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「これ降りたら、もう帰らなくちゃ」

 観覧車の籠の中で、フタバは外を眺めながら呟くようにそう告げた。

「うん、そうだね」

 惜しむ響きもなく返された、短い言葉。

 フタバは、向かいに座るヨウに窺う眼差しを向ける。ニコリと笑った彼から、フイとまた眼を逸らした。外に目を向けたまま、素っ気なさを装って言う。

「あの、さ。友達としてなら、また付き合ってもいいよ」

 出逢ってまだ五時間かそこら。

 フタバには、このまま彼と別れてしまうのは、何となく、良くないことのような気がした。

「あんまり時間取れないけど、たまにこうやって遊びに行ったり――」

 ヨウからの返事は、ない。

 顔を前に戻せば、彼が真っ直ぐに彼女を見つめていた。その眼差しに溢れるものに、フタバは言葉を失う。


 出逢って早々、ヨウは付き合って欲しいと言った。だから、フタバに対するそれなりの好意が彼にはあるのだと思う。


(でも……)


 ヨウから伝わってくるその想いは、ただ、『好きな女の子』に注ぐものだとは思えないほど、深い。彼の眼は、そう、告げてきている。

(なんで、そんなふうにわたしを見るの?)

「ヨウ……?」

 名前を呼ぶと、彼は微笑んだ。どことなく、寂しそうに。

「うん、そうしたいな」

 そう答えてから、ポツリと呟く。

「……そうしたかった、な」

 その声に潜むものに、フタバは胸を衝かれた。

 彼が言外に告げているのは、そうはできない、ということだ。


「わたしが最初に断ったから? でも、あの時はヨウのこと全然知らなかったし……」

 口ごもりながら弁解しようとしたフタバに、ヨウがかぶりを振る。

「そうじゃないよ」

「でも」

 更に言い募ろうとしたフタバの唇を封じるように、人差し指が押し当てられた。

「一つ、お願いしていい?」

「……何?」

「君のこと、抱き締めさせて欲しいんだ」

 ヨウは軽く首を傾げ、「いい?」と眼で許しを求めてくる。

 彼が何を考えているのかさっぱり解らなかったけれども、こいねがうその眼差しを、フタバは振り払うことができなかった。

 ただ頷いた彼女に、ヨウがふわりと笑う。

 そっと伸びてきた手がフタバを引き寄せ、彼の腕の中に包み込んだ。

 腕の力は、強くない。

 まるでフタバが壊れやすいガラス細工か何かかと思っているかのような、優しいものだ。

 最初こそ身を硬くしていたフタバだったけれども、じきに緊張も解け、ヨウの広い肩に頭をのせて力を抜いた。

 触れ合うところから、彼の鼓動が伝わってくるような気がする。それが、不思議なほどに心地良かった。


(やっぱり、何だか懐かしい気がする)

 こうしていると、出逢ったときに彼に対して感じたものがふわりと胸の内に広がった。自然と、ヨウの背に手が回る。その手に力を籠めると、ホ、と、ヨウが小さく息をついた。


「ずっと、君と笑い合いたかったんだ」


 囁いた彼の腕が、少し、きつくなる。


「ずっと、君と言葉を交わしたかった。君が楽しいと思うものを一緒に楽しいと感じて、美味しいと思うものを美味しいと感じて。一緒に歩いて、こんなふうに、君を抱き締めたかった――いつも君がしてくれたように」


 その告白は、とても小さいかすれ声だというのに、激しい慟哭のようにフタバの胸の奥深くに突き刺さった。

「ヨウ――」

 何か、言葉を掛けなければ。

 それがどんな言葉かも決まっていないまま彼の名前を口にしたフタバを遮るように、電子音が狭い籠の中に鳴り響く。

 それに応じたのは、フタバではなくヨウだった。


 彼はフタバを解放し、いつの間にか床に落ちてしまっていた彼女の鞄を拾い上げる。

「電話、出た方がいいよ」

「でも」

 かけてきたのは、きっと母だ。他にこの電話を鳴らす人は、そうそういない。

「出て、フタバ」

 再びヨウに促され、フタバは通話ボタンを押す。

「二葉!?」

 思った通り電話の主は母だった。それは当たっていたけれど、とても狼狽している。

「ちょっと、ママ落ち着いて。何言ってるか判らない……」

「だから、一葉が――」

 母が、何かを言った。

 けれど、それは、背後から投げかけられた声に掻き消される。


「君の足なんて、僕にかすりもしなかったよ」


「え?」

 パッと振り返ったそこには、誰もいなかった。

「ヨウ?」

 名を呼んでも、もちろん、返事はない。

 愕然とするフタバの手の中で、携帯電話がしきりと何か訴えている。フラフラと手を上げ、再びそれを耳に押し当てた。

 支離滅裂な母の声が、混乱したフタバの耳から耳へと素通りする。

「よく、聞こえなかった。もう一回言って?」

 彼女のその台詞は、正しくなかった。

 本当は、ちゃんと、聞こえていた。

 聞こえていても、フタバは、小さな筐体に縋り付くようにして母に乞うたのだ。違う言葉が返されることを願って。

 ――けれども、その希望は叶えられなかった。


「一葉が、逝ってしまったの」


 カタリと音を立てて、電話がフタバの手から滑り落ちる。


「カズハ……」


 『カズハ』――『一葉』――『葉』――


「『ヨウ』……?」


 たった今まで答えてくれる人がいたその名を、フタバは呟いた。

「ヨウ、ヨウ――カズハ!」

 呼ばわりながら狂おしく前後左右を見回しても、誰もいない。

 呆然とその場に立ちすくむフタバの髪が、そっと撫でられた気がした。

「カズハ!?」

 振り返っても、やっぱり誰もいない。


 けれど。


『僕も同じだよ。君が笑うと、僕は幸せになれるんだ』


 だから、笑っていて、と。

 優しい声がフタバを包み、そして、ふわりと溶けていった。


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