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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

GOOGLING(グーグリング)

作者: 法月える

最後までお楽しみ頂けたら幸甚です。

01


 死体は何処(どこ)に捨てれば良いだろうか?


「その時」は、妙に落ち着いていて、そんな先のことを考えていた。

 最愛の人が錯乱し、書類を呑み込もうとしたとき、テーブルにあった包丁で胸を刺した。



 騒音。

 唾を飲み込んだときそれが一瞬だけやんだ。

 自分の呼吸があり得ないほど荒くなっていたことに、そこで初めて気がついた。

 目を閉じ、もう一度唾を飲み下す。

 目を開ける。

 これが夢であることを一瞬だけ期待したが、そうでないことを改めて認識する。

 転がった椅子の隣、壁にもたれ「人だったもの」が力なく座りこんでいた。

 胸には包丁が深々と突き刺さっている。

 手をだらりと床につき、涙に濡れた目は開いてはいるが、その瞳にはなにも映っていない。

 唇にはクシャクシャに丸められた書類が(くわ)えられ、その隙間から血が(あふ)(あご)の下まで赤色の線が引かれていた。

 血。

 この匂いに動物は本能的に注意を引かれる。

 奇妙なことに気づいた。

 出血に比して、咥えられた書類が白い。あれほどの出血に(ひた)された薄手の紙は本来ならば所々、赤く染まらなくてはならないはずだ。

 口から書類を取り出す。

 支えを失った歯がカチリと鳴った。

 紙は薄く血を纏っている。やはり紙自体は血に浸されていたことは確かなようだ。

 だが、血液を染みこませてはいない。

 不思議なことに紙が血をはじいている。

 血の染みていないその紙は容易(たやす)く広げることができた。

 


『青赤山 36.226572 137.958217』



 息を飲んだ。

 赤い文字。

 明朝体に分類されるような整然とした文字でそれは書かれていた。

 血液が偶然にも文字に見えるような形で書類に染みこんだ。

 そんなことがあり得るだろうか。

 だが実際に、それは目の前で起きた。

 青赤山。(せいせきさん)

 学生時代、何度も登った山の名前。

 下の数字列は座標だろうか。

 スマートフォンを起動し、地図アプリを立ち上げる。

 紙に現れた数字を入力する。

 座標は青赤山(せいせきさん)、その5合目付近の地点を指しているようだった。

 確かあそこは、5合目までは車で行くことができる。

 ショック故の思考停止、あるいは自棄(じき)故の(たわむ)れか。

 死体を紙に現れた地点に遺棄した。

 車で向かう途中、一度も検問などはなく、渋滞もなく、道路工事すらなく、それどころか信号を全て青で通り抜けた。

 暗闇の中、誰一人として「作業中」の私に近づく者はおらず、あっけなさ過ぎるほど簡単に死体は手元を離れた。



***



 4日後、青赤山(せきせいさん)が70年ぶりに噴火した。

 大規模かつ広範囲に甚大な被害があった。

 噴火に居合わせたと思われる登山客ら50数名は全員行方不明。

 だが、私にとって重要なことはそんなことではなかった。

 報道ヘリコプターからの映像、写真。

 死体を埋めた5合目付近も灼熱の灰色で焼かれ、そして覆われ固められていた。


 死体は永久に消滅した。



***



 人が人を殺すことの心理的影響。

 法治国家で道徳教育を施された人間は決して殺人を肯定できない。

 恐怖。自責。後悔。喪失。

 強烈なストレスを抱え混濁(こんだく)する意識の中、この出来事を単なる偶然であると思うことはできなかった。

 奇蹟。

 奇蹟が起きたのだ。

 それだけが一筋の光明となり、私はそれ以外のことを考えることができなくなった。




02


 2度目の殺人を決行したのはその3日後。

 ベッドで眠る女に丸めたA4サイズのコピー用紙を咥えさせる。

 刃渡り20センチの包丁を鞄から取り出し右手に握る。

 胸がかつてないほど高鳴る。

 


 あの奇蹟はもう一度起こるのだろうか!?



 唾を一度飲み込んでから包丁を女の胸めがけて振り下ろした。


 肉を裂く音。

 骨にぶつかる衝撃。

 脂肪に滑る刃の感覚。

 固い筋を力任せに切断する。

 女が1度、軋んだ叫び声を上げたような気がする。

 気のせいかも知れない。

 確かめる術はない。



***



 筋肉疲労から来る全身の痛みで我に返り、包丁を押し込む手を止める。

 一体何分、あるいは何時間そうしていたのだろうか。

 女は絶命している。

 乱れた呼吸を意識的に整える。

 それでも右手に残るグロテスクな感覚は消えない。

 女の口に目をやる。

 紙は血に浸っているが、白いままだ。

 震える手で紙を取りだし、静かに広げた。

 


『起きる』



 紙には血文字が浮かび上がっていた。

 奇蹟の再現。

 だが……。

 眩暈がした。

 浮かび上がったのは意味不明の文字。

 決して救いの言葉などでは無かった。

 虚無感。

 脳から特定の分泌物が引いていく感覚がした。

 人を殺した。

 意味などなく。

 何の利益もなく。

 紙を握りつぶし、死体から目を背ける。

 混乱と恐怖と共に「犯行現場」を逃れようとしたとき、体に電流が走った。


 殺す瞬間、思考を占めていたのは何であったか。



〈死体は何処に捨てれば良いだろうか?〉



『青赤山 36.226572 137.958217』



〈あの奇蹟はもう一度起こるだろうか?〉



『起きる』



 鼓動が早くなる。

 息苦しいほどに。

 意味不明の文字が意味を持った。

 外に飛び出す。

 「生贄」を求めて。

 


***

 


