魔王と情報と報告
それから数日の間、二手に分かれたギャレマスたちはアヴァーシの街を歩き回り、周辺の地理に関する書籍を読んだり、それとなく町の人々に尋ねかけたりしながら、必要とする情報の収集に努めた。
二手に分かれたのは、牛獣人と人間族に扮した三人が一緒に行動していては、どうしても街中で目立ってしまう事が、初日の時点で分かった為であった。
皆無ではなかったが、人間族と獣人というパーティー構成は珍しく、その上、男の獣人の方が主導して人間族の女をふたりも引き連れているのは、この町に住む住人達には更に珍奇に見えてしまうらしい……。
変装しているとはいえ、町中で目立つ事は避けたいギャレマスは、自分だけ単独行動を取ることにしたのだった。
獣人の一人歩きならさほど不自然でもないし、スウィッシュを側につけておけば、サリアから目を離してもも安心だという判断である。
……まあ、ひょんな事からスウィッシュとサリアのどちらか……あるいは両方が暴走しやしないかという一抹の不安は無くもなかったのだが……。
因みに、そこまでして彼らが必要とした情報というのは、
①エルフ族を集め、監視している収容所の場所と規模。
②エルフ族を解放した後の逃走経路として相応しいルートを決める為の地理や街道に関する情報。
の二つであった。
だが、①に関しては、比較的容易に特定が出来た。
「……間違いないな」
その日の情報収集を終えて宿の部屋に集まった三人は、頭を突き合わせるようにしてテーブルの上に広げた地図を覗き込み、ギャレマスがその一点を指さした。
「エルフ族の収容所は、この辺りにあるに違いない」
「メヒナ渓谷……ですか」
ギャレマスの指が示した地名を読んだスウィッシュが、頬に手を添えながら首を傾げる。
「でも、陛下……なぜ、そうと言い切れるのですか?」
「なに、簡単な事だ」
スウィッシュの問いかけに、牛の面を脱いだギャレマスはニヤリと微笑んだ。
「ここは渓谷といっても、谷の間がかなり広く、その間には川に沿ってなだらかな土地が広がっているらしいから、まとまった数の建物を建てるのに都合がいい。何より、川がすぐ傍を流れておるから、水の手には困らんしな」
「……確かに、陛下のおっしゃる通りの地形のようですが、それだけでは――」
「それに、な――」
訝しげに訊ねるスウィッシュを制して、ギャレマスは更に言葉を継ぐ。
「この三日間、余は物見遊山を装って、町の住人たちにアヴァーシ周辺の事を聞き回っておったのだが、どうやらこのメヒナ渓谷の一帯が、広範囲で立ち入り禁止になっておるようなのだ」
「立ち入り禁止……あ、そういう事か……」
「うむ」
ハッとした表情を浮かべたスウィッシュに、ギャレマスは小さく頷いた。
「表向きは、『人食い藍色熊の群れが出没しているから』としているらしいが、十中八九、収容所建設を人の目から隠す為の方便だろうな」
「……陛下の御推察通りかと存じます」
軽く頷いたスウィッシュは、自分も腕を伸ばし、地図に書かれた『メヒナ渓谷』の文字を指さすと、そのまま上に指をなぞってみせた。
「ここからホカァタ川を遡れば、イワサミド鉱山まではすぐですからね。収容所のエルフ族をミスチール鉱石の採掘で使役するのにも都合がいい……」
「じゃあ、スーちゃん。これで――」
「決まりだな」
スウィッシュの言葉に、それまで黙ってふたりのやり取りを聞いていたサリアがパァッと顔を輝かせ、ギャレマスも満足そうに顎髭を撫でる。
「……では明日から、このメヒナ渓谷にエルフ族の収容所があるという前提で、具体的なエルフ族解放計画の立案に移る事としよう。――スウィッシュ」
「あ、はいっ!」
「お主たちに任せていた、逃走計画を練る為の周辺情報の収集なのだが……そっちはどんな感じだ?」
「あ……えと……」
ギャレマスの問いかけに、スウィッシュはバツが悪そうに目を逸らした。
「ええと……アヴァーシから少し離れたところにある村のいくつかに、人間族軍が駐屯しているらしいです」
「……駐屯? ああ、あれか」
一瞬目を丸くしたギャレマスだったが、すぐに小さく頷く。
「ここに来る前にあったアレだな」
彼の脳裏に、数日前に遠目で見た光景が浮かぶ。
「砦にしては小さいと思っておったが、臨時に造ったものだったのだな。どうりで……」
そう呟くと、彼はスウィッシュの方に向き直り、更に問いを重ねる。
「“いくつか”という事は、あれと同じものが数か所は存在するという訳だな」
「は、はい……恐らく」
「戦力はどの程度のものなのだろうか? あまりに多勢だと、エルフを逃がす時に厄介な障害になるかもしれぬ」
「……申し訳ございません。そこまでは、まだ……」
「何だ、まだ調べ切れておらぬのか……」
恐縮しながら頭を下げるスウィッシュに、ギャレマスは少し意外そうな様子で言った。
これでも、スウィッシュの情報収集力はかなり優秀だ。彼女の事なら、このくらいの情報くらい既に掴んでいるだろうと思ったのだが……。
「どうしたのだ? お前らしくもなく手こずっておるではないか。何かあったのか?」
「あ……い、いえ……別に……申し訳ございません……」
