白骨チラリズム
「酷いと思いませんか!? だって、仲の悪い人相手で、一対一で喧嘩してるならわかりますけど! よってたかって一人をですよ!? しかも間違えて私になんて!!」
「まあまあ。向こうも悪気があったわけじゃないから……」
おかっぱ頭の少女が、俺に向かって唾が飛ぶほどの勢いで叫ぶ。少し吊り目で幼い彼女は、どうやら憤慨しているらしい。
事の発端は、今日の昼休み。
旧校舎一階の女子トイレにいた彼女に悲劇が襲いかかったのだ。
その事件はごく単純。
個室に入っていた彼女の頭上から、大量の水が降り注いだ。
犯人は、二年生の女子二人。その後ケラケラと笑いながら、楽しそうに去っていったそうだ。
もちろん、花ちゃん……水をかけられた彼女に咎があるわけではない。
彼女はただそこにいただけ。その女子二人とは話したこともないし、恐らく顔を見たこともないそうだ。
そして、女子二人の狙いは、本当はその横に入っていた一人の女子。しばしば、彼女はそのトイレでご飯を食べていたらしい。その様は、よく花ちゃんも見ていたという。
不思議に思ってはいたそうだ。
大きな眼鏡をかけたその子が、何故わざわざトイレで食事などしているのか。食事が終わっても、なかなかトイレから立ち去りそうにないのは何故なのか。
そして、その『トイレ』に、今はほとんど人の立ち寄ることのない旧校舎の一階を選んだのか。
「悪気がないわけがないじゃないですか! 明らかにあの子を狙ってたでしょ!!」
「たしかにそうだけど。花ちゃんには、ってことね」
花ちゃんが、階段の踊り場で地団駄を踏む。……上履きとはいえ、そこの床傷んでるからあまり力を入れないでほしい。
「ならなお悪いですし。なんであの子が水をかけられなくちゃいけないんですか!!」
「まあ、いじめってそういうもんだしなぁ……」
難しい問題だ。
今聞いた限りでは、眼鏡の女の子はいじめられっ子。そしてかけた二人はいじめっ子という感じではあるが。
俺にはなんとも言えない。
やったのはいじめっ子で、明らかに二人が悪い。教師に怒られて然るべきだし、罰を受けるのも当然だ。
だが、やめさせるのも難しい。
教師がやめろと言ってやめるものでもないだろうし、彼女ら三人の間だけの問題じゃないかもしれない。
まったく、俺たちの代にはそういうのはいなかったというのは、きっと幸せなんだろうな。
「……今度、話し相手にでもなってやれば?」
そのいじめ自体は、俺たちにはきっとどうにも出来ないだろう。だが、眼鏡の彼女に味方することは出来る。
他でもない花ちゃんが、そのトイレでよく目にするのだから。
「突然話しかけて、怖がられたりしません?」
「どうだろう……。俺とかならまずいかもしれないけど、花ちゃんなら大丈夫じゃない?」
トイレに入ったときに、隣から話しかけられる。男子ではあまりないことだが、女子ならままあるのではないだろうか。いや、俺女子トイレ入ったことないから知らないけど。ほら、男同士なら小便しながらとかあるし。
「細かい事情がわからないと、ちょっと何も出来ないし」
俺は軽く首を動かし骨を鳴らす。パキパキと軽い音がした。
「……そうですね。今度折を見て、話しかけてみます」
気合いを入れて、花ちゃんが吊りスカートの肩紐をつまんで直し、鼻息を吐く。
見た目高校生には見えないが、まあ声だけなら大丈夫だろう。
「話変わりますけど、今度の文化祭の日どうします?」
「文化祭? ああ、後夜祭のほうね」
「私、花火上の方で見ようかな、なんて思ってるんですけど……」
「うん。三階の廊下からよく見えるからね」
この学校の文化祭、特に後夜祭は見所がある。
花ちゃんとの共通の友人である鹿島さん曰く、どうやらこの学校の卒業生に花火師がいるらしく、その好意で打ち上げ花火が安く手に入るそうだ。その上、花火を名目にすると寄付金がよく集まるらしく、毎年七桁万円の打ち上げ花火が校庭で打ち上げられる。
今までは、友人も少ない花ちゃんは、旧校舎の一階から見上げるようにして見ていたらしい。だが、今年からは俺という友人も出来、そして鹿島さんもいることだし、みんながいるところで見ようと思ったのだろう。多分。
「いいんじゃない? 鹿島さんでも誘って、一緒に見たら」
「いえ、そうじゃなくて……」
たしか、バスケ部の……太郎だっけ? なんか、イケメンも花ちゃん目当てに来るらしいし。
正直、あのバスケ部が花ちゃんに声をかけるのは腹立たしいが、鹿島さんがついていればどうにかなるだろう。
「……ま、毎年綺麗ですよねー。いつも木が邪魔で、見れなかったりしたんですよ」
「へえ。まあ、あの辺りはあまり剪定とかもしないからね」
旧校舎の入り口は、もう人もあまり使わないということで手入れもあまりされていない。蜘蛛の巣も取り払われず、校舎の中も含めて虫も多い。いつもここにいる俺の身体にも、知らぬ間に蜘蛛がよく這っているほどだ。