 深夜の公園。

 初老のホームレスの男が公共のベンチを占拠し眠りこけていた。


 紙を咥えさせ人を殺せば、その時考えていたことの答えが紙に血文字で現れる。


 もしも、どんな問いにも答えがもたらされるとしたら、真っ先に問わねばならないことがある。

 男の口に丸めた紙を左手で押し込む。

 男が目を覚まし暴れ出すのをそのまま左手で顔を押さえ制す。

 包丁を振り下ろしながら、頭の中で叫ぶ。



〈お前は何者だ!?〉



 鈍い音を立てて心臓を刺し貫く。

 男の断末魔が聞こえた。

 この問いは本来、問う必要もないような問い。

 どんな問いにも答えをもたらすことのできる存在など、1つしかないからだ。


 男の抵抗がなくなり、絶命したことを確認する。

 口から紙を取り出し、広げる。


 これが威光か。


 操られたように、膝が折れた。


 視界が滲む。


 だが現れた文字は、網膜にハッキリと焼き付いていた。

 


『神』



 共に在る。気づけばこれ程明白なことはない。

 在ると確信して意識すれば感じることができた。


 神は、居た。




03


 世界というものはこれほどに彩りに満ちていただろうか。

 あの奇蹟から1ヶ月経った。

 私は幸せ以外に表現のできない生活を送っていた。

 勿論、「神託」の力によってである。

 神託を正確に授かる方法は既に確立することができていた。



「生贄」は人間であれば年齢、性別、人種は問われない。

 神託は1体の生贄につき、1つの問いのみ授かることができ、それは紙の大きさに影響されない。

 紙を生贄の口に入れ、心臓を鋭利な刃物で刺すと絶命の瞬間、口内の紙に血液が染み込み、神託が浮かび上がる。

 神託として現れた文字は、全ての人間が母国語として認識することができる。

 疑いの余地はない。この手順が正しいか否かも、神託として問い、授かっている。

「儀式」はもはや、私にとっての日常となっていた。

 初めのうちは興味本位から、SFに出てくる装置の製作法や、古代文字の解読法、未解決の数学の難問の答えなどを授かっていたが、直ぐにこれは無意味だったと悟った。


 まるで理解ができなかったのだ。

 この手の英知は知識の地層の積み重ねと言っていい。

 幾千と段階を飛ばし、頂点にある答えだけを手にしても、膨大な時を費やしその空白を埋めることなくそれを理解し、実現し、利用することはどんな優秀な研究者であっても不可能なことだ。

 そんな「失敗」を経ることで、私の「問い方」も洗練されていった。



 生贄は3体1組で用意し、内2体を、神託をスムーズに授かり続けるために使用する。

 1つ目の問いは、



〈次の死体処理に最もふさわしい場所はどこか?〉



 2つ目の問いは、



〈次の狩り場に最もふさわしい場所はどこか?〉


 

 そして本命の最後の1体で、私の最も知りたいことを問う。



〈私はこれから何をすべきか?〉



 つまりは、神に決めていただくのだ。次の行動を。

 神がすべきと言う行動をとるのだ。失敗などあろうはずがなかった。



 神託の力を最大限に得て私は、安定を手に入れていた。

 莫大な資産を形成し、住みよい土地で、煩わしいものとは一切の関わりを断ち、最善の行動をとり続けていた。

 イレギュラーなどない生活を手にすることで、混沌は消え去っていた。


 だがその日の得た、「これからすべきこと」はイレギュラーだった。




04



『左腕で防御せよ』



 ……何だ、これは?

 理解出来ないという感覚は久しぶりだった。

 しかし、今、手にしているものは神託なのだ。

 神を疑うなど、あってはならない。

 焦燥にも似た感覚を振り払うように、左手首をこめかみ辺りまで持ち上げる。

 こう、か……?



 瞬間、左腕に熱が走った。

 身体が右に傾ぐ。



 見知らぬ老人が立っていた。



 右手にナイフを持っている。それを認識した途端、左腕が激しく痛み、深く切られたことを悟った。

 何処から入った?

「祭壇」には万全のセキュリティを施している。

 この部屋入るためには、パスワード、指紋、声紋、虹彩認証のシステムを通過しなければならない。

 私以外の侵入者は高圧電流によって感電死する設定になっている。

 疑問を考察する間もなく、老人はナイフで再度切りつけてきた。


 ――速い。

 並の老人の速度ではない。

 体勢を崩しながら辛くもそれを躱す。

 そこで、老人が左手に紙片を持っていることに気づいた。 

 一瞬でその危険性を察知し、応戦を断念。

 全能力をこの場からの離脱に注ぐ決断をする。


 目線だけを動かし室内を見回す。

 使えるのは……。

 先刻、神託を得るために使用した3体の死体の内、1体からナイフを引き抜く。

 詮を抜かれた死体から、追撃態勢に入っていた老人に血飛沫が舞う。

 老人が左腕で顔を覆い、血飛沫が目に入るのを防ぐ気配を感じながら、緊急事態の為に机の下に用意しておいた脱出口の蓋を開ける。

 脱出口に身を滑り込ませる間際、老人が左手に持つ紙に描かれていたものを視界の端に捉えた。








05


 神託の通り〈最善の応急処置〉を行う。

 漫画雑誌をあてがいガムテープで留めるだけの簡素なもの。

 この程度で済むのなら、傷は見た目ほど深刻ではなく、毒物の類いも使用されてはいないだろう。



 脱出口は、路地裏のマンホールに繋がっている。

 この地点こそ、先刻神託によって答えを得た、〈次の狩り場に最もふさわしい場所〉であったことに気づいた。

 事実、この場所で目立つことなく2体の生贄を確保することができている。

 1体は最善の応急処置の方法を問う為に「使用」してしまったが2体目は、今まさに私が組み伏せ、逃げられないようにしている。

 応急処置をした傷を目で確かめる。もし、『左腕で防御』していなかったら、切られていたのは頸動脈のあたりか。

 乾いた唇を舐めて湿らす。

 ……神託がなければ死んでいた。

 目を伏せ神に祈りを捧げる。

 ――だが……。



 生贄が痛みに悲鳴を上げたところで、髪を掴む手に力を込めすぎて何本か引き抜いてしまっていたことに気がつき髪を掴み直す。

 記憶を辿り老人の持っていた紙に意識を向ける。



 私の似顔絵が赤い線で描かれていた。



 ……あの程度のもの、私の顔写真さえ手に(はい)れば容易に作成することができる。

 しかし、顔写真を入手しているのならば、わざわざ私を確認する材料として似顔絵を使用したのは何故だ? 単にその写真を使えば良い話ではないか。


 全身から汗が噴き出す。

 導き出される仮説。


 何故、似顔絵を持っていたのか?

