陰密将と老エルフと信頼
「なるほど……己がいない間に、そんな事があったのか」
スウィッシュから、ギャレマスたちがウンダロース山脈の麓で古龍種のポルンに連れていかれてから今日に到るまでの顛末を聞いたアルトゥーは、小さく感嘆の声を上げた。
「それでは、件のヴァートスとかいう老エルフとハーフエルフは、エルフ族の収容所に潜入しているという事か」
「多分、ね」
アルトゥーの問いに、スウィッシュは微妙に言葉を濁しながら頷く。
「ふたりと別れたのは、森から草原に出る時だったから。その後のふたりがどう動いているのかは、まだ分かってないわ」
「でもね、あのヴァートスさんの事だから、うまい事潜り込めてると思うよー」
「まあ……なかなか強かな御仁だからな」
スウィッシュの言葉に、サリアとギャレマスも苦笑交じりで同意した。
そんな三人の反応に、アルトゥーはますます怪訝そうな表情を浮かべる。
「随分と信頼が篤いようだな、その老エルフ。話を聞いただけでは、そこまであてになる人物だとは思えんが」
「うぅん……言葉で説明するのは難しいんだけど……」
アルトゥーの疑念も当然の事だと思いながら、スウィッシュは首を傾げながら言葉を探す。
「まあ……でも、アルも実際に会ってみれば解ると思うわ。何か、不思議な人なのよね……ヴァートス様」
「そうか。……氷牙将がそうまで言うのなら、そうなんだろうな」
そう、呟くように言ったアルトゥーは、ギャレマスの方に顔を向けると、目を光らせながら尋ねた。
「……それで、これからどうするつもりなんだ、王よ」
「ふむ……」
アルトゥーの問いに小さく唸ったギャレマスは、右足を庇いながらどっかりとソファに腰を下ろし、顎髭を指で撫でつけながら考える。
「今日までは、アヴァーシ周辺の地理や情勢の情報収集を行なっておったが、アルトゥーのおかげで、必要な情報はあらかた集まったようだ。そうなると、次の手は――」
「いよいよ、収容所に入っているエルフ族との接触ですね」
ギャレマスの言葉尻を捉えて、スウィッシュが言った。
そして、テーブル上の地図の『メヒナ渓谷』の文字を指さす。
「今頃、エルフ族収容所に潜入したヴァートス様とファミィが、今のエルフ族の族長を説得しているはずよ」
「説得といっても……そう上手くいくものか?」
スウィッシュの言葉に、懐疑的な声を上げるアルトゥー。
それに対し、サリアがニッコリと笑って力強く頷いた。
「大丈夫だよー! だって、ヴァートスさんはエルフ族の元族長さんだし、ファミちゃんは『伝説の四勇士』のひとりだもん!」
「……それこそが原因で上手くいかない可能性もある」
確信に満ちたサリアの言葉を聞いても、アルトゥーの憂い顔は晴れない。
「そもそも、ヴァートスとかいう老エルフは、自分が族長になってすぐ、保守派からある事無い事吹聴された事が元で、エルフ族を嫌忌して捨てたのだろう? 真実はともかく、今のエルフたちが、かつてエルフ族を捨てた男の言う事などに聞く耳を持つだろうか?」
「まぁ……それは確かに」
アルトゥーの指摘に、スウィッシュはコクンと頷いた。
それを横目で見たアルトゥーは、「それに」と言葉を継ぐ。
「あのハーフエルフもそうだ。そもそも、エルフ族が収容所に押し込められる発端となったのが、あのハーフエルフが勇者を裏切っていたという噂からだ。つまり、かつては英雄のひとりであったあの女は、今では『苦境を招いた元凶』という事だ。……そんな者たちの説得の言葉が、そう簡単にエルフ族の心に届くとは思えないな」
アルトゥーの鋭い指摘の前に、他の三人は一瞬沈黙する……かに思われたが、
「でもねー」
そう切り出したのはサリアだった。
彼女は、アルトゥーに向かってニヤリと笑いかけながら、自信満々な口調で言う。
「それでも……あのヴァートスさんだったら何とかしちゃうんじゃないかなーって、何となく思うんだよねー」
「姫……その根拠は何だ?」
「うん、分かんない!」
「……は?」
気持ちいい程清々しく『分からない』と断言したサリアの様子に、アルトゥーは思わずポカンと口を開けた。
そして、
「……そうなんですよねぇ。何だか分からないんですけど、妙に頼もしいんですよね、あの人」
「根拠は無いのだが、確かにあの御仁には、口にした事はキチンとやり遂げてくれそうな安心感があるのだ。まあ……最悪、腕ずくで言う事を聞かせそうではあるがな」
「おい……氷牙将と王まで……」
サリアの言葉に同調するスウィッシュとギャレマスを見て、ますます唖然とする。
「い、一体、どういう男なんだ、そのヴァートスとかいう者は……?」
