」
堪らずギャレマスは声を上げた。一張羅の着替えを燃やされては、一生この湯屋から出られない……。
「返事が出来るんだったら、さっさとしやがれってんだよ、このボケ! 十分の九殺しにすんぞゴラ!」
「ハイッ! スミマセンでしたッ!」
シュータの恫喝に、脊髄反射で謝罪するギャレマス。
……と、彼の声を聴いたシュータの声の調子が変わる。
「……ん? 何か……どこかで聞いた事のあるような声だな? ……お前、俺の知り合いか?」
「イ、イエイエ! ゼ、全然違イマスヨ? ワタシ、タダノ通リスガリノシガナイミノタウロスデース、ハハハ……」
訝しげな響きを帯びたシュータの声に、慌ててギャレマスは鼻を押さえ、声を変えながら答える。
返ってきた答えを聞いて、湯気の向こうで首を傾げた様子のシュータだったが、「……まあいいか」と独り言ちると、再びギャレマスに声をかけた。
「……で、さっきの返事はどうなんだよ?」
「エ……エエト……、ソ……ソレハ……」
「……もちろん、オッケーだよなあ、えぇ?」
言い淀むギャレマスを威圧するかのように、ドスの利いた声で念押しするシュータ。
「この勇者シュータ様と一緒に風呂に入れるんだ。しがない一般庶民にとっちゃ、夢みたいに光栄なレアイベントだろう? あー、お望みとあらば、色紙に直筆のサインを書いてやってもいいぜ? 良かったな、家宝が増えるぞ、アンタ!」
「イ……イヤ……」
「イヤ? ……あぁ、色紙にサインだけじゃ満足できねえってか。案外と欲張りだな、アンタも!」
「ん……んなモン要るかぁッ!」
思わず素になって怒鳴り返すギャレマス。だが、「あ゛ぁ?」という低い声が返ってきた瞬間、ハッと我に返り、「あ……そ、その、間に合ってマス……」と言い直した。
その答えに、シュータは「あっ、そ……」と、少し残念そうな声を上げたが、すぐに気を取り直して言葉を継ぐ。
「で……返事はどうなんだ、えぇ? まさか、『はい』以外の答えが返ってくるとは思ってねえけどよぉ」
「う……」
シュータに詰められ、進退に窮するギャレマス。
それでも彼は、意を決してシュータに尋ねる。
「も……もし、『はい』以外の答えだったら、その時は……?」
「あぁ? まあ別に、『はい』以外でも俺は別に構わねえよ」
「……え?」
シュータの口から出た意外な答えに、戸惑うギャレマス。
その心に、少しだけ希望の光が灯る。
そして、彼は勇気を振り絞って、拒絶の意志を舌に乗せようとする――。
「な……ならば、い……い――」
「――『はい』じゃなくて、『喜んで』でも『もちろんです』でも『身に余る光栄です』でも『恐悦至極に存じます』でも『お~ぅけぇ~い、わが命に代えても!』でもいいんだぜ?」
「い、いいッ? そ、そういう意味ぃ?」
『いいえ』と答えかけたギャレマスは、シュータの返事を聞いて驚き、慌てて口を手で塞いだ。
――と、
「……万が一」
唐突に、シュータの声のトーンが変わる。
「いや、億が一、『いいえ』とかいう愉快極まる答えが返ってきたら、その時は――分かってるよな?」
「……ひぃッ!」
そのドスの利いた声に、ギャレマスは心臓を氷の手で握りしめられたような恐怖を覚え、思わず息を吞んだ。
「……で、何だって? 『い』までは聞こえたけどよ?」
そんな彼を、更に追い詰めるシュータの追及。
ギャレマスは、激しく懊悩した後、
「い……い……いい……」
胸の底から無理矢理絞り出したような声で、しぶしぶ答えた。
「い……いい……デス。――い、『いいです』……って言おうとしてました……ハイ……」