 それは、あの「赤い線で描かれた私の似顔絵」こそ、神託であるからではないのか。



 神託は物理法則や数学の公式のように、条件さえ揃えることができれば誰であっても発現させられる。 私以外の誰かが神託を得ることに成功していても何も不思議ではない。





06


 生贄が最後の力を振り絞って暴れ出すのを制する。顔面をアスファルトですり下ろされ生贄が絶叫する。

 人通りの少ない路地裏とはいえ、何時(いつ)までもこうしている訳にはいかない。

 騒ぎになれば厄介だし、あの老人が神託を得ているならば、この場所も特定される危険性がある。

 一刻も早くここを離れることが望ましい。

 残る生贄はあと1体。何を問うべきだろうか。


 老人の正体?

 老人の殺し方?

 応急処置に使った死体の適切な処理方法?

 何を問うべきか問う?


 莫迦(ばか)な。

 混乱している。冷静に考えろ。

 ……死体を残すのは拙い。

 この場所を含む祭壇周辺の監視カメラは既に狂わせてあるが、精密な捜査をすれば、死体から私に繋がる証拠が出てくる可能性がある。

 ……しかし今はあの老人を優先するべき。

 あの老人は明かに殺意を持って私を襲撃してきた。放置すれば私が殺される。

 この場は最低限の処理で放棄し、あの老人を始末した後、改めてこちらの対処をするべきだ。


 であれば問うべきは、



〈現在最も安全に多くの人間が狩れる狩り場は!?〉



 生贄がようやく解放されたといったように身体を弛緩させる。

 抵抗のない口から神託を取り出す。



『黄青湖キャンプ場 35.629672 138.57276 』



 生贄が持っていた買い物袋からトイレ用漂白剤を取り出し、2つの死体に満遍なく振りかける。

 あの老人と戦う上で、必要な情報は神託1つでは(まかな)えない。まずは手札を増やすことだ。










07


 衝撃。

 衝撃。

 衝撃。

 衝撃。

 衝撃。

 衝撃。



 黄青湖(おうせいこ)キャンプ場。ドアを開けたまま車から降り、周囲を窺う。


「6体……か」


 家族連れだろうか。中年の男と女が1人ずつ、若い女が1人と子供が3人。泥と血に塗れた子供の男女の区別はつかない。

 幸い跳ね飛ばしたその全員に息があるようだ。

 大人も子供も儀式には問題なく使える。


 静寂。

 どうやらキャンプ場にこの家族以外の客は居ないようだった。

 この環境なら儀式に使った死体を放置しても即、問題となることはないだろう。



 抵抗されると面倒な父親とみられる男の側にナイフと紙を用意して立つ。

 最初にするべき問いは、道中で決定してきている。



〈あの老人は何人(なんにん)で行動している?〉


 

 ナイフを振り下ろす。

 男が金切り声をあげて絶命する。

 女と子供が共鳴するが無視をする。

 構っている時間は無い。



 あの老人が神託を得ているかどうかによって状況はまるで違ってくる。

 まずはここを確定させるべき。


 ……だが。

 あの老人自身が神託を得ているとは限らない。

 黒幕が別の場所で儀式を行い、実行部隊に過ぎないあの老人に命令を下しているという可能性がある。 その場合、真っ先に特定し始末すべきはその黒幕ということになる。

 或いは現時点では対処が困難なほどの大規模な組織が相手であった場合、籠城しつつの長期戦、または、リーダーの特定、人質等をとっての交渉も視野にいれなくてはならない。

 つまり今後の戦略決定の為にもあの老人が何人(なんにん)で行動しているかを真っ先に知っておく必要があるということだ。

 男の口から紙を取り出し広げる。



『1人』




08


 あの老人は単独犯であることが確定した。全知なる神により。


「……ならば話は早い」


 次こそあの老人自身が神託を得ているのか確認する。

 神託を得ていると確定するならば、その前提に立脚した戦略を取らなくてはならない。

 似顔絵の件から実際にその可能性は高いと見るべきだが、もし神託と無関係であれば一瞬で決着を付けられる状況を手遅れにしてしまう危険性もある。

 確認を取らずに事態を進めるリスクはあまりにも高い。



 母親らしき女の口に紙をつめる。

 もう1人の女は叫ぼうとして失敗し声なき声を発している。

 気力が限界に達したのか、子供達は大人しくなっていた。

 ナイフを突き立てる。



〈あの老人が最後に下す神託の内容は?〉



 母親らしき女が末期の叫びを上げると子供達が思い出したように耳障りな高音を発した。



***



〈死者を生き返らせる方法は?〉

〈現在地から1秒以内にカルフォルニア州まで行く方法は?〉

〈円周率の最後の数字は?〉

〈10÷0の答えは?〉

〈アメリカ合衆国の建国年とソビエト連邦の建国年はいつ?〉

〈今日はいい天気だ〉



 答えのない問い、または答えが無限にあり定まらない問い、1度に2つ以上の答えを問うこと、質問でないものを思い浮かべることに対して、神託は答えをもたらさない。

 正しい手順を踏んでも吐血まで至らない場合も多く、吐血が起こっても神託は出現せず、ただ紙が所々赤く染まって出てくるだけだ。



 よって今回の場合、あの老人が神託と無関係であれば何も現れない。

 神託を得ていれば、〈最後に下す神託の内容〉が出現する。

〈あの老人は神託を得ているか?〉と問えば、YES、NOの単純な情報しか得ることが出来ない。

 神託を得ているかどうかは知る必要があるが、情報戦の見地からそれでは手ぬるい。

 今回のような問い方をすれば、仮に神託を得ていた場合、あの老人の未来の情報を手に入れることができる。

 最後に下す神託の内容から、行動の傾向、私についてどの程度特定しているのか、また特定するのか、上手くいけば殺す為に有用な情報を知ることが出来るかもしれない。

 紙を広げ、神託を確認する。



『■』



 10センチ×20センチの血に塗りつぶされた長方形が浮かび上がっていた。




09


 確定した。

 あの老人も神託を得ている。

 だが、この神託は何を意味するのだろうか。

 まさか私が神託の先読みをすることを事前に読んでそれを防ぎに来たとでもいうのか。

 ……使える生贄は後3体。

 生贄を1体使ってこの神託について問うべきだろうか?

