魔王と台本とエチケット箱
「はぁ……」
センスの欠片も無いタイトルが書き殴られた“台本”の表紙に目を落としながら、ギャレマスは溜息を吐いた。
言うまでもなく、この“台本”と書かれた怪文書は、つい一週間ほど前に、再び彼の部屋を訪れたエラルティスから渡されたものである。
――「一週間後、“ヴァンゲリンの丘”で待ち合わせな!」という、全くありがたくないお誘いのメッセージを添えられて……。
そしてそれは、ギャレマスが、揺れる車内で肩痛に呻き声を上げつつ、最大速度で西に向かって御料馬車を何時間も走らせている理由である。
「……」
彼は、浮かない顔で台本の表紙を捲り、その中に書いてある文字を目で追い始めた。
あと一時間で、馬車に乗ったギャレマスと、彼を護衛する為に同行している、スウィッシュ率いる親衛隊は、目的地――ヴァンゲリンの丘に到着する。
それまでに、予め下読みしていた台本の中身をもう一度読み直し、来たるべき“本番”でミスをしないようにしよう――ギャレマスは、そう考えたのだ。
……だが、それは簡単な事では無かった。
「それにしても、ヘタクソな字だのう……」
苦労しながら、台本の文字を読み進めていたギャレマスだったが、手書きで記された文字のあまりの乱筆っぷりに、思わず愚痴を零した。
恐らく、この台本の“原作者”であるシュータ自身が書いたのだろうが、コレは汚い、汚すぎる。
彼は、ここではない別の世界からやって来た“転移者”という事だが、転移してきた時に会ったという“神”らしき老人から与えられた“ちーと能力”とかいう力で、この世界の言語の読み書き能力を得ているらしい。
ならば、シュータが文字を書く事には何の不自由も無いはずなのだが――今現在ギャレマスが解読に苦戦しているこの文字たちは、何というか……文字じゃないナニカに見えてしまう。
言うなれば、鉄板の上で踊り狂うミミズの断末魔の姿というか……。
どうやら……シュータは、ちーと能力関係無しに、著しく字が下手らしい。
そんな文字を、悪路を全速力で走破している為、絶えずグラグラと揺れ続ける馬車の中で読もうとするのは、かなりの忍耐力と精神力を強いられる苦行であった。
――やがて、そんな悪条件で読み続ける事に限界を感じたギャレマスは、とうとう台本を閉じて、固く目を閉じてしまった。
馬車に激しく揺られながら、泥酔しながら左手で書きなぐった様な文字を追っていたせいで、何だか視界がグラングランする……。
「うっぷ……、気持ち悪い……」
彼は手で口元を押さえると、いつ胃の中身が逆流してきても良いように、足元に置いてあった“エチケット箱”を手元に引き寄せた。
いかに、“地上最強の生物”魔王イラ・ギャレマスといえど、乗り物酔いはするのだ。
――だって、魔人だもの。 いら――
「……っぷ!」
くだらない事を考えたせいで、食道の弁が緩んでしまったギャレマスは、慌ててエチケット箱の中に顔を突っ込むのだった――。
◆ ◆ ◆ ◆
「ぜえ……ぜえ……。き――昨日、寝る前に下読みしておいて良かった……」
と、中から酸っぱいニオイが漏れないよう、しっかりと封をしたエチケット箱を足元に置いた魔王は、荒い息を吐きながら独り言ちた。
座席の横には、数ページが引き千切られた“台本”が、クシャクシャになった状態でぞんざいに置かれている。
――ちなみに、引き千切られた数枚は、ギャレマスの口髭に付いた汚れを丁寧に拭き取る為に使用され、今は丸められてエチケット箱の中である。
確かに、台本はこれからヴァンゲリンの丘で上演予定の茶番劇に必要なものだが、
「……まあ、細かい箇所はうろ覚えだが、大体の流れは把握しておるし……」
幸い、出かける先日の夜には準備を全て整えておくタイプのギャレマスの頭の中には、既に一連の流れがインプットされていた。
「ええと、確か――」
と、彼は目を宙に向けながら、脳内の記憶野に格納済みの台本の映像を思い出しながら、その概要を諳んじてみる――。
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――人間族連合の一軍と共に、ヴァンゲリンの丘の頂上に聳え立つ砦に立て籠った“伝説の四勇士”シュータ一行。
彼の命を奪わんと、魔王ギャレマス自ら軍を率い、ヴァンゲリンの丘に迫る。
あわや、人間族の精鋭たちの命運は風前の灯――!
