陰密将と情報と手段
「な……なるほど。そんな事が……」
ギャレマスから事の顛末を聞いたスウィッシュは、顔を引き攣らせつつ頷いた。
「お父様も大変だったんですねぇ」
「う……うむ」
いたわるサリアの言葉に、げっそりとした表情で応えたギャレマス。
彼は、攣った影響でズキズキと痛むふくらはぎを擦りながら言葉を継ぐ。
「何時間追いかけられ続けたか……何とか裏道に入ってミノタウロスの追撃をやり過ごし、建物の影から影へと隠れ潜みながら、先ほどようやく宿屋まで辿り着いたという訳だ」
「お疲れ様です……」
辟易した様子のギャレマスの顔が面白くて、つい吹き出しそうになるのを懸命に堪えながら、スウィッシュが言った。
と、サリアが表情を曇らせる。
「でも……それじゃ、聞き込みの方は……」
「……ほとんど進まなかった」
サリアの問いに、ギャレマスが力無く頭を振った。
「何せ、お主らと別れてから、ものの十分くらいで件のミノタウロスにナンパ……声をかけられてしまったのでな……」
「……あたしも、全然情報を集められませんでした。どうやら、収容所に関しての事について、かなり厳しい情報管制が敷かれているようでして……」
「それに……お昼になってからは、サリアの事をずっと探し回ってて、スーちゃんは情報集めどころじゃなかったし……」
サリアはそう言うと、責任を感じたようにショボンとして俯いた。
三人は、共に沈鬱な表情を浮かべて黙りこくる。
――と、その時、
「……“情報”とは、エルフ族の収容所についての情報か?」
おもむろに沈黙を破ったのは、部屋にいるもうひとり――アルトゥーだった。
彼の問いかけに、ギャレマスは小さく首を縦に振る。
「うむ……。場所に関しては、ある程度の確証を得ているのだが、収容所に詰めている人間族軍の監視体制や警備の厚さなどの情報が殆ど集まらぬ」
そう答えながら、ギャレマスはスウィッシュに目配せする。
それだけで主の意を汲み取ったスウィッシュが、すかさずテーブルの上に地図を開き、地図上に記された『アヴァーシ』の文字を指さしながら口を開く。
「……あとは、アヴァーシ周辺の地理情報と、魔王国領へと抜けられる街道の情報もですね。何せ、我々が持っている人間族領北東部の情報は、数十年前のものですから……」
「数百年前ならいざ知らず、ここ百年くらいに関しては、この地方は便の悪い事だけが特徴の僻地だったから、今まで魔王国も人間族もほとんど重視していなかった。だから、ここへは諜報者も放っていなかったのだが……今回に関しては、それが完全にアダとなったな……」
そう言うと、ギャレマスは小さく溜息を吐いた。
と、
「――あ! でも!」
それまでふたりの話を黙って聞いていたサリアが、突然声を上げる。
そして、紅玉のような目をキラキラと輝かせながら、アルトゥーの方に向き直った。
「そういえば! アルくん、さっき言ってたよね? 『ホトタモカヤ大草原からアヴァーシに着くまでの間、周りの偵察をして来た』って!」
「……ああ」
サリアの言葉に、アルトゥーは小さく頷く。
それを聞いたスウィッシュが、パッと顔を輝かせた。
「じゃあ……! ひょっとして――」
「ああ」
アルトゥーは再び頷くと、テーブルの上の地図に指を伸ばし、アヴァーシの南側に大きな円を描く。
「大草原に存在する人間族の砦や中継基地の位置と規模は、ほぼ全て確認済みだ。どのくらいの兵力が詰めているのかも、な」
そう言うと、彼は懐から厚みのある紙束を取り出し、ギャレマスへ差し出した。
「――これに、己が調べた情報を書き記してある。エルフ族解放作戦立案の役に立つと思う」
「なんと……!」
ギャレマスは、驚きの表情を浮かべながらアルトゥーから紙束を受け取り、パラパラとめくり、「おぉ……!」という感嘆の声を上げる。
そして、無表情のアルトゥーの顔を見て、大きく破顔した。
「これはすごい……! アヴァーシ南部の軍備状況が手に取るように分かるぞ! これは助かる!」
「あ……そうか。それは良かった」
「さすが、魔王国四天王のひとり・陰密将アルトゥー! さすがの仕事ぶりだ!」
「アルくん、すご~い!」
「これなら、大分計画が進みそうですね! ありがとう、アル!」
「い……いや、そ……それほどでも……」
三人に絶賛され、アルトゥーは青白い頬を仄かに紅く染め、照れ隠しのようにポリポリと頭を掻く。
そんな彼に、興味津々といった様子で、サリアが尋ねかける。
「ここまで詳しく情報を集めるのって、大変だったでしょ?」
「うん……確かにそうですね……」
サリアの言葉に、スウィッシュも紙片の内容を速読しながら同意する。
「確かに、前から気になってたのよね……。どうしていつも、敵地の真ん中にいるのに、詳細な情報を探り出せるのかな……って。別に、幼馴染の贔屓目って訳じゃなくて、アルのそういう能力は素直にすごいと思うわ」
「いや……別に、そんなに……」
スウィッシュの賛辞に、アルトゥーはますます顔を赤らめて、その頬を緩ませる。
そんな彼に微笑みかけながら、ギャレマスが尋ねかけた。
「のう、アルトゥーよ。そういえば、今まで一度も訊いた事が無かったが、この機会に訊いてみても良いかな? ――お主は、いつもどんな手段を講じて敵地に潜入しておるのだ?」
「どうって……」
三人からの賛辞を一身に受けて、すっかり気を良くした様子のアルトゥーは、ギャレマスの問いかけにも気安く答える。
「別に、そんな特別な事はしていない。――知っての通り、己は元々存在感が薄いからな。見ず知らずの者は、初見では己の事を認知出来ないのだ。だから……それを活かして、普通に正門から入って、普通に建物の中に入って色々と見て回って、情報を集め終わったら普通に正門から出て帰るだけだが」
「「「……」」」
アルトゥーの答えを聞いた瞬間、三人の表情が石化したように固まった。そして、一斉に「……はぁ~」と大きな溜息を吐く。
「……ど、どうした……お前たち?」
三人の態度が突然豹変した事に戸惑いながら、アルトゥーはおずおずと尋ねかけた。
すると、すまなさそうな表情を浮かべたギャレマスが、三人を代表するように答える。
「いや……てっきり何か特別な能力を使って、緊迫感に満ちた感じで潜入していると思っていたのでな……。お、お主にはすまぬが……正直、何だか拍子抜けしたというか……」
「……は?」
「ぶっちゃけ、期待外れっていうか……」
「おい、氷牙将……?」
「むしろ、ちょっぴりガッカリしちゃったよねー」
「ちょ! ひ、姫……っ?」
先程までとは打って変わった三人の冷めた反応に、激しく狼狽するアルトゥー。
そんな彼を前に、ギャレマスたちは、
「まあ、所詮はアルですからね……実際はそんな残念な感じですよね、確かに」
「正直、期待して損したって感じかもー」
「……で、あるな」
と、口々に言いながら、深く頷き合う。
「…………」
そんな三人の様子を、微かに潤んだ目で呆然と見つめるアルトゥー。
やにわに、“転職”の二文字が、彼の脳裏を高速で過ぎるのだった……。




