出ちまうもんは仕方がない。上から出るか、下から出るかの違いさ。
スズと「死ぬこと以外の方法」を模索する約束をしたテオ。
彼女は部隊の再編成を提案すると言っていたが、いったいどういうことだ?
第三話はお仕事回。第2魔導銃大隊、出動です。
マルシュタット中央本部。魔導銃士官室の空気は、今日も滞りなく汚染されていた。
十数人の准士官、尉官、佐官が詰めているこの正方形の部屋には、葉巻の煙がいつも充満しており、むせかえるようなにおいが立ち込めている。第1魔導銃大隊のタイバー中佐には「我が魔導銃部隊の幹部は、この部屋で硝煙のにおいに慣れ親しんでおくのが伝統だ」とかなんとか言われた。
ちなみに魔導銃の可動で硝煙は発生しない。単なる皮肉なのだろう。
おまけに、煙に混じってコーヒーのにおいもする。
この士官室では、准尉たちが持ち回りで「卓長」を担い、幹部全員から卓費を徴収して豆を買い付けていた。准尉というのは幹部の中では下っ端なので文句ひとつ口にしないが、担当によって淹れ方が変わり、味も変わるのが難点であった。
エルレンマイヤー准尉などは一度ひどく蒸らしすぎてしまい、とても飲めたものではない風味の液体を提供したため、「コーヒー豆の黒魔術師」の異名をほしいままにしている。
テオはコーヒーこそ嗜んでいたが、葉巻はやらない。
そんな愉快な士官室の一角に、テオの指揮する第2魔導銃大隊の幹部たちのデスクが並んでいる。四つの長方形が狭っ苦しく押し込まれて、島が形成されていた。
四人分のデスクのそこここに、司令部からの指示書や、各部隊からの報告書などの書類が乱雑に積み上げられている。テオは、赴任当初こそ口を酸っぱくして整理整頓に取り組ませようとしていたが、今となってはもうすっかり諦めてしまった。
「明日からまた、パシュケブルグ行きの貨物列車に揺られて一日の半分を過ごすことになります。バルテル少尉、魔導衛生兵に頼んで酔い止めに効果のある処方術でもかけてもらっておいてください」
副大隊長のニコル・フィルツ大尉が、バルテル少尉を睨みつけた。
「大尉、おれだって耐えたさ」バルテル少尉は弁解する。「ただ、貨物列車っていうのは思うに、そもそも人が乗るためにできていない。前回の任務ではっきりしたね。たぶんあれは、三両目が特に揺れるようになってる。それに、出ちまうもんは仕方がない。上から出るか、下から出るかの違いさ」
フィルツ大尉は顔をしかめた。「最低です」
バルテル少尉は笑って肩をすくめる。「お褒めの言葉、ありがとう」
テオ・ザイフリート率いる第2魔導銃大隊は、明日よりルーンクトブルグの北西へ向かう。西部戦線の長期化に伴って、至要たる物資輸送の護衛任務を予定していた。
司令部からの書簡を元に、ニコル・フィルツ大尉が幹部陣へ向けて作戦内容を読み上げているところだった。
「とにかく、我々第2魔導銃大隊にとっては二度目の貨物列車護衛任務ですが、残念ながら調子に乗りやすい隊員が多いのが、我が大隊の特徴です。バルテル少尉筆頭に。今一度、身を引き締めて望むようにしてください」
ニコル・フィルツ大尉はきびきびと指示を入れていく。
彼女は栗色の髪をポニーテールにして、頭のうしろでまとめていた。二十歳を過ぎたばかりの若い魔導銃師だが、すでに一個中隊を任されている。行儀の悪い男たちのケツを叩き、効率よく差配してゆく優秀な指揮官だった。少し幼顔なせいで部下に舐められやすいと本人がときおり気にしている。
彼女にことさら厭われているヘンドリック・バルテル少尉は、前回の護衛任務で貨物列車の揺れに酔い、見事な吐瀉物をぶちまけたことで有名である。気さくで分け隔てない性格のため部下たちの信頼は厚いが、いささか下腹が出っ張ってきており、テオは食生活の改善を勧めているところだった。
「前回と同じく五両編成の軍用列車です」フィルツ大尉が続ける。「装甲列車ではありません。各指揮官がバンディットと判断次第、迎撃を開始してください。動力の集中している最前方の一両目にザイフリート小隊、そのあと順にフィルツ隊、バルテル隊、アルトマン隊、レヴィン分隊が護衛に当たります。レヴィン曹長にはアルトマン准尉から伝達をお願いします」
「承知しました」
アルトマン准尉が明朗な声で応答する。
今年上級曹長から昇進した、叩き上げの男である。作戦の意図を素早く噛み砕くことに長けているし、戦場での動きも機敏だった。
「各小隊ごとの陣形は前回を踏襲します。また、いつものようにイオニク盆地周辺に分布する魔族の観測任務も司令部より仰せつかっておりますので、お忘れなきようお願いします――ザイフリート少佐、なにか補足等あれば」
フィルツ大尉は説明を終え、テオに役割を回した。
