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魔王と湯治場と支配人

 「“良き湯だな”へ、ようこそおいでくださいました!」


 日帰り湯治場“良き湯だな”の正門前に横付けされた送迎馬車から降りて来たギャレマスたちに、朗らかな声がかけられる。


「む……」


 牛獣人の覆面を被ったギャレマスが声の方へ顔を向けると、筒袖の袖先を白く染め抜いた紺色の上着を羽織った、ふくよかな体格をした中年の人間族(ヒューマー)の男が、満面の営業スマイルを浮かべながら、白髪混じりの頭を深々と下げていた。


「私めは、当湯治場の総支配人を務めておる、トーチャと申します」


 と、頭を下げたまま名乗った男は、その血色と肉付きの良い顔を上げると、ギャレマスの顔を見上げながら尋ねる。


「――お客様は、本日ご予約を頂いておりました、ドジィンド様でお間違いありませんか?」

「あ、うむ。いかにも、儂がドジィンドである」


 トーチャの問いかけに対し、ギャレマスは鷹揚に頷いた。言うまでもなく、“ドジィンド”とは、ギャレマスが牛獣人(ミノタウロス)として名乗っている偽名である。

 ギャレマスの答えを聞いたトーチャは、恐縮した様子で更に深々と頭を下げた。


「ドジィンド様、本日は当館にお越しいただきまして、誠にありがとうございます。従業員一同、皆様のご来館を心よりお待ちしておりました。先日のご予約通り、全館貸し切りとなっておりますので、どうぞごゆるりとお寛ぎ下さいませ」

「うむ、世話になるぞ、支配人殿」

「はーい! ありがとうございま~す!」


 トーチャの挨拶に、ギャレマスの後から馬車を降りてきたサリアが、元気な声で答える。

 無邪気なサリアの声に、トーチャは思わず相好を崩し、彼女にも頭を下げた。


「これはこれは、ようこそいらっしゃいました」


 そして、福々しい笑みを浮かべながら、ギャレマスに向かって言う。


「ドジィンド様、随分とお可愛らしい奥様でございますね」

「えへへ! ありがとうございまーす!」

「ちょ! ま、待て!」


 トーチャの『お可愛らしい』という言葉に気を良くしたサリアとは裏腹に、ギャレマスは慌てて声を荒げた。


「し、支配人よ! 儂とサリ……この者は、夫婦などではないぞ!」

「あ……そ、そうでしたか……! こ、これは大変失礼いたしました」


 ギャレマスの抗議に顔色を変えたトーチャは、ひどく狼狽した様子で謝罪した。


「お、おふたりが大層近しい関係のように見えましたので、当館で働き続けて三十五年目の私めの勘で、てっきりご夫婦なのかと思い込んでしまい……あ、いや、大変申し訳ございません」

「まあ……“近しい関係”というのは間違ってはいないんですけどね……」


 と、平身低頭して謝るトーチャに言ったのは、最後に馬車から降りて来たスウィッシュだった。

 彼女は、被っていたフードの具合を直しながら、「……ところで」と問いかける。


「あの、支配人さん」

「あ、ハイ、何でしょうか、()()?」

「おっ、おおおお奥様ッ?」

「って! お、オイィッ!」


 トーチャの返事を聞いた途端、目を大きく見開いたスウィッシュは思わず声を上ずらせ、ギャレマスは再び狼狽混じりの声を上げて、支配人の事を咎めた。


「わ、儂は、この者とも夫婦ではないぞ! 誤解するな!」

「あ、さ、左様でございましたか! こ、こちらのお客様の方が奥様だと、当館で働き続けて三十五年の私めの勘が……」

「え、ええい! お主の勤続三十五年の勘はもう良いわ!」

「こ……これは重ねて大変失礼をば……」

「まったくだ! ……というか、失礼なのは儂ではなく、スウィ……この者に対してだぞ! かようにまだうら若き女子(おなご)を、儂のような中年オヤジの妻と間違えるとは……! 謝るのは儂などではなく、この者の方にだ!」

「た……確かに、おっしゃる通りでございます……」


 憤然とした面持ちのギャレマスの言葉を受けて、トーチャはスウィッシュに向けて深々と頭を下げる。


「お、お客様……私めのとんだ誤解のせいで、お客様のご気分を害してしまいまして、何とお詫び申し上げれば――」

「あ! い、いいんですいいんです! 全然大丈夫です~っ!」


 だが、当のスウィッシュは、気分を害した様子は全く無く――むしろ、この上なく上機嫌だった。

 だらしなく頬を緩めた彼女は、ブンブンと(かぶり)を振りながら、満面の笑顔で言った。


「支配人さんは、全然悪くないです~! これも、あたしと陛……旦那様の事がとっっってもお似合いに見えてしまった事が原因ですからね! まあ、誤解しちゃうのも無理は無いですよねぇ~、おほほほほ!」

「は、はぁ……まあ……」


 スウィッシュの機嫌の良さに逆に軽く気圧された様子のトーチャが、ぎこちなく頷く。

 そんな彼の手に、「あ……これ、少ないですけど、受け取って下さい」と囁きかけながら、ローブの隠しから取り出した銀貨を素早く握らせたスウィッシュ。

 彼女は、唖然とするトーチャにパチリと片目を瞑ってみせ、ニッコリと微笑みかける。


「宜しくお願いします、支配人さん!」

「あっ……」


 彼女の魅力的なウインクを受けて目を輝かせたトーチャは、スウィッシュから渡されたチップを素早く懐にしまうと、血色の良い顔をますます紅潮させながら、何度も何度も首を縦に振ってみせた。


「モッチロンです! このトーチャ、支配人としての全権力を存分に駆使して、皆様を誠心誠意最大限におもてなしさせて頂きますです、ハイ!」

「……」


 ギャレマスは、そんな支配人の調子の良さに、思わず呆れるのだった。

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