 ……いや。

 元々この長方形には意味がないのかも知れない。

 生贄の浪費。

 それこそがこの神託の狙いではないのか。


「……」


 この神託が罠の可能性がある以上、保留にするしかない。

 ここはあの老人自身が神託を得ていると確定できただけでも収穫とするべき。


 神託を得ているならば祭壇へ侵入することなど容易い。

 パスワードの看破は勿論、〈セキュリティを無効化する方法〉を問い、各セキュリティをクラッシュさせたか、もっと手間をかけて〈私の生体データ〉をコンピュータ言語等の形で紙に浮かび上がらせ自力で復元してもいい。

 僅かな制限はあれど神託には無限に等しい応用力がある。


「……殺すしかない」


 神託を得ている者に対し、逃走も潜伏も意味を成さない。

 最悪の場合、この場所も先回りをされ何らかの仕掛けが成されていてもおかしくはない。

 狙撃、落とし穴、ワイヤートラップ、地雷。エトセトラ。


 首を動かさず目だけで周囲を窺う。


 ……いや、このキャンプ場は〈現在最も安全に多くの人間が狩れる狩り場は?〉という問いに示された場所。

 神が安全を保証しているのだからトラップの類いはないと見ていい。

 狙撃や強襲もこの地形ならある程度、対応できる。



 大きく息を吐き、不安を追い払う。

 ……大丈夫だ。

 私はこの1ヶ月、儀式を日常的に行っている。神託の扱いに関しては分があるはず。

 先制は許したが私はこうして生きている。神は私の味方をしているのだ。

 敗北などするはずがない。




10


〈私はこれから何をすべきか?〉或いは、

〈私はこれから何を問うべきか?〉と問えば、



『○○○○を問うべき』



 という形で神託を授かることが期待できる。

 神が示す確度の高い情報を優先する場合は有効な手だ。

 しかしそれは生贄を倍速で消耗することも考慮しなければならない。

 相手が神託を得ていることは既に判明している。

 僅かな緩手でも命に関わる。これ以上の生贄の無駄遣い、生贄の補充はリスクが高すぎる。

 加えて、神がこの状況で立てるその問いをどう捉えるかは未知数という問題もある。

 可能性として、



〈私はこれから何を問うべきか?〉

    ↓

『私はこれから何を問うべきか問うべき』

    ↓

〈私はこれから何を問うべきか?〉

    ↓

『私はこれから何を問うべきか問うべき』



 という循環に陥る展開もあり得ると考えれば神に行動を決めていただくよりも、自らの判断で神託を授かることが求められる局面と言えるだろう。

 つまりここからは、私とあの老人の頭脳勝負ということになる。



***



 まず考えられるのは、



〈あの老人の最善の殺し方は?〉



 という問いだが、これには看過できない欠点がある。



『23:00.00に XXXX XXXXXにミサイルを撃ち込み爆殺』

『23:11.00に国会議事堂 XXXX XXXXX に放火し焼死させる』



 などの実現が困難な神託が出現してしまった場合、生贄を1体無駄したようなものとなる。

 実現可能性を重視し、



〈証拠が残らない〉

〈目撃者の居ない〉

〈直接手を下さず〉



などの条件を付け過ぎると今度は「答えが存在しない問い」として、神託が現れない危険性が出てくる。


故に問うべきは「殺しの手法」ではなく、「殺し易い状況」ということになる。




11


 時計を確認する。

 14:29.01。

 このキャンプ場に来てもう10分も経ってしまった。

 襲撃から逃れ、応急処置を行い、この場所の神託を下したのが14:04ごろ。

 場合によってはこの場所はもう安全と言えないかも知れない。

 残った生贄の中で最も幼く衰弱している子供の前に歩み寄る。

 思考の検算をしてから馴染みの手順で儀式を行う。

 口に紙をつめ、問いを思い浮かべ、ナイフで心臓を刺した。



〈あの老人の現在の居場所は?〉



 この問いをするメリットは攻防両面にある。

 何をするにしても相手の居場所が分からなければ何もできない。

 居場所からとれる手段も限定できる。

 襲撃してきた私の祭壇からどの程度離れたところに居るかによって、相手の殺意の度合い、目的、上手くいけば思考力も測ることができる。

 既にこの場所に向かっている、或いは既に潜伏しているという不安も払拭したい。



 神託を取り出す。



『GREENビル901号室 36.40008031 138.24143372 』



「ここは……」


 私の祭壇の場所だった。


 どういうことだ? あの老人は今、祭壇に居る。 

 あの老人は襲撃してから移動していない。

 或いは何度か祭壇を離れていたとしても、少なくとも現在は戻ってきている。

 私を襲撃したときに負傷しているようには見えなかった。

 負傷や不具合で身動きがとれなくなったのでなければ、考えられるのは祭壇を漁り、私に関する情報か、神託に関する情報、もしくは既に儀式に使用した生贄に関する情報を嗅ぎ回っているといったところか。

