表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/118

嗅ぎ慣れた、新鮮な血のにおいがする。

「そこからやる気ですか?! クレーメンス班! 9時の方向に結界!」

 私はスコープを観測手に放り投げ、部隊の結界師たちに指示を叫ぶ。


 クレーメンスとその部下たちは、一個中隊を囲うように散開し、いっせいに結界魔法を発動させる。


 彼らの持つそれぞれの魔導具から、淡い光が生まれる。それとほとんど同時に、周囲の地面がまるで液体のようにうねる。大きな波となった大地は、ほとんど結界師たちを飲み込むかのごとく押し寄せてくる。そして彼らの目の前で、突然、凍らされたかのように凝固した。結界師たちはそれを何度も繰り返して、築城式結界を構築してゆく。


 一方、少女の現れた方角からは、()()()()が押し寄せてきた。

 広大な戦場がすっかり水に浸かってしまうほど、大量の水が発生している。白いしぶきをあげて、高い水圧を持って、それはまるで大蛇のようにのたうちまわりながら、こちらへ向かってくる。


「もっと(ほり)を大きくつくれ! 深くえぐるんだ!」

 クレーメンスが顔面蒼白(がんめんそうはく)になり、(げき)を飛ばす。彼の持つ魔導具の短剣が、ひときわ強い光を放つ。


「ブルーノ! 巨人は任せます!」

 私は火属性の魔導師を束ねていたブルーノに指示を飛ばし、結界の構築に参加する。


 巨人と魔導師――示し合わせたような襲撃だと、私は苛立って奥歯を噛みしめた。そしてこの水量と水圧。水属性の上級魔法だ。こちらの結界は少なくとも五メートル以上の高さ、一メートル以上の厚さが欲しい。ただ、見るかぎり結果師たちもかなり疲弊している。さっきゴーレムとやりあったばかりだ。無理もなかった。


「できるだけ、分厚く。そう、均等に」

 私はゆっくりとそう言いながら、構築中の結界に魔力を合流させる。


 やがて半円を描くようにして、固められた大地の結界が、一個中隊をすっかり防御する。


 波が結界に衝突し、大きな音を立てて弾けた。

 まるで鞭を打つように、何度もぶつかり、壁の表面をえぐる。衝撃で地面が揺れる。堤防のてっぺんから乗り越えてきた水が滝のように襲ってくる。皆、大量の冷たい水を頭からかぶった。


 一方で、丘の先端ではブルーノたちが巨人型魔族と交戦している。三人の魔導師は、まるで竜の口を備えたかのように、煮えたぎる業火(ごうか)を放っていた。巨人たちは炎の海に(おぼ)れ、その身を焼かれて(うな)り声をあげている。ただ、とにかく巨人たちの数が多い。あの少女を鎮静したのちに、できるだけはやく加勢しなければならない。


第一波(だいいっぱ)はなんとか防げたか――皆、油断するな! 構築を続けろ!」

 クレーメンスが顔をぬぐいながら指示を叫んでいる。


 そのとき、大きな衝撃音とともに、すぐそばの壁が崩れた。


 結界師がひとり、瓦礫(がれき)が直撃し後ろに吹き飛ばされる。土埃(つちぼこり)が舞い、兵士たちの悲鳴が飛び交う。


 結界には直径二メートルほどの大きな穴が空いていた。

 そして、スコープ越しに見た、魔導師の少女が現れる。


 私は彼女とまともに目があう。光のない、まるで呪いをかけられたような目が、私を見ている。私もその目を見つめ返す。ほんの三メートルの距離で、私たちの黒い瞳はたくさんの情報をやりとりする。数秒間、音もなく、においもなく、感触もない世界に迷い込む。戦場とはべつの時間が流れている世界に、迷い込む。


 先に戦場に戻ったのは私だった。

 地面に手をつけ、地属性の魔法を発動する。泥をかぶった(つる)のようなものが現れ、魔導師の少女の周りを、いびつに変形しながら取り囲む。彼女の手足は絡め取られ、一瞬で身動きが取れなくなる。

