魔王と大きいと小さい
「貴様は……“伝説の四勇士”の――!」
両手を前に掲げ、氷筍造成魔術の発動姿勢を取ったまま、スウィッシュは叫んだ。
銀盆に載せて運んでいたポットが床に落ち、熱い薬湯が彼女の脚を濡らすが、彼女はそれにも気付かぬ様子で、紫の瞳を憎しみでぎらつかせながら、自分の魔術を躱した人間族の聖女を睨みつける。
「おのれ……! 薄汚い人族の女狐め! あたしのいない間に陛下の居室に忍び入り、そのお命を狙おうとは……!」
「ふん……。挨拶も無しに、いきなり殺意満々の攻撃を仕掛けてくるなんて汚いですわ、さすが魔族汚い」
「黙れっ!」
エラルティスの言葉に激昂したスウィッシュは、前に伸ばしていた腕を十字に交差させ、新たな魔術を発動する。
「氷漬けになってしまいなさい! 阿鼻叫喚氷晶魔術ッ!」
スウィッシュの絶叫と共に、彼女の交差した腕から無数の氷雪弾が放たれる。
「何の――!」
と、彼女の攻撃に対し、一度は聖光壁を張って防ごうとしたエラルティスだったが、
「――ッ! やっぱり、無理ッ!」
迫り来る夥しい量の氷雪弾を前に、危険を察知した彼女は、咄嗟に詠唱を止めた。
そして、再び真横に跳躍し、紙一重のところで氷雪弾の直撃を避ける。
「……危ないですわねェ! これ……直撃したら、氷漬けになるどころか、ミンチよりも酷い事になるヤツじゃないですの!」
部屋の分厚い石壁が、無数の氷雪弾によって細かな穴をいくつも穿ち抜かれ、ガラガラと音を立てて崩壊したのを見て、エラルティスは顔を引き攣らせた。
そんな彼女の抗議の声に対し、スウィッシュは幼さの残る顔に凄惨な笑みを浮かべながら答える。
「大丈夫。痛みを感じる前に、冷気によって痛覚は麻痺するから。安心してシャーベットになりなさい!」
「チッ! 可愛らしいお顔の割に、言う事は随分とえげつないですわね、このお子様!」
「はぁ~ッ?」
エラルティスの言葉に、スウィッシュの表情が更に険しくなる。
「し、失礼な! あたしは、この前成人の儀を受けた、れっきとした大人の女よ! あなたの目、節穴なんじゃないの?」
「あら、成人済みだったんですの?」
スウィッシュの反論に、エラルティスは大げさに驚いてみせる。
「それはごめんなさいねぇ。あんまりお胸がぺったんこでしたから、てっきり、まだおむつも取れてないお子ちゃまなのかと思っちゃいましたわぁ~」
「……あ゛?」
エラルティスの多分に挑発を含んだ発言を聞いた瞬間、スウィッシュの目が吊り上がった。
その顔を見た瞬間、それまで呆然とふたりのやり取りを傍観するばかりだったギャレマスの顔色が、一気に青ざめる。
彼は、慌ててスウィッシュに向けて叫んだ。
「お、おい、スウィッシュよ! い、今のは、この女の安い挑発だ! ま……真に受けるな!」
――だが、魔王の声は、スウィッシュの耳には届かない。
不意に、彼女は顔を伏せた。
「……ぺったんこ……お、お胸が……ぺったん……ぺったん……ぺったんこ……」
そして、ぶつぶつと呟きながら、プルプルと肩を震わせていたが、
「…………誰の胸が! 誰の胸が“センガー草原の小さな胸”じゃこのボケがあああああ――ッ!」
と絶叫しながら顔を上げる。
「ひ――ッ!」
もし、嚇怒古龍ホーシセイがこの場に居合わせたら、畏れ慄きながら自らの“嚇怒”という二つ名を返上しかねないだろう……と思わせるほどの、激しい憤怒の表情を見たギャレマスは、思わず腰を抜かした。
だが、そんなスウィッシュの夥しい怒りを一身に受けたエラルティスは、皮肉気な笑いを浮かべながら、その殺気に満ちた視線を受け止め、逆に胸を張った。
――その、たわわに実った双つの大きな胸を殊更に強調してみせるように。
「あらあら、図星を指されてお顔真っ赤になっちゃいました? ごめんなさいねぇ。持たざる者の気持ちとか、良く分からないものでぇ~」
「うるっさい、デカきゃいいってもんじゃないのよ! この色ボケ女!」
嫌味満点のエラルティスの言葉に地団太を踏みながら、スウィッシュは彼女の大きな胸に指を突きつけながら叫んだ。
「きょ……巨乳なんてね、年を取ったらみるみる萎んで、最後にはしわくちゃの干しブドウみたいになっちゃうのよ。ちょうど、コゼン洞に棲んでるシューラア媼みたいにね! いい気になってるのも今の内なんだから!」
「ほ……干しブドウ……ッ?」
スウィッシュの言葉に、エラルティスの頬がひくついた。そして、両掌で自分の胸を隠すようにしながら掴み、ブンブンと頭を左右に振る。
「そ……そんな事――」
「別に信じなくてもいいけどね。ていうか、貴方たち人間族の寿命なんて、魔族の三分の一にも満たないんだから、答えはすぐ分かるわよ……くくく」
「お――お黙りなさい、愚かで矮小な魔族が!」
「って、その“矮小”って、“魔族”と“胸”の両方にかけてんのかッ? 上手く言ったつもりか、このおっぱいだけが取り柄のエセ聖女が!」
「お黙りなさいって言ってますのよ、この胸部絶壁チンチクリン娘ッ!」
エラルティスとスウィッシュは、互いに目を血走らせ、激しく睨みあう。
そして、
「「殺すッ!」」
同時に叫ぶや、指を忙しく動かしながら、お互いの持つ最高の魔術と法術の印を中空に描き始めた。
その時――、
「や……止めよ、ふたりとも!」
そう叫んで、対峙する二人の間に割り込んだのは、ギャレマスだった。
彼は、ふたりの顔を交互に見回しながら、彼女たちを説得しようと声を張り上げる。
「こ、ここで、本気で戦うのは止めよ! こんな所で戦っては、周りに甚大な被害が出る! ここはお互い冷静になるのだ!」
「へ……陛下……」
「魔王……」
ギャレマスの必死の訴えに、憤怒に駆られるあまり正気を失っていたふたりが、ハッと我に返った。
彼女たちは、憮然とした表情を浮かべながらも、発動しようとしていた術をキャンセルしようとする。
「ま、まあ……、他ならぬ陛下のご命令とあれば、あたしは従います……喜んで……」
「ふ、ふん、興が醒めましたわ。……先ほどの暴言は、聞かなかった事にしておいてあげますわ……」
「そ……それで良い」
魔王は、冷静になったふたりの顔を見て、ホッと安堵の息を漏らし、思わず口を緩ませた。
「大きいだ小さいだと……。たかが胸ごときで、命を賭ける程の戦いを行なう事など、愚か――」
「「女の胸の事を、“たかが”とか言うなあああああぁぁぁぁっ!」」
「ギャアアアアアアアアアアア――――ッ!」
愚かにも、乙女の逆鱗に触れる一言を不用意に発してしまった魔王ギャレマスは、ノーモーションで放たれた、ふたりの最大必殺術を一身に受けてしまうのであった――!
【イラスト・くめゆる様】