 専門家による科学捜査ならば話は別だが、祭壇には素人が調べたところで見つかるような私に関する痕跡は残していない。

 神聖な祭壇を踏み荒らされるのは不愉快だが、貴重な時間を浪費させた点は好都合と言える。



***



 緊張が緩むのを感じる。


 祭壇からキャンプ場まで直線距離で約20キロメートル離れている。

 即、狙撃や襲撃の危険性は去った。

 あの老人は1人で行動しており、現在は祭壇に居ることが確定したからだ。

 それに今更、家捜しなどをしているようでは、あの老人のレベルの低さも窺い知れる。

 家捜しで得られる情報など神託でいくらでも事前に入手できるからだ。

 つまり、この襲撃は神託により綿密に決定されたものではなく、突発的、或いは、それに準じる脆弱さを持つ可能性がある。

 もしかしたら私に関する情報は万全ではないのかも知れない。

 あの老人が「なるべく儀式を行いたくない」などという甘い信条を持っていたとすれば、ない話ではない。

 私の顔と祭壇の場所とその入り方だけ問えば最低限、襲撃は成立し得る。

 襲撃が失敗に終わり、急いで情報をかき集め体勢を立て直しているとなれば今は絶好の仕掛け時ということになる。


 残りの生贄は3体。




12



〈あの老人は何時何分何秒に死ぬ?〉



 若い女を生贄に儀式を行う。

 死亡時刻を問う。

 それを神が答える。

 つまりこの神託により、逆説的にあの老人の死亡時刻が()()する。

 神が示しているのだから。

 ここに現れた時刻に攻撃を行えばあの老人を殺害できる可能性は、極めて高い。

 子供達の声は聞こえない。

 無意識がノイズとして消音してしまったのか、本当に黙ってしまったのかは分からない。

 女の口から紙をつまみ上げ広げる。



『16:09.03』



 神託が下った。

 全知なる神が予言なされた。

 現在時刻から70分後、あの老人は死亡する。


 残りの生贄は2体。

 



13


 子供ら前に立つ、まだ息はあるが出血が酷い。

 もはや幾ばくもなく死を待つばかりだろう。

 早く儀式を行わなければならない。口に紙を押し込む。

 あの老人が私を見失い(少なくとも現在物理的に追跡はされていない)、悠長にも祭壇に居るのならば、先手を打って罠を張ることができる。

 3体もの死体が放置してある祭壇に居座り続けることはできない。

 何時(いつ)かはあの場所から移動を始めるだろう。

 その到着点を神託によって事前に予知すればいい。

 そしてそこに殺傷力のある罠を張っておく。作動させるのは当然16:09.03。 

 ナイフを振り下ろす。



〈あの老人の死に場所は?〉

 


 手に伝わる感覚で心臓を薄い肋骨(ろっこつ)ごと貫いたと分かった。



『赤ヶ原樹海 33.07532535 130.53135371』




***



 神託によってあの老人が赤ヶ原樹海(あかがはらじゅかい)で死ぬ運命であることが判明した。

 つまりこの場所に罠を張れば、あの老人を殺害できる。

 その運命は神が予告しているのだから。

 スマートフォンを取り出し地図アプリを起動する。

 座標の場所を入力する。

 思わず笑みがこぼれる。


「……これはいい」


 座標の示す地点は樹海深部、明らかに人気(ひとけ)が少ない。

 計算上、車をとばせば老人の死亡時刻よりも20分ほど早く到着でき、しかもあの老人が居座っている祭壇よりも、私が今居る黄青湖(おうせいこ)キャンプ場の方が距離的に近い。

 つまり確実に私の方があの老人の死に場所に先に到着できる。

 安心して必殺の罠を張ることができるという訳だ。

 罠さえ張り終えてしまえばこの勝負は決する。

 それが神が示す運命なのだから。




14


 最後は道中、そして赤ヶ原樹海(あかがはらじゅかい)に到着して罠を張り、撤収するまでの安全を確保する。

 罠さえ張ることができれば必勝だが、それを予知されていた場合、妨害される可能性は大いにある。

 罠を張った帰り道に殺され、そのまま罠にかかる老人を見送るような展開は笑い話にもならない。


 最後の生贄の前に立つ。


 左腕の傷の痛みが強くなっている。

 右手も返り血と人間を刺しすぎた影響で痺れてきた。

 汗ばんだ右手でナイフを握り直す。


 いくらでも先読みされる危険性がある神託を扱う者を相手に、防御を考えれば相応のリスクを負わなければならない。



〈私の死因は!?〉



 つまり、致命傷を限定する。


 仮に銃に撃たれて死ぬのならば、逆に銃にだけ気をつけておけば死ぬことはなくなるという理屈だ。

 病死や老衰死といったような明らかに今回の件と無関係の死因であればなおのこと安心できる。

 子供から抵抗感が失われ絶命したことを確認した。



 子供の口に指を入れる。

 2度神託を取り損ね私自身が緊張していることに気づいた。

 両手で神託を取り出し広げる。




『ナイフが刺さり死亡』




***



 何かを考えるより先に安堵に似た、奇妙な納得感を感じてしまった。



 やはり私は普通に死ぬことができないのだと。



***




 数秒の空白の後、思考が動き出した。

 この神託がどのような意味を持つか。

 死因が今回の件と無関係の可能性もある。それならばそれでいい。取り越し苦労でも損はしない。

 問題は関係していた場合。むしろその前提で考えを進めるべきだ。


 ナイフ。

 思い出すのは祭壇での襲撃。あの老人はナイフで首を狙ってきた。

 手軽かつメジャーな兵器なのだから、偶然の可能性は決して低くない。

 しかし最悪の場合、私の死因を把握されている可能性は考えておかなければならない。

 だが、ナイフであることはある種幸いと言える。

 その特性上、接近戦さえ避ければ危険な状況は相当に制限できる。

 安全確保という面で、赤ヶ原樹海(あかがはらじゅかい)までは乗車していれば問題ないだろう。



 背後で物音がした。

 反射的に拳銃を構える。

 拳銃は当然、神託を利用して入手し携帯しているものだ。

 車の方からサイレンのような音が聞こえる。

 ……いや、これは……。

 ゆっくりと車の下をのぞき込む。


「……もう1人いたのか」


 分厚い布に包まれた赤ん坊が泣き喚いていた。

 乳児でも口に紙を咥えさせることができれば問題なく儀式を行うことができる。

 ……予備を持っておくことは悪いことではない。

 あの老人を殺害した後の処理、路地裏、キャンプ場での諸々の処理、或いは、日常を取り戻したとき、新たに神託を授かる為の狩り場を問うのに使ってもいい。

 今すぐに使わなくとも、使い道はいくらでもある。

 赤ん坊を車に積み込み、赤ヶ原樹海(あかがはらじゅかい)に向けて発進させた。








15



「……ここか」


 赤ヶ原(あかがはら)樹海(じゅかい) 33.07532535 130.53135371。

 樹海とはいえ道があり、車で問題なく到着することができた。

 (うるさ)かった赤ん坊は、火薬の匂いが落ち着くのか後部座席の爆薬の側に転がして置いたら、いつの間にか眠ってしまった。呼吸は確認できる。生存はしているようだった。

 運転席から降り、腕時計を確認する。

 15:54.01。

 あの老人が死亡する時刻までまだ15分ある。

 ここに積んできた爆薬を仕掛け、時間通りに爆破させれば、死亡時刻丁度に、死に場所で死なせてやることができる。

 