だがその時、強大な魔王ギャレマスに、あたら尊い仲間の命を奪わせたくないと考えた“人間族の希望”シュータが立ち上がる!
そして、果敢にも単身で魔王に立ち向かい、血で血を洗う死闘を繰り広げた末、遂に彼を退ける事に成功するのだった!
ギャレマス「く、くそ~! 勇者シュータ! 顔も良ければ腕も立つ、おまけに性格もイケメンなナイスガイめ! きょ、今日はこのくらいで勘弁しておいてやろう……チクショーッ! お、覚えてやがれ~ッ! ヤな感じぃ~ッ!」
(魔王、涙目逃走)
シュータ「はっはっはっ! なかなか手強い奴だったが、天と地と全てのカワイコちゃんに愛された、この完全無欠のアイアムパーフェクト人間のボクには及ばぬようだな! ハーッハッハッハッハッ!」
「さすが勇者シュータ! 他の者には出来ない事を平然とやってのける! そこに痺れる憧れるゥッ!」
“ズッキュ~ン!”
「キャー、シュータ様ステキィ~! 抱いてェ! メチャクチャにしてェ~(はあと)!」
ありがとう勇者シュータ! カッコいいぞ勇者シュータ!
キミこそナンバーワンヒーローだッ!
――――第五部・完ッ!
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――台本に書かれていた流れは、大体このようなものだった。
「……これは、酷い」
台本にかかれていたあらすじを思い出したギャレマスは、脳にズーンとくる痛みを感じ、思わず頭を抱える。
なんというか……夢想に過ぎるというか、妄想力が高いというか、「いや、そうはならんやろ」感が強過ぎる話の流れだ――特に後半部分。
「こんな三文芝居を、我が配下共の目の前で、余は演じなければいかんのか……」
彼は、これからの事を考えて、陰鬱な気分に陥る。
「――そもそも何だ、余の最後のセリフは……。まるっきり、小物のチンピラが吐く様な捨て台詞ではないか……。せ、せめてもう少し、魔王の威厳というものを尊重したセリフ回しで……」
ギャレマスは頭を抱えたまま、シュータの書き下ろした台本についての愚痴や不平不満を、ブツブツと漏らし始める。
――その時、
「――陛下ッ!」
再び、スウィッシュが窓から顔を覗かせ、次の瞬間、
「って、酸っぱッ!」
御料馬車の中から漂う異臭に、思わず顔を顰めた。
だが、鼻をつまみながらも心配そうな表情を浮かべたスウィッシュは、おずおずとギャレマスに問いかける。
「あ……あの……。もしや、ご気分が優れないのですか……?」
「あ、ま、まあ……うむ。しょ、少々――な」
気まずさを感じつつ、ぎこちなく頷くギャレマス。
その答えを聞いたスウィッシュは、顔色を変えた。
「そ、それはいけません! 今すぐに馬車を止めて、御加減が宜しくなるまで休憩を取られた方が――!」
「あ、い、いや! 大事ない! 余はもう平気だ。休息など不要ぞ!」
即座に御者に命じて馬車を止めようとするスウィッシュを、慌てて制止するギャレマス。
彼の言葉に、スウィッシュは戸惑いの表情を浮かべる。
「で、ですが……」
「平気だと申しておるだろう。ヴァンゲリンの丘まであと一息だ。ここまで来たら、一気に駆け抜けてしまった方が良い」
そう言ったギャレマスは、フッと目線を逸らし、口の端を引き攣らせながら、ぼそりと呟く。
「……それに、待ち合わせに時刻に遅刻でもしたら、またシュータの奴に十分の七殺しにされてしまうし……」
「……はい? 何か仰いましたか?」
