魔王と老エルフと進捗
「ヒョッヒョッヒョッ!」
思いもかけぬ再会に愕然としているギャレマスの顔を見ながら、半人族の村の長である老エルフ・ヴァートスは愉快そうな笑い声をあげる。
「何じゃ何じゃ! まるで幽霊にでも会ったような顔をしおって! そんなに驚くような事かえ?」
「い……いや、普通に驚くであろうが!」
ヴァートスの軽口に、ギャレマスは唖然としながら言い返した。
「貸し切りの筈の温泉に先客が浸かっていた上、その先客が、エルフの収容所に潜入しているはずの貴殿だったのだ! これが驚かずにいられようか!」
「ヒョッヒョッヒョッ! 確かにそうかもしれんのぉ~」
そう言ってにんまりと笑みを浮かべたヴァートスは、傍らに浮かべた盆の上に載せた小さな杯を手に取り、くいッと飲み干した。
「くぅ~ッ! 温泉に浸かりながら飲み干す地酒は格別じゃ~!」
「さ……酒まで持ち込んでおるのか……」
ヴァートスの周到さに思わず呆れるギャレマス。
「……って! そ、そんな事はどうでも良い!」
と、彼はハッと我に返り、慌てて老エルフの事を問い詰める。
「ヴァ、ヴァートス殿! き、貴殿、エルフ族の説得の方はどうしたのだ?」
「あぁ~ん? エルフ族の説得ぅ?」
ヴァートスは、ギャレマスの問いかけに対し、気だるげな様子で首を傾げ、
「フン! んなモン、とっくに終わらせとるわい!」
と、あっさりと言い放った。
その言葉を聞いたギャレマスは、驚いて目を丸くする。
「ファッ? も、もう終わらせただと? そ……それは真か?」
「何じゃギャレの字! ワシが嘘を吐いておるとでも言うんかッ!」
と、訝しげに訊き返したギャレマスを一喝したヴァートスは、湯舟の縁に置いていた酒瓶を手に取ると、手酌で杯に酒を注ぎながら言葉を継ぐ。
「ワシを誰じゃと思うておる? かつてのエルフ族の族長・ヴァートス・ギータ・ヤナアーツォ様じゃぞ! ケツの青いエルフの若い衆を説得する事なぞ、造作も無いわ!」
「そ……そうなのか?」
エヘンとばかりに胸を張るヴァートスに、なおも懐疑的な目を向けるギャレマス。
「そ、そうは言っても……いかに元族長だとはいえ、今の族長がそう素直に貴殿の言う事に聞く耳を持つとは思えぬのだが……」
「ヒョッヒョッヒョッ! そんなのカンタンじゃったわい!」
ヴァートスは、ギャレマスの疑問を呵々大笑して笑い飛ばすと、旨そうに杯を呷った。
そして、その目を悪ガキのように輝かせながら種明かしをする。
「今のエルフ族の族長であるネイラモードの事は、よちよち歩きしとった頃から良う知っておってな。ヤツがガキの頃にやらかした恥ずかし~い黒歴史のふたつみっつを、説得の時に思い出話として披露してやてたら、す~ぐに折れたわい」
「お……折れたって……それは――」
「すっかり老いぼれた偏屈ジジイになっとって、最初の内はワシに生意気な口を叩いておったが、ワシが昔話を始めたら『何でも言う事を聞くから、もう止めて下さい』って言いながらワンワン泣いておったわい。ヒョ~ッヒョッヒョッ!」
「……そ、それって、“説得”ではなくて……きょ、“脅迫”と言うのでは……?」
思わず、呆れ交じりに呟くギャレマス。
と、ヴァートスの耳がピクリと動く。
「……何か言ったか、ギャレの字?」
「イエ、ナンデモナイデス」
地獄耳のヴァートスに漏らした呟きを聞き咎められ、ギロリと睨まれたギャレマスは、慌てて首を左右に大きく振った。
そして、誤魔化すように咳払いをすると、ヴァートスに向かって言った。
「で、では……エルフ族は、今回の解放作戦と、魔王国への移住の事を――」
「おう」
ギャレマスの問いかけに、ヴァートスは大きく頷く。
「ネイラモードをはじめとしたエルフ族の上層部は、ワシの素晴らしい説得で、今回の作戦に賛同しておる。残すは、下々の者への説得だが……それは、変装したエルフの嬢ちゃんが、収容所を回りながら地道に続けとる」