 左腕に激痛。


 腕時計の横、応急処置に固定している漫画雑誌を貫いて、刃渡り15センチはあろうかというナイフが刺さっていた。

 鋭い風切り音。

 1メートル前方、ナイフが地面に突き刺さった。

 左腕に生えている物と同じ物だ。

 弾かれたようにナイフが飛んできた方角を見る。

 


 あの老人がボウガンを構えて立っていた。



 風切り音。

 ナイフが右足を掠め地面に突き刺さる。


 ――改造したボウガンでナイフを飛ばしているのか……!


 原始的な!

 とにかく距離を取るために老人と逆方向に走り出す。

 同時に拳銃を取り出し、応戦体勢を取る。

 何故だ。

 この地点への距離は確実にキャンプ場からの方が近い。

 なのに何故、あの老人に先を越された!?

 老人がボウガンを放り投げ、ナイフを右手に恐るべき速度で駆け寄ってくる。

 瞬く間に距離を詰められる。

 狙いを付けている時間はない。

 とにかく弾丸をバラ撒くしかない。

 発砲。連続で。

 老人は時折僅かに動きを止めたり、身体を捻ったりしながら弾丸を躱す。

 当たらない。いや…。


 ――弾着点は予知済みか……!


 老人は明らかにこの戦いに備えて、神託を得ている。

 私が拳銃を所持していることも既知(きち)であれば、弾着点を問うことに思考は到達しうる。

 しかしそれは弾丸の数だけ儀式を行うということ。その数だけ人を殺すということだ。

 恐るべき執念を悟るには余りにも遅すぎた。

 老人は間合いに入り、私に組み付きそして押し倒す。

 拳銃が手を離れ地面で何度か跳ね、茂みに失われる。

 倒れ込む間際、木陰にハンググライダーが静置していることを発見した。

 これが、瞬間移動の手品の種か。

 私がキャンプ場からここまで車で移動している間、老人は祭壇からハンググライダーでここまで空中を直線的に移動してきたのだ。

 老人は私に馬乗りになり、無表情にナイフを振りかぶった。

 整然とした血文字が脳裏をよぎる。

 



 『ナイフに刺されて死亡』






16


 死。


 それを受け入れかけたとき、車から赤ん坊の泣き声が聞こえだした。

 瞬間、脳内で構築される勝利の方程式。

 叫ぶ。


「頼む、殺すな! 大事な子供なんだ!」


 命乞い。

 こんなもの普通は通用するはずがない。

 だがもし、この老人がかつて身内を殺された復讐を目的としていたら? 

 私を感情のない大量殺人鬼と錯覚し、粛正を決意したというような甘い正義感を持っていたら?

 揺れる可能性は、ある。

 樹海にサイレンのような泣き声が響き渡る。


 そして結果は――。







17


 老人は硬直していた。


 目を見開き、明らかに顔色に変化が生じていた。

 恐らくは無意識に、僅かに拘束が緩む。

 すかさず、渾身の力を込めて老人をはね飛ばす。

 老人は地面を転がり大木に激突する。全身を強打し、叫び声を上げた。

 !?

 その声には聞き憶えがあった。

 ……そうか、だとすると納得がいく。

 そうだと思って見れば見るほど、似ていることに気がついた。声質、体格、顔つき。

 私は思わず問いを発した。




「お前は……私か……?」




 老人は一瞬、虚を突かれたような顔をしたが、すぐに目を伏せ表情を消した。

 1秒ほど上空を仰いだ後、唇の端をつり上げ、壊れた機械の音のような笑い声を上げながら身を起こした。


「成る程、世界はこう変わるのか。私より気づくのが3分も早い」


 そう言いながら老人は懐から1枚の紙片を取り出し広げて見せる。


 私も懐から紙片を……神託を取り出し広げる。


「……いつもお前は未練がましくそれを持ち歩いていた。そうだ、全く同じ物だ」


 そう、何もかもが全く同じ物をお互いに見せ合う。




「タイムマシンの設計図だ」




***



「大変だった、造るのに、62年も掛かってしまった」


 老人はまさしく自分に言い聞かせるような平坦な声で言った。

 私はそれを馬鹿げた話だと斬り捨てられない。

 神はできると言っているのだから。


 命のやり取りの最中であるにもかかわらず、気を抜くと、タイムマシンの実現性について思考を持って行かれる。

 


 最愛の人の顔が思い浮かぶ。




 その記憶が血の匂いを帯びた瞬間、思考を引きはがす。


 とにかく時間を稼ぐ。そして、できるだけ情報も引き出したい。

 であれば、隙を窺いながら話に乗ってやることが最善に思えた。


「………動機はなんだ? 

