第1章 魔の海域 4
「お待ちください!!」
アイルダシュ達がシェールを取り囲み、ジリジリと迫っていこうとしている後方で、行く末を見守っていた船員達の中から、その緊迫を割くようなハッキリとした口調で年老いた船乗りが歩み出た。
「何だ!!」
アイルダシュは、その怒りを隠そうともせず睨みつけた。
「少しだけ、シェールと話をさせていただいてもよろしいですかな?」
「船長。。。」
シェールは歩み出た老船乗りに視線を向けてそう言った。
年老いているとはいえ、この王族専用の船であるフェナリア号の船長を長年務め、数々の試練や荒波を乗り越えてきただけあって、船乗りとしての体格に恵まれており、その手腕に船員達も心酔している。
その船長がアイルダシュとシェールの間に割って入った。
「ならぬ!こやつの発言は、我に対する不敬罪である。命乞いすら許さぬわ!!」
「ですが、アイルダシュ様。この者が居なければ、これから先の航海を無事に乗り越えられるとは思いません。少しだけでもお話を・・・。」
「聞かぬと申しておる!!!」
アイルダシュは抜いた剣を船長に向けて振りかぶった。
暴君であるとはわかっていた。だが、礼を尽くして頭を垂れている姿に容赦なく叩きつけようとする姿勢に驚き、だが、なす術もなくその剣先を受け入れるしかない船長を、シェールは普段は鞭に変える手首のブレスレットとは別の左二の腕にある腕輪を短剣に変え、アイルダシュの振り抜いた剣をいなした。
「おのれ。。。 どこまで我に歯向かうか!!!」
アイルダシュのかん高い怒号が船上に響き渡る。
「シェールよ、これ以上は。。。」
船長は、これ以上アイルダシュを怒らせぬよう、またシェールに被害が及ばないように試みようとするも、その言葉をシェール自身が遮った。
「いいんだよ、船長。俺、このためにこの船に乗ったんだし。ていうか、これから起こるだろうことのため・・・。と言うかな?」
「え?!」
船長は落ち着き払った顔のまま自分を庇い、アイルダシュから視線をそらさないままのシェールを見上げた。
「お前ら、何をコソコソ話している!!」
アイルダシュの取り巻き達が、二人の様子を見て、またアイルダシュにつられてイライラした口調で二人を船首に追い詰めていく。
「船長、腰のベルトを欄干に固定して。」
船首まで追い詰められ、欄干を背にした船長にシェールは指示をした。
「お前はどうするんだ?」
「俺? 俺はやる事があるからさ。」
シェールは船長に少し視線を向けながら、少しニヤリとした表情を見せた。
「わかった。」
船長はその表情から、シェールが望んでいることがこれから起こるのだと悟り、軽く頷いて手早く自分のベルトを欄干にガッチリと固定した。
「間もなく大波がやって来る。だから船長、そのまま欄干をしっかり握りしめてて。」
シェールはかすかに笑ってはいるものの、いつになく厳しく緊張した表情をしている。
「お前達、わかっているだろうな?」
アイルダシュはぎらついた表情で取り巻き達に目配せをする。
「わかっているさ。」
「我らの連携は最強にして最凶よ!!」
「おうさ!」
「切り刻んでやる!!」
取り巻き達は余裕の笑みを浮かべながらシェールの前で剣を抜き、ジリジリと間合いを詰めていった。
生臭い、不穏な風が鼻をかすめた。
「来る。。。」
シェールが静かな声で告げた。船長は軽く頷き、目線と腕を振って船員達を船内へと誘導した。船長が欄干に自分の体を固定し、しっかりと欄干を握っているのだ。(何かある)と船員達は気付いていた。
「貴様ら、何をしている!!」
ゆっくりと船内へと移動する船員達を見て、アイルダシュがまた金切り声を上げる。
「なぁ。あんたらそんなに悠長にしていていいのか?!」
船員達の移動を遮ろうとしていたアイルダシュ達を止めるように、シェールは大声で言った。
「何だと?」
「我らに対して何という言葉遣いか!!」
「そんなゆとりないんだよ。あれが聞こえていないのか?」
「何だ?!」
アイルダシュはその言葉に反応した。先ほど、アイルダシュにしか聞こえなかったということもあった。
今度はシェールだけしか聞こえないのか?とも思った。しかし、もしかしてということもある。
アイルダシュやその側近達、船長を始め船員達も耳を澄ませてみた。
「。。。。。聞こえる。。」
「何だ?」
「歌?」
誰かが何かを話しているようにも聞こえる。
何かの旋律を歌っているようにも聞こえる。
静かに、柔らかく、低く、高く、美しく聞こえるが、不気味にも聞こえる不思議な旋律。
皆、この歌のような音がどこから聞こえるのか耳を澄ました。
静まりかえる船上。皆、身動きもせず音の元を探った。
微かにしか聞こえなかった音が次第に大きくなっていく。
不確かな旋律が、徐々に確立されていく。
聞き取れる大きさになると、それは単なる「歌」ではなく、聞き慣れない言葉での、何かの詠唱にも聞き取れた。
そのことに最初に気付いたのシェールであった。
「ダメだ! この音を聞くな!!!」
この歌のせいなのか、徐々に船員達の顔が虚ろになっていく。
アイルダシュやその側近達も、その歌に魅了されていく様がみられた。
(ダメだ、全員引き込まれる)
シェールがそう感じた時、突然船首の先の海面が盛り上がった。
帆船の1.5倍はある大浪の先端には、歌いながらか、それとも詠唱を唱えながらか、一人の女性が立っていた。
(人魚だ!!!)
まだ、意識のあった船長は思った。
血のような赤黒い髪は顔を半分覆い隠し、見開いた左目は髪と同じ様に赤い。
彼女は帆船を見下ろし、その赤い瞳を大きく見開いた。
「ほう、これはこれは。。 フェルリタ王家の者か?」
目を細め、嬉しそうに呟きながら頭上に上げた右手を振り下ろした。それと同時に盛り上がった海面が崩れ、帆船を飲み込むために襲ってきた。
「ちょうど良い。その身柄、いただこう!!」
アイルダシュ達は甲板で意識を無くして倒れていた。
船内に入った船員達の様子は確認出来ないが、おそらく全員倒れているだろう。
(もう、ダメだ。。。)
迫ってくる大波に恐怖を感じながら、船長はそこで意識を手放した。