「そうか……ファミィが。そちらの方は順調なのか?」
「まあ、いかんせん数が多いからのう。……だが、ほとんどのエルフは、今回の仕打ちで人間族どもに対して完全に愛想を尽かしとるようじゃから、そんなに手こずる事も無かろうて」
そう言うと、ヴァートスはまた杯に注いだ酒をちびりと飲み、それからギャレマスにニヤリと笑みかけた。
「……という訳で、こちらは至極順調じゃ」
「そ……そうか。それは何よりだ」
ギャレマスは、ヴァートスの答えに満足げに頷いたが、ふと訝しげな表情を浮かべると、更に問いを重ねる。
「……ところで」
「何じゃい? まだ、訊き足りん事があるんかい?」
「まあ……」
質問責めに辟易した様子のヴァートスに向けて小さく頷き返したギャレマスは、もう一つの疑問を舌に乗せた。
「……というか、むしろこっちの方がメインの質問なのだが――」
「ふむ」
「ヴァートス殿……そもそも、なぜ貴殿がここでのんびりと温泉に浸かっておったのだ?」
ギャレマスは、湯気を立てる乳白色の湯を指さして、言葉を継ぐ。
「そもそも、今日、この浴場は貸し切りのはず。なのに、なぜ貸し切った余よりも先に、貴殿が風呂に入っておったのか……それが不思議でな」
「ヒョッヒョッヒョッ! 何じゃ、そんな事か!」
ヴァートスは、ギャレマスの問いかけに、呵々大笑した。
そして、白い歯を見せて笑うと、嬉々として説明を始める。
「数日前に、お前さんの部下だという根暗な若い男がやって来てな。そっちの状況をあらかた聞いたんじゃ。それで、ワシらの方の進捗もそっちに伝えようと思ったんじゃが、どうせだったら伝言よりもワシ自身の口から伝えた方が早いじゃろと思って、その兄ちゃんと一緒にアヴァーシへと向かったんじゃ」
「あぁ……アルトゥーの事か……」
「そうそう、確かにそんな名前だった」
ヴァートスはうんうんと頷くと、更に言葉を継ぐ。
「それで……その根暗兄ちゃんの案内で、今朝お前さんたちが泊まっておる宿屋に行ったんじゃ。そうしたら、少し前に“良き湯だな”に出かけてしまったと教えられてのう」
「あ……入れ違いになってしまった訳か」
「で……『何を呑気に湯治に行っとるんじゃ、あのへっぽこ魔王が! けしから羨ましい!』となって、その場で流しの辻馬車を捕まえて、ここまで超特急で飛ばし、お前さんたちの先回りをしてやったんじゃわい。――で、現在に至る、と」
「なるほど……って、いやいやいや!」
ヴァートスの説明に、一度は納得しかけたギャレマスだったが、ハッと我に返ると、慌てて首を横に振った。
「さ、先回りしたところまでは良い! ……いや、良くはないが! ……だが、そこからどうやって湯舟に浸かったのだ? 入り口には受付もあるし、館内には従業員の目もたくさんあったであろうが!」
「あぁ、そんなのカンタンにスルー出来たぞ」
「ど、どうやって?」
「どうやって……と言われてものぉ」
ギャレマスのツッコミを受けて、困ったように禿頭を掻いたヴァートスは、おもむろに腕を伸ばすと、自分の横を指さした。
「ワシャ、特に何もしておらんからのぅ。……ホレ、ココに座っとる根暗兄ちゃんの後をついて歩いてただけじゃから」
「……へっ? こ、ココ? ここも何も、ここには余と貴殿しか――」
ヴァートスの言葉に、キョトンとして目をパチクリさせたギャレマスだったが、ふとある予感が頭を過ぎり、恐る恐るヴァートスの指さす方向に目を向ける。
「…………久しぶりだな、王よ」
「……って! アルトゥー、お主もいたんかぁ――いッ!」
ヴァートスの隣で湯に浸かりながら、ちゃっかりと発泡酒を飲み干して顔を赤らめているアルトゥーの存在に今更気付いたギャレマスの絶叫が、広い湯屋の中で何度も反響するのだった……。