ギャレマスの問いかけに、何故か口ごもるスウィッシュ。まるで奥歯に物が挟まったような彼女の態度を見て、魔王は更に首を傾げるが、
(……まあ、ここは敵地の真っただ中だしな。色々と勝手が違う事もあろう)
そう思い直すと、しょげ返った様子のスウィッシュの肩にポンと手を置いて、優しく言う。
「まあ良い。まだ焦る時期ではない。……とはいえ、無尽蔵に時間がある訳でも無いからな。明日から頼むぞ」
「はい……了解しました……」
少しべそをかきながらコクンと頷くスウィッシュを心配げに見たギャレマスだったが、それ以上彼女に言葉はかけなかった。
「……さてと」
彼は、気を取り直すように咳払いをすると、ふたりに向かって口を開く。
「で、では、明日も早いゆえ、今夜はもう休むとしよ――」
「お父様! お待ち下さい!」
ギャレマスの締めの言葉を遮るように声を荒げたのは、サリアだった。
彼女は、その可愛らしい口を尖らせ、不満を露わにした表情で言う。
「まだ終わりではありません! サリアからの報告がまだです!」
「……報告? サリアが?」
ギャレマスは、サリアの言葉に思わず首を傾げた。
「報告も何も、お主はずっとスウィッシュと一緒に行動しておったのだろう? ならば、スウィッシュと同じ内容に……」
「確かにスーちゃんと一緒でしたけど、サリアはサリアなりのドクジチョーサをしてたんです!」
「お……そ、そうなのか……」
サリアの剣幕に圧されて、思わず頷くギャレマス。チラリと傍らに立つスウィッシュの顔を見るが、そこに浮かんだどことなく気まずそうな彼女の表情に、何とも言えない嫌な予感が胸に沸く。
「お父様! 聞いていらっしゃるのですかッ?」
「ひゃ、ひゃいっ! す、すまぬ!」
すかさず上がったサリアの叱責に、ギャレマスは慌てて首を竦めながら謝った。
「じゃ、じゃあ……サリア、報告を頼む」
「はいっ!」
ギャレマスの言葉に顔を輝かせたサリアは、元気よく返事すると上着のポケットから小さな紙片を取り出した。
どうやら、“報告”の内容をまとめたレポートらしい。
彼女は、ニコニコ笑いながら紙片を広げ、「それじゃいきまーす!」と呼びかけると、ドヤ顔で読み上げ始める。
「えーと……まず、南街路の角にあるお店で売ってた蒸しパンが美味しかったです!」
「……はい?」
「あとは、『金の卵亭』っていう食堂の“串焼きフルセット”ってメニューが最高でした! 甘じょっぱいタレが串に刺したお肉に沁みてて、食べると口の中にぶわって香りが広がるの! ジューシー過ぎて、肉汁が垂れちゃうからお行儀が悪くなるんですけど……それでも美味しかったです!」
「……ちょ!」
「あとはぁ……あ、そうそう! 町外れの丘の向こうに、知る人ぞ知る温泉施設があるみたいです! あんまり大きくはないみたいなんですけど、事前に予約を取れば、貸し切りも出来るみたいで――」
「ちょ、ちょっと待て!」
次から次へ“報告”を続けるサリアを、慌てて制するギャレマス。
「さ、サリアよ……。お、お主の“報告”とは……?」
「はい! サリア頑張りました!」
ギャレマスの問いかけに、満面の笑顔で力強く頷くサリア。
「スーちゃんと一緒に町中を巡って、美味しそうな食べ物を食べ歩いたり、町の人に楽しそうな観光スポットを訊いて回ったり……。でも、色んな良い情報が手に入って良かったです!」
「いや……た、確かに良い情報だけども……」
さすがに「一体何を調べておるのだ!」と、サリアの事を叱りつけようとしたギャレマスだったが、得意満面の娘の顔を見て叱るに叱れなくなってしまい、眉間に深い皺を寄せつつ口ごもる。
ふとサリアの横に目を移すと、困り果てた顔をしたスウィッシュが自分に向けてペコペコと頭を下げまくっていた。
それを見たギャレマスは、(あ……そういう事か…)と悟った。
(恐らく……スウィッシュはサリアに連れ回されたせいで、自分の情報収集が出来なかったのだな……)
そう思うや、ギャレマスはスウィッシュに対して申し訳なくてたまらなくなり、そっと彼女に近付くと、小さな声で囁きかけた。
「スウィッシュ……サリアの我儘に付き合わせてしまったようで……すまぬな。まったく……困った娘だ」
「あ……いえ!」
スウィッシュは、ギャレマスに囁きかけられた事に大いに驚き、目をパチクリさせながら千切れんばかりに首を横に振る。
そして、ギャレマスに向かって、必死な様子で言った。
「べ、別にサリア様の我儘に付き合わされたわけではありません! サリア様を責めないで下さい!」
「あ……そ、そうなのか。ま、まあ……そういう事なら、分かった……うん」
スウィッシュの必死さに戸惑いつつ、コクコクと頷くギャレマス。
と、ニコッと微笑んだスウィッシュが、ギャレマスの耳に顔を近付ける。
「……陛下」
「う、うんっ? な、何だ?」
間近に迫ったスウィッシュの顔と、鼻腔をくすぐる微かな匂いでやにわに胸を高鳴らせつつ、ギャレマスは訊き返した。
すると、彼女は僅かに頬を染めながら小さな声で囁きかける。
「……あたしは、西街路の喫茶店で食べた揚げパンとローズティーがおススメです!」
「……お主も存分に楽しんでたようだな、スウィッシュよ……」




