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あの指輪をうっかり褒めなくてよかった。

「やれやれ、今日は歴史的な日だね。教科書にはでかでかと挿絵付きで載るかもしれないような出来事だ。十何行もだらだらと割かれてね。我が国の歴史にとって、最悪の項目だよ」


 窓の外を眺めながらそう言うのは、アイスナー少将だった。陸軍司令官である彼女は今、クンツェンドルフ中将の召集を受けて総司令官室へと赴いていた。


 クンツェンドルフ中将は、本棚から赤い表紙の一冊を取り出して読んでいる。きつく眉間にはしわが寄り、その顔は獲物を見つけた猛禽類(もうきんるい)を思わせた。熱心に読み込んでいるふうにも見えるし、スピーチ直前に原稿を確認するみたいに、自明のことを再確認しているようにも見える。


 そして彼は、その書物に記されている小さな字を追いながら、頭の中ではべつのことを思考する。

 数ある次の一手に、優先順位をつけて番号を振っているのだ。そして、最優先で実行すべきことは、すでにいくつか決定されている。あとは精度とスピードの問題である。


 中央広場で「首相の替え玉」を襲った巨大な蝙蝠(こうもり)の魔族は、再び上空へと飛び立ち、どんよりした曇り空に溶けるようにして消えてしまった。自らが襲ったものが偽物だと気がついたのかどうかはわからなかった。そしていずれにせよ、本物の首相も、ひとりの女の手によって暗殺された。


 首相を殺した女は今、首都の軍病院に拘束具付きで搬入されている。意識はまだ取り戻していない。しかし、暗殺の場に居合わせたレーマン准将、例の特殊部隊に属するラルフ・アルトマン准尉の証言によると、彼女の様子はおよそ自我を保った人間のそれではなく、明らかに何者かに操られていたという。


「ゴーゴン。魔族の分際で姓を持った、三姉妹の仕業だ」クンツェンドルフ中将は本を棚に戻し、大きく鼻から息を吐き出す。「大きな蛇の使い魔、そしてあの蝙蝠。もはや一刻の猶予もない――しかし、こんなときにレーマンはどこでなにをしておる!」


 中将は大きな木製のデスクに、大きな拳を叩きつけた。

 レーマン准将は現場を目撃した直後、行き先も告げずに姿を消してしまった。内心、中将は焦っていた。正直なところ、レーマン准将を通さなければ話が通らない財界の人間もたくさんいた。首相がいなくなった今、より議論が紛糾することは必至だった。


 加えて、大召喚術師レオンもまた首都を不在にしていた。例の特殊部隊編成絡みの要件で、トルーシュヴィルへ出ている。中将は一般回線でもなんでもいいから、とにかくレオンへ連絡をつけるように、部下へと指示を入れた。


「これまでの魔族襲撃事件とはまったく違う」アイスナー少将は銀縁の眼鏡を軽く持ち上げる。「無差別に人間を襲い混乱をきたすものではなく、明らかに首相の命を狙ったものだった。しかもそれが、首都で起きたんだ。国民がこれまで安全と思っていた首都で魔族だよ。世論は(いや)(おう)でも混乱に(おちい)る。中将。優先すべきことは、あの禿げダヌキについて気を揉むことではないと思うがね」


 恐怖に怯えた世論は、より攻撃的になる。民衆は民主主義の名の下に結集し、正義の名の下にすべての行為を正当化し始める。


「わかっている」


 中将の最初の一手は決定されていた。


「首都マルシュタットを魔導要塞化する。結界師をありったけ集めて、フーゴ・アーベントロート大佐を臨時指揮官に任命。非常事態宣言の発動だ。これ以上、首都で好きにはさせん」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「なるほど」テオは頷く。


 ヒルシュビーゲル少尉の招集については、率直に言って、願ってもない斡旋(あっせん)だった。テオは頭の中で、グレッジャーの効果的な運用について、すでに思考を巡らせていた。我らが相手にするのは魔族だ。ケルピーの群れをたった数分で喰らい尽くしてしまったあの力は、必ず重宝するだろう。あの使いどころに困るばかでかい図体(ずうたい)に、鼻の曲がりそうな消化液のにおいを差し引いても。


「ヒルシュビーゲル少尉」テオは彼女のほうを向いて言う。「きみにいくらか感情がなかったとしても、向上心が欠けていたとしても、正直なところまったく構わない。うちが欲しいのは、化け物と戦える力だけなんだ」