それだけの苦労をして、過去の自分を殺そうとするなんて……意味が分からない。

そもそもタイムパラドックスが生じるんじゃないか?」


 老人は昔を懐かしむような目をして応える。


「最初は最愛の人の救出を目的にタイムマシンを造っていた。だが察している通り挫折した。

時間遡行の限界点が今、この時空なんだよ」


 私が言葉を詰まらせているのを老人は興味深そうに眺めながらやや熱を込めた声で言い放つ。


「だから今は次の目的の為にタイムマシンを完成させた……

 最愛の人を殺し、私を殺戮の日々に追い込んだ張本人への、復讐の為に……!」


「…………!?」


 老人は自らの成果を誇るような表情をつくり、語り出した。


「神が示したタイムマシンは効果こそ同じだが、SFのそれほど超越的ではない。

 もっと単純だ……このタイムマシンの機能は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「……」


「つまり、ここは私から見れば()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということになる」


 老人は再び表情を消し、


「タイムパラドックスは発生しない。お前を殺し復讐を遂げることは可能ということだ」


 静かに言い終えると、目にありありと殺意を宿す。


「保険として、教えておくべきことは全て話した……」


 言うなり、老人は肩のホルスターからナイフを抜き放つ。


 瞬間、私は広げている設計図の裏に隠しておいたナイフを投げつけ、身体を反転し走り出す。

 未だサイレンの鳴り響く車の方向へ。




18


 投げつけたナイフを老人が左手で握り止めたところまでは確認できた。

 実質的なダメージはゼロだろう。

 設計図を懐にしまいながら疾走する。

 あの老人の話。

 その真偽について思考を巡らす。



 私がタイムマシンの設計図を持っていることを看破した時点で、あの老人は私が神託を得ていると知っている。

 前提として神託を得ている者に対して偽りは通用しない。

 全知なる神に問われれば直ぐに見破られるからだ。

 ただし、一時的に精神的動揺を誘うブラフである可能性は有る。

 しかし、タイムマシンで過去に来た自分を名乗るというのは余りに荒唐無稽過ぎる。

 もっともらしい脚本など、神託を利用すればいくらでも事前に用意することができたにも関わらず。

 それでもなお、この話を持ち出したのはそれが真実であり、それを告白する理由があったからと見るべき。

 つまり、


 ――タイムマシンは実現したのだ。


 それならばこれは勝機だ。

 あの老人は理に合わぬ行動をしている。

 その理由を考察しろ。正しいロジックを積み上げればこの状況は逆転し得る。

 そして私もタイムトラベルをするヒントが導かれるはずだ。



***



 話を全て信じれば最初の襲撃の時、あの老人は祭壇に侵入したのではなく、私と祭壇を含めた「世界」があの老人の周りに発生したということになる。

 世界創世に匹敵する機能を持つタイムマシンを造ったという話が真実であるならば、その性能限界を考察しなければならない。



 まずは物質を並べ直すと言っても、世界から私だけ存在を消したり、致命的な状況で私を発生させたりと言った、小回りを効かせた制御は不可能ということ。

 そんなことができるならば最初からやっているはず。

 そもそも今、私が生きて存在しているということから、あくまでも過去のある時点と同じ、という制約が有るのは信じてもよいだろう。

 次に「保険として、お前に教えておくべきことは全て話した」というセリフ。

 ここから導かれる推察。

 恐らくタイムマシンは1度しか使用できない使い捨てである、ということ。

 仮に私を殺すことに失敗した場合、今度は私にタイムマシンを製造させ、自分自身を殺させる因果を背負わせるつもりなのだとすれば全ての辻褄が合う。


 あの老人は設計図を見せてきた。

 つまりある程度未来から物質を持ち込むこと(保持したまま世界を過去と同じに改変すること)は可能ということだ。

 しかし、あの老人はこれまでその機会があったにも関わらず未来の道具を使用していない。

 ボウガンもハンググライダーも、現在(私から見て)の文明だ。

 私の死因であるナイフによる殺害を狙い、未来の道具を使用していないことも考えられるが、殺害目的ではなくその補助としても使ってこないのは理に沿わない。

 よって未来文明は持ち込めない、或いは持ち込むのに適当な物が存在しないと推定できる。

 つまり身体を含めて保持できる質量に限りがあるのだ。そう考えれば筋は通る。






19


 車の後部ドアを跳ね開ける。

 爆薬の隣で泣きわめく赤ん坊の口に、紙をねじ込む。

 左腕に突き刺さったナイフを右手で強引に引き抜き、逆手に握る。

 赤ん坊と目が合う。

 心なしか微笑んでいるように見える。

 遊んでいるとでも思っているのだろうか。

 目を伏せようとして中断する。

 視界を塞ぐことに何も意味はない。

 背後から猛烈な速度の足音が聞こえる。

 それだけで心を凍らせるには充分だった。

 早くやれ。

 短く自分に命令し、それを実行する。



〈私の死亡年齢は!?〉



 壊れた玩具のような音がした。

 ナイフの通りは今までで一番良かった。



***



 タイムトラベルが可能であればそもそもあの老人はこの状況と似たものを1度体験しているはず。

 私がこの時間にこの樹海にやってくることも、拳銃を持っていることも、その弾着点も全てあらかじめ知っているのだ。

 しかし、あの老人が私と同一人物であれば、16:09.03に、赤ヶ原樹海(あかがはらじゅかい)で、ナイフによって死亡するという運命を共有している。

 わざわざこのタイミングにタイムトラベルした理由はそこにある。

 私を殺すには、今、この時間、この状況を置いて他にない。

 しかしそれは私にとっても同じこと。

 勝機はそこにある。

 どう見ても私とあの老人では年齢が決定的に違う。

 そこで私の死亡年齢を問う。

 ここで死亡年齢を確定させることで、運命を分かつ。

 あの老人が私であれば、私はあの年齢まで生きる運命である可能性は充分に高い。

 死亡年齢が今の私の年齢でなければ、今すぐに死ぬことはなくなる。

 神がそう確定する。

 この神託さえ確認すれば……。



 右肩を掴まれた。

 戦慄する間もなく、そのまま地面に引き倒された。

 全身の痛みに意識を失いかける。

 気力を振り絞って視線を向けると老人が赤ん坊から丸まった紙を取り出していた。


 先に神託を(おさ)えに来たか。

 あの老人は1度、未来の自分自身と戦い、勝利している。

 恐らくはその時の勝因を真っ先に潰しに来たのだろう。


 そう思う刹那、老人は紙を広げることなく、そのまま自分の口の中に紙を突っ込んだ。


「!?」


 そしてあろう事か老人自身が持つナイフで自分の胸を貫いた。


 老人の口から血が溢れ出す。


 ――自分を生贄に神託の上書き……!