「大尉、ありがとう」テオは立ち上がって三人の士官を見渡す。
「諸君、隣国との交戦が続く昨今ではあるが、護衛の範囲は国内だ。ソルブデン軍が奇襲してくる確率は限りなく低い。それよりも注意すべきは魔族の連中だ。平和で牧歌的なテンサイ畑のどこから魔族が顔を出すか、わかったものではない。奴らには作戦もなければ、我々を襲う合理的理由もないが、それが逆に厄介極まりない。本能で、ただただ人間の肉を食うためだけに襲ってくる。小悪魔ばかりであればまったく問題はないが、いまだ生態が詳しく確認されていない種族も多く存在する。用心するに越したことはない。各小隊、マルチエレメンタル魔導銃――『AP-49』と、各属性を必ず揃えておいてくれ」
フィルツ大尉、バルテル少尉、アルトマン准尉へそう伝えて、司令部からの作戦説明を終了した。
「――あの、少佐」フィルツ大尉がこちらを見ていた。「少し、疲れてません?」
早速見抜かれた。テオはいささか狼狽してしまった。
大尉は本当によく人を観察するし、わずかな変化を検知する。フィルツ隊の部下からはよく「人間健康診断」と揶揄されていた。
「ああ、すまない。久しぶりの休暇で、少しはしゃいでしまったかもしれない」
死にたがりの魔女と戯れていたなどとは、大尉にはとても言えない。
「珍しいですね。少佐がそんなふうに――なんというか、次の日に残すほど遊ぶというのは」
わずかにではあるが、大尉は咎めるような口調で言った。表情は明らかに不機嫌そうである。
大尉とは長い付き合いだ。テオはこの世界へ来てすぐに士官学校へと入学させられたが、フィルツ大尉はそのときの同期である。
士官学校ではこの世界の軍事教練と教養を徹底的に頭に叩き込まれた。
特に教養の各分野については前の世界と論理構造や定義から異なっているものも多く、その上「魔力」という未知の概念が存在していたので、酷く手こずることになった。
テオは、当時から卓抜した成績を誇っていたフィルツに、しばしば家庭教師をしてもらっていたのである。
士官学校を卒業し、軍の一員として士官に着任して数年、彼女の呼び名は「ニコル」から「フィルツ大尉」となり、テオの呼び名は「テオ」から「ザイフリート少佐」となった。
酒の席などでは時折士官学校時代の呼び方になることもあったが、今は上官と部下の関係である。
わずかながら寂しさを感じていたものの、そんな感情にかまけていられるほど軍人の仕事は暇ではない。前の世界とは違い、戦争がほんの目と鼻の先にある。生と死が、あたかも友のように寄り添ってくる。
そういう世界にいるのだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
翌日の早朝、弾薬や食糧を満載した軍用列車が、ルーンクトブルグ北西に位置する「パシュケブルグ」へと発車した。
パシュケブルグはソルブデン帝国、そして過去にはイオニク公国との国境線の近くに位置していたため、周囲を堅固な城塞で囲まれている「城郭都市」となっている。
現在はいくつかの歩兵部隊、魔導部隊、魔導銃部隊、そして召喚術部隊が駐屯しており、西部戦線における拠点となっていた。
ティールブルーを基調とした野戦服とオーバーコートを身にまとい、第2魔導銃大隊は物資とともに軍用列車に乗り込んでいた。
大隊の規模は、総勢五百人を超える。大隊本部として初期や炊事を担うものもいれば、衛生兵や、兵站と呼ばれる後方部隊も含まれている。
当然全員が列車に乗り込むわけにもいかないため、四個小隊を選定し、さらに護衛に適した役割を持つ兵士を選りすぐった。
「こちらバーニング01、定時交信だ。一両目、前方、側方共に異常なし。オーバー」
一両目の最前方から、ザイフリート少佐が各小隊へ通信を行う。窓の外は晴天、広大なテンサイ畑が広がっている。
キティ、ヴァイスヴルスト、クラッカー、エスカルゴ。全車両、以上はなし――
〈こちらサファイア01、軍用列車上空、全方位異常なしです。オーバー〉
六人目から定時交信が入った。テオは耳を疑う。
「大隊長、今のは――」一両車にいた小隊の下士官たちも皆、今の通信を聞いている。
誰だ? 我が部隊に「サファイア」などというコードネームの隊員はいない。
それになんだ? 上空だと?
いや、この声。聞き覚えがあった。
テオの胸中がざわついた。
「こちらバーニング、『列車上空』の護衛任務は今回の作戦に入っていない。サファイア、貴様は誰だ?」
サファイアからはすぐに応答があった。
いや、正確には応答ではなく、一方的な「血迷い言」という表現が正しかった。
〈第2魔導銃大隊総員、列車上空をめがけて発砲!〉