独り言のつもりだったのだが、思った以上に声が大きかったようで、スウィッシュに聞き咎められてしまった。
「あ! い、いや……何でもない……」
と、慌てて言い繕いながら、ギャレマスは話題を逸らそうと、
「そ、それより! お前の方こそ、何かあったのか? 妙に慌てた様子だったが……」
「――あっ! そうでした!」
ギャレマスの話題誘導は功を奏し、主に声をかけた本来の目的を思い出したスウィッシュは、その紫色の瞳を大きく見開いて、息せき切りながら話し始める。
「あの……先行してヴァンゲリンの丘を包囲しているイータツ様から、先ほど伝令が参りました!」
「……イータツから?」
スウィッシュの言葉を聞いたギャレマスが、訝しげに眉を顰めた。
そして、何かに思い当たったようで、小さく頷きながらポンと手を叩くと、スウィッシュに苦笑を向けた。
「ああ、あの短気者の事だ。どうせ、人間族の軍を包囲し続けておる事に倦んで、攻撃の許可を求めに来たのであろう?」
そう言った魔王は、断固とした様子で左右に首を振った。
「――だが、ならぬ」
そして、スウィッシュの顔を真剣な目で見つめながら、断固とした口調で言葉を継ぐ。
「確かに、人間族の軍如き、轟炎将イータツの敵ではあるまい。……だが、かの砦には、あの“伝説の四勇士”が――勇者シュータがおるのだ。あの男に手を出してはならぬ!」
そう言うと、ギャレマスは微かに身体を震わせた。
自分でさえ歯が立たないシュータに、四天王のひとりであるイータツが挑んだとしても、その結果は火を見るよりも明らかだ。――彼の前任者と同じ末路を辿るであろう事は。
魔王軍の中でシュータに敵う者は、魔王ギャレマス自身を含めて皆無だ。
――だが、シュータが唯一殺す事が出来ない者が居る。
それは――他ならぬ魔王ギャレマスだ。
自分がシュータの相手を引き受ける限りは、自分の部下に犠牲者が出る事は無い。
ギャレマスはそう考え、ヴァンゲリンの丘を包囲するイータツ達に、自分が到着するまで戦闘行為を行わぬ厳命していたのだ。
だが、そんな事情など露知らぬイータツが痺れを切らしているのだろう……と、ギャレマスは予測したのだが――。
「あ……いえ! そうではなくて……」
「え? そ、そうなの……か?」
予想と反して、スウィッシュが首を横に振ったのを見て、ギャレマスは戸惑いの表情を浮かべた。
一方のスウィッシュは、困った様な表情を浮かべながら、おずおずと口を開く。
「あの……実は、そのぉ……いらっしゃったようでございます……」
「? いらっしゃった? ……何処に? 誰がだ?」
歯切れの悪いスウィッシュの言葉に少々苛立ちを覚えながら、ギャレマスは先を促す。
それに対して、スウィッシュは少しだけ躊躇を見せたが、意を決したように表情を引き締め、口を開いた。
「えぇと……ヴァンゲリンの丘に……姫様が――」
「……ひ、め?」
スウィッシュの言葉の意味を掴めず、キョトンとした表情を浮かべたギャレマスだったが、すぐにその意味するところを理解し――驚愕の表情を浮かべた。
「ひめ……“姫”だと?」
「は……はい」
信じられないという顔で訊き返すギャレマスに向けて、スウィッシュは大きく頷くと、一気に捲し立てた。
「――イータツ様からの伝令が伝えてきたところによりますと……つい先ほど、陛下の御息女であられます、サリア・ギャレマス姫が、ヴァンゲリンの丘に御出でなされた由に御座います!」