 徹底している。

 驚愕の行動に呆然としていると、老人は首を巡らし血走った目で私を見据える。

 そして、背中のホルスターからナイフを2本取り出し、両手に構えた。


 何という執念。心臓を貫いてまだ動けるのか……!

 老人が地面を蹴って襲いかかる。

 反射的に左腕を前に出し防御の構えを取ると、腕時計の数字が見えた。

 16:08.49。

 走馬燈を見るように圧縮した時間感覚の中、思い至る。

 全知なる神が予告したこの老人の死亡時刻を。



 『16:09.03』



 心臓を貫いてから絶命に至るまでのほんの僅かの時間、この老人は絶対に死なない。

 神が確定したタイムラグを、この老人は利用したのだ。

 最初から、私さえ殺すことができれば死んでもいいと、思っているからこそできる芸当。

 最初から、相討ちを覚悟し、この時、この場所で死ぬと、決めているからこそできる芸当。

 老人が間合いに詰め寄る。

 高速でナイフを振るう。



 殺される!



 理性は敗北を告げる。




 しかし、貪欲なる生存本能は、冷静に勝利への手掛かりを発見していた。





 老人の胸に刺さったナイフ。

 そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 死亡時刻までのあと十数秒を凌ぐことさえできれば勝利なのだ。


 右手を上着のポケットに突っ込む。


 神よ…!


 老人の振るったナイフが首筋まであと数センチのところまで迫った瞬間。












 爆薬の起爆スイッチを押した。












20


 閃光。

 轟音。

 衝撃。


 そのどれもが過ぎ去った後に確かにあったものだと知覚することができた。

 焦土からぎこちなく身を起こす。

 全身が痛む。当然だ、至近距離でのあの規模の爆風を受けたのだ。

 死ななかったのはただそれが自分の死因ではないということに過ぎない。

 左目が(ひら)かない。

 触れると左顔面がぬめった。

 少し指にとって見てみると灼け溶けた肉がクリーム状になって指に付着していた。

 痛みどころか感覚がなかった。

 左顔面は灼け潰れてしまったようだ。

 右目のみの視線を上げると、車の部品が高温で溶解した物と思われる金属片の近くに、あの老人が横たわっていた。

 後頭部と左腕がなくなっている。

 無意識に左腕の行方を探したが、想像よりも遙かに小さな、赤黒く焦げた肉片を視界に収めたとき、思考を止めた。



***



 腕時計を確認する。

 16:13.22。

 時計が故障していなければ老人は死亡時刻を迎え死んだはずだ。

 しばしの間、無感動にそのまま眺めていたが、老人の口の中に何か入っているのを見つけ、身体を引きずってそれを取りに行った。

 最後の神託。その内容には心当たりがあった。



『■』



〈10センチ×20センチの塗りつぶされた長方形を描くとどうなる?〉



 という問いでも立てたのだろう。

 思えば神託の塗り潰しのために最適な形だった。

 ただそれだけ。意味などなかったのだ。


 内容を確信しているのだから、本来開く必要はない。

 しかし終戦の空白感からか思考を停止したまま神託を広げてしまった。





『38歳』





 明朝体に分類されるような、整然とした文字でそれは書かれていた。

 同時に、その紙は所々赤く染まっていた。



***



 それは神託であり、神託ではなかった。

 私の問いに神託は下されていた。

 しかし老人の命を賭した神託の上書(うわが)きは失敗していた。

 何故だ。

 儀式は正しい手順で行なわれたはずだ。

 

 まさかと思い感覚を集中させる。


 ……居ない。



「神が死んだ……?」



 何故そう理解できたのかは説明することができない。

 しかし完全にそう確信できたことがその真性の証明だった。


 神が死んだ。


 タイミングが良過ぎる? 

 いや、むしろこのタイムトラベル劇は、この神の死に合わせて行われたのではないか? 

 神の死を発端とし、神が死ぬ前のギリギリの時間にタイムトラベルが行われていたとすれば、何も不思議ではない。

 ……が。



 抑えられず嘔吐した。


 心臓が早鐘を打つ。




 全てを理解した。









21


 慟哭。


――― 神が死んだ ―――


 両手を組み、祈る。


――― 〈あの老人が最後に受け取る神託の内容は?〉 ―――


 もう新しい神託を得ることはできない。最後の神託は確定した。


――― 〈私の死亡年齢は?〉 ―――


 あなたが最後に受け取った神託と私が最後に受け取った神託は内容が異なっている。


――― 何故、似顔絵を持っていたのか? ―――


 あなたは私を殺すことだけを目的にしていた。


――― 最愛の人の顔が思い浮かぶ ―――


 あなたの使命。それは私を直接その手で断罪(救済)することだった。


――― 抑えられず嘔吐した ―――


 私はあなたの遺志を継ごう。そして全てを私だけで終わらせる。


――― そうだと思って見れば見るほど、似ていることに気がついた ―――


 あなたは望まないかもしれない。


――― タイムパラドックスは発生しない ―――


 それでもあなたの払った代償を決して無駄にしない。




 死者を生き返らせる方法は存在しない。


 だが、時を戻す方法は、有る……。


「……タイムマシン……か……」



 痛みは完全に消え去っていた。



FIN






























































 




挿絵(By みてみん)






 14:29.45。


 祭壇と呼ばれていた、いや、祭壇と呼ばれている場所。


 1000行を超す「神託」を読み終え、その最後にある血に塗りつぶされた長方形を眺める。

 つまりこれが、『最後に下す神託の内容』となる。

 赤ん坊が神……だとすれば或いは、か……?


 開け放たれた窓から血の匂いのしない新鮮な空気が流入する。

 目を閉じ、これからすることを、これまでしてきたことを反芻する。


 14:30.00。


 時間だ。


「……お母さん、頑張るから」


 最後に覚悟を一言だけつぶやいて、死に場所へと飛び立った。




THE END


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