アルトゥーは呆れ交じりにそう呟くと、少しの間だけ腕を組んで考え込んだが、すぐに意を決したように「よし」と頷くと、ギャレマスに向かって口を開いた。
「――ならば、己が自分の目で直に確かめてこよう。そのヴァートスとかいう老エルフがどういった人物なのかと、向こうの進捗状況をな」
「直に確かめる……って、自分で出向くって事?」
「いずれにしても、向こうとの連絡役は必要だろう?」
訝しげに尋ねるスウィッシュに、アルトゥーは小首を傾げながら答える。
「まあ、様子を見てくるだけだ。四・五日くらいで一旦戻ってくる。その間、お前たちはこの町を観光でもしながら待っていろ」
「観光! いいねっ!」
アルトゥーの提案に、早速サリアが目を輝かせた。
そして、ギャレマスとスウィッシュの方に顔を向けて、弾んだ声を上げる。
「サリア、この辺りの面白そうな名所とか美味しそうなお店とかをいっぱい“調査”してたんです! お父様、明日からみんなで順番に回りましょう!」
「サリア様、別に、あたしたちはここに遊びに来た訳ではないんですよ。無闇に動き回るのは――」
「そ、そうだ! 外を出歩くのはマズい!」
スウィッシュの言葉に上ずった声で同調したのは、痛そうに右足のふくらはぎを擦っていたギャレマスだった。
彼は、木椅子の上に脱ぎ捨てられたミノタウロスの覆面を引き攣り顔で一瞥すると、ブルリと身を震わせた。
「余が街中を出歩けば、再びあの女ミノタウロスに遭遇するかもしれん。そうなったら、今度こそ……」
「「あ……」」
ギャレマスの震え声に、ふたりも色々と察する。
そして、小さく息を吐いたスウィッシュが、目に見えて消沈したサリアに向かって、慰めるように声をかけた。
「サリア様……そういう事ですから、今回はみんなで大人しく宿屋で待っていましょう」
「……うん」
「あ、いや」
ギャレマスは、ガッカリした様子のサリアの顔を見るや、慌てて首を横に振った。
「宿屋に居るのは余だけでいい。お主らは、好きなところに遊びに行くが良い。もちろん、あやしい輩には気を付けてな」
「えー、イヤです! サリアは、スーちゃんとお父様と一緒に遊びに行きたいんです!」
「う……」
サリアが激しく首を横に振りながら発した言葉を耳にしたギャレマスは、激しく心を揺らされる。
――『お父様と一緒に遊びに行きたい』。
愛娘が発したこの言葉に、心を揺るがされない父親など居ろうか。いや、居るはずが無い。
……だが、現実はいつも残酷である。
「そ……そうは言っても、あの女ミノタウロスがどこに現れるか分かったものではないし……何より、ここは敵地だ。あ、あまりにもリスクが大きすぎる……! ここは、我慢して、またの機会に……っ!」
ギャレマスは、血を吐く様な声を無理やり声帯の奥から押し出すようにして言った。
そんな彼の言葉を聞いたサリアも、グッと奥歯を噛みしめた様な表情で、コクンと頷いた。
「はい……分かりまし――」
と、言いかけたその時、
「――あ、そうだ!」
彼女は小さく叫ぶと、その紅玉のような瞳を大きく見開き、キラキラと輝かせた。
「お父様! じゃあ、あそこに行きましょう! この前お伝えした、貸し切りできる温泉!」
「――ッ!」
“温泉”という二文字を 耳にした瞬間、スウィッシュの目がカッと見開いた。
一方のギャレマスは、「お、温泉……?」と、当惑した顔で訊き返す。
そんな彼に、頬を紅潮させたサリアは早口で捲し立てる。
「その貸し切り温泉は、辻馬車の送迎サービスもしてるみたいなんです! その馬車に乗れば、行き来の時に女ミノタウロスさんに見つかる心配も無いじゃないですか! 貸し切りできるから、温泉で鉢合わせする事も無いでしょうし!」
「い、いや、しかし……」
「陛下! そ、それは名案だと思いますっ!」
躊躇うギャレマスに、必死な声で訴えかけてきたのは、その紫瞳を爛々と輝かせたスウィッシュだった。
彼女は、熟れた林檎よりも真っ赤な顔で、戸惑い顔のギャレマスに迫ると、彼が擦っていた右ふくらはぎを指さす。
「へ、陛下の身体は、色んな所にガタがきているじゃないですか! その足とか、腰とか、肩とか! そのままじゃ、来たるべき作戦決行に差し障りが出るかもしれません! こ、この際、温かい温泉にゆっくり浸かって、疲れと痛みを取るのがいいと思います! 絶対ッ!」
「い、いや……」
「“い、いや”じゃありませんッ!」
「ヒッ? あっ……はい……」
殺気すら感じるスウィッシュの剣幕に圧されて、思わずコクンと頷いてしまうギャレマスであった……。