「今年はどんな花火ですかね-。変わり花火もよくあったりしてー……」
「アニメにちなんだやつとかあるよね。あの、モンスター捕まえるボールとか」
十年くらい前だっけ。あれはよく出来ていたと思う。きちんと上側に赤い半球が来て、下は白色の火花が散る。あれは下から見あげると、色が混ざって見えてしまうと思ったが。
「あれは横からの方が綺麗に見えると思うけどね」
校舎の二階以上。欲を言えば、三階か屋上がいいと思う。
「で、ですよね-。今年も、ああいうのが来たら勿体ないですもんねー」
サスペンダーをいじりながら、花ちゃんが目をそらす。
「だから、私、上に来ようと思っているんですけど、あの、貴方は……」
「俺はいつも通り、ここから見るよ」
ここは三階から屋上へ抜ける階段の踊り場。三階の廊下よりは視界も狭いが、見上げればちょうど上部にある窓から校庭の上空が見える。
「それとも、花ちゃんは屋上へ行く? やめといたほうがいいよ、大体柄の悪い先輩たちがたむろしてるし」
「いえ、いえいえいえ、そうじゃなくて……」
「あらあ……お邪魔……?」
そんなことを話していると、ずるずると身体を引きずるように誰かが階段を上ってくる。
その声に俺は下を覗けば、手すりにかけられた手が見えた。
この手袋は、鹿島さんか。
ようやく顔を見せた鹿島さんは、満面の笑みで花ちゃんを見た。
「キヒヒ、文化祭のこと?」
「え、そ、そうだけど……」
「花火ねぇ……。綺麗でしょうねぇ……、フフ……」
用事があるわけではないのか、鹿島さんはそのまま俺たちをスルーし、屋上へ向かう階段に手をかける。
それから振り返り、俺を見た。
「フフ……二人で見る花火はさぞ綺麗でしょうね……」
「……おう? 楽しんでくれよ」
俺の言葉に噴き出すように笑うと、鹿島さんは先を急ぐようにスピードを上げた。
どうやら、鹿島さんも花ちゃんと一緒に見る気だったらしい。
ならばいいだろう。二人で見てきてほしい。悪い虫を追い払うのは鹿島さんに任せた。
太郎め。イケメン死すべし。
花ちゃんを、と見れば、少しだけ唇を尖らせているように見える。
何が不満なのだろうか。
まあいいや。
とりあえず、俺の心配はなくなったということで。
「もういいですー。私戻りまーす」
「……おう?」
そんなわずかな安心を咀嚼していると、花ちゃんがやや不機嫌な様子で階段を降りていく。
女心は難しい。
俺はそう思った。
次の日。
「ぎゃあああああああ!!!」
そろそろ昼休みも中盤になろうかという頃。
旧校舎の下から叫び声が響き渡った。
何事か、と俺が下を覗こうとすると、大急ぎで駆け上がってくる足音がする。
まるで逃げるように、大きな眼鏡をかけた女生徒が、振り返り振り返り階段を上がってきていた。
何から逃げているのだろう。
「待って、待ってって!」
そう、その後ろに目を向けると、そこにはこれまた急ぎ走る花ちゃん。
……え、ファーストコンタクト失敗?
逃げるのに、屋上へと続くこの階段を上ることもないだろうに。女生徒は、それでも脇目も振らずにこちらへと上ってくる。
ダンダンと、傷んだ階段を気遣うこともなく、力強い足取りで。
「あ、待って、そっちは本当に……!」
駄目、と花ちゃんが止めるのも聞かずに、踊り場まで来た女生徒が、こちらを見る。
目が合った。
「ぎょえええええええ!!!」
そして、まだ全力で叫んでいなかったのか、という感じの絞り出す声を発し、すっころんで壁に激突する。
あ、水色。
それから転がるように階段に手をかけた彼女が、上を向いた時に運悪く屋上からの扉が開く。
光が差すその扉を見て、あーあ、と俺も一つ呟いた。
「……きひっ」
這うようにして、鹿島さんが両腕だけで、下半身のない身体を支えて女生徒と向かい合う。
満面の笑み。それがまた一段と今は怖いだろう。
ずる、と女生徒の身体が階段の傾斜に合わせて踊り場まで降りてくる。
スカートがまくれ上がり、水色が見えようとも直せない。
追いついてきた花ちゃんが、そのスカートを急ぎ直し、そして俺を睨むように見た。
「……見ました?」
「見てません」
振れない首を横に振る。
見てない。俺は何も見ていない。
「かわいいねえぇ……、きひひ……」
「気絶しちゃってるじゃないですか……」
覗き込み、女生徒の安否を気遣うトイレの花子さんと、テケテケさん。
彼女が目を覚ましたときに、二人がいればまた気を失うのではないだろうか。
「……とりあえず、保健室でも連れて行ってやったら?」
まあ、そこにも動く人体模型がいるわけだけど。
旧校舎、真夜中に訪れた時に数が変わる十三階段。
その階段を下ったときに、壁の穴から覗き見る白骨死体こと俺は、彼女の今後を慮って溜息をついた。