 エルナはまっすぐテオの視線を受け止める。

「それならば、力になれるかと思います。グレッジャーはもちろん、私にはもうひとり、ずっと戦ってきた相棒がいます」

 彼女は腰につけたままの、もう一本のダガーに軽く触れる。


「決まりだな」テオは立ち上がって、エルナに握手を求めた。


 エルナは初めて――ろうそくが軽く揺れるような、短い微笑だったが――笑顔になる。テオの手を、そっと握り返す。


「さて、編成を考え直さなければ。ユージーン、きみのポジションも含めて」

 カウンター越しに、テオはユージーンへ目を向けた。


「よかったよ少佐。僕なんてすっかり忘れ去られてしまっているのかと思った。てっきり、きみはきみだけのハーレムでもこしらえるのかと」

 ユージーンは洗い立てのタンブラーの水気をを拭きながら笑う。


「どこかの村で飲食店をやっている軟派野郎じゃないんだ、そんなことするか――そういえば得意の寸劇はどうしたんだ?」

「僕だって今がそういうときじゃないってことくらいはわかる。だからこうして料理に集中して、気を紛らわしている。カウンターの外に、一歩も出ずに」


 それからテオは用を足しに便所を借りた。

 店内へ戻ってくると、ユージーンとエルナは気さくに笑い合っていた。彼はマルタのときのようにむやみやたらと迫ったりはしていなかったし、エルナはまあまあ自然な笑い声で、会話を楽しんでいるようだった。たとえ「妬み」を持ち合わせていなくとも、おおむねの感情はきちんと彼女の中にあるようだった。


 レオンが最初に述べた二つの主題のうちもうひとつはラングハイム中尉についてのことだったが、テオが話題を振ると、彼は「まずは、きみだけに伝えておきたい」と言った。


 テオとレオンは店を出て、円型の広場に出る。


「少し、歩きながら話そう」

 レオンはそう言って、くたびれた黒のコートに袖を通しながら、歩みを進めた。


 広場に敷き詰められた石材は、ところどころ耕したようにめくれ上がっている。エウリュアレの作り出した甲冑(かっちゅう)の戦士とやりあったときにできた跡だった。そしてその大部分が未だ凍りつき、霜で覆われている。辺りには冷ややかな空気が立ち込めていた。村民は皆教会に避難しており、人けはない。


 大召喚術師は、一歩一歩、まるでそこにきちんと地面が存在しているかどうかたしかめているかのように、踏みしめていく。テオはその二、三歩後ろを歩く。


「ザイフリート君。きみは以前、僕に問うたね。スズ・ラングハイム中尉を救う手立てはないかと」

 レオンは鈍色の低い空を見上げて言う。テオは声に出して頷く。


「そのとき僕は言った。現状、救う手立てはない。あの子の抱えている問題がきみの想像のとおりであれば、それを解消する方法は、見当たらないと」

「確信があるよ。彼女にとっての問題は、死にたいことであり、死ぬことができないこと。そして言い換えれば、()()に生きたいということだ」


 レオンは頷く。「いったんその問題をわきに置いて、君の頭にもうひとつべつの問題が入るよう、スペースを作ってもらいたい。今から伝えることは――そうだな、少々血生臭(ちなまぐさ)い」


 広場を出て、南のほうへ向かう小径(こみち)に入る。村の風景はほとんど変わらない。茶色の屋根の民家がぽつんぽつんと突っ立っている。どれも古ぼけた金属の煙突を伸ばしている。乾燥帯に広がる砂漠の、わずかな水分を(かて)に生きるサボテンのようだった。


 レオンは小径を歩きながら、テオに語った。


 ボニファティウス・レーマンが主導し、転生者から魔鉱石を取り出す実験が行われていたこと。レオンの父がその実験に従事していたこと。「アヒム」という転生者の少年から、魔鉱石「ナーキッド」を取り出す実験に成功したこと。しかし少年は転生の段階で「失敗」とされ、実験後も瀕死状態となり、彼の父が処理を任されたこと。父は少年を殺すことができず、彼を治癒し、罪滅ぼしのようにアヒムを育てたこと。記録上は死んだことになっている「アヒム」は、どのような人生を歩んできたかということ。


 レオンの父は、軍召喚術師として在籍中に、レーマンの(くわだ)てを知ったということ。その企てとは魔鉱石「エリクシル」の抽出だということ。エリクシルの力を持つものはスズ・ラングハイムと、そしてもうひとり