 拘束されていくあいだ、彼女はまったく抵抗しない。自分にまとわりついてゆくそれを、ただ漫然(まんぜん)と見つめながら、受け入れていた。


 周りの結界師は魔導具を構えたまま、その状況を見守っている。飛ばされた結界師は倒れたまま、ほかの兵士に抱き起こされている。意識がないようだった。


「クレーメンス、短剣を借りても?」私は言う。

「構いません」彼は魔導具の短剣を鞘に収め、私へ投げ渡す。


 それを受け取り、私は少女に近づいた。

 彼女は蜘蛛の巣に囚われた蝶のように手足が固められている。だが、やはり抵抗はしなかった。真っ暗な瞳で私を見る。感情はなく、ただただ虚ろな眼差しをこちらに向ける。


「すでにこの戦いは、掃討戦へ移行しています」私は彼女に向かって言う。「反乱軍の戦闘員であれば、あなたをここで殺さなければいけません」


 少女はなにも言わない。私はクレーメンスから受け取った短剣を抜く。

「見たところ、あなたはまだ若いようです。不本意ではありますが、あなたが否定しないかぎり、この刃がその(のど)を搔き切ることになります」


 少女は、小さな口を薄く開けて言った。

「殺してください」


 その黒い目は私を見る。瞳は乾いている。

 何人かの結界師が息を飲む。だれかが呆れたような、言葉にならない声を発する。


 私は迷わず、短剣を水平に走らせて、彼女の喉を切る。

 短剣の切れ味はよく、ほとんど反動はない。魚をさばくように、力を使わずに切ることができる。少女は一瞬だけ、空気が漏れるような細い声を漏らす。

 鮮やかな血が飛び出す。それは私の顔を赤く染める。嗅ぎ慣れた、新鮮な血のにおいがする。周りの兵士たちのほとんどは、その瞬間目を背ける。


「総員、巨人の掃討へ」

 私は周りの兵士たちへ指示を出す。ローブで短剣をぬぐい、鞘に収めてクレーメンスに投げ返す。


 彼女は最初から殺されるために戦場へ来たのだろうか。

 

 その目やその身なりからは、生きる気力を感じられなかった。戦いの先には、おそらくなにも期待していない。「殺してください」という言葉も、どこか投げ出しているような言い方だった。


 私はそれに共感できた。

 死ぬことに関して言えば、私は人とは違うから。死と顔を突き合わせて、腹を割って対話をした時間が、人とは比べ物にならないから。

 だが一方で、平らげるべき敵である以上は殺すことに躊躇(ちゅうちょ)する気などない。それもまた、私の中に備わっている価値観のひとつだった。


「殺してください」


 その少女は、もう一度同じ台詞を言った。

 私は飛び上がり、彼女を振り返る。


 少女は拘束されたまま、その目はしっかりと開いている。さっきと同じように、黒々とした瞳が、私のほうを向いている。


「申し訳ありません。フォルトゥナ様――」と少女は言った。


 私は彼女の元へ近づき、掻き切ったはずの傷口を凝視する。


「まさか、あなた――」


 喉に手をあてて、私はよく確認した。吹き出た血をそっとぬぐい、首をあらわにする。肌の柔らかい感触が、私のかさついた指でも伝わってくる。


 傷はきれいに()えている。


 私は無心で彼女の身体を観察した。

 土の拘束を解き、薄汚れたローブを剥ぎとる。その肌にはたくさんの血がこびりつき、さらにその上から土が付着し、まるで畑から収穫したばかりの根菜のようだった。()えたようなひどいにおいがする。私は気にせず、首から肩、乳房、腹、太腿と、順に点検をしてゆく。ほとんど夢中になって、身体中を触る。そのあいだも、彼女は無抵抗だった。


 傷はひとつもついていない。私は唾液を飲み込んだ。


 そのとき私はひどく興奮していた。

 ()()()()に出会ったのは、生まれて初めてだった。

 額の汗を(ぬぐ)いとり、ローブのシガーケースから、大きなサファイアの指輪を取り出す。そしてすぐさまヴイーヴルをこの世界に喚び出す。


 部隊の兵士たちには、重要な参考人だからとかなんとか、とにかく適当な理由を口から出まかせに言った。いち部隊の大佐としてあるまじき行為だという認識は、もちろんあった。

 しかし彼女を目の前にして、私はこれまでそれなりにやりがいを見出していた軍の統率、戦略の立案、軍事力の行使などといったことがらに対し、急速に興味を失ってしまった。指揮権をほかの士官へ移譲(いじょう)し、私は彼女を青い竜に乗せる。


 それが、私スズ・ラングハイムと、リン・ラフォレ=ファウルダースの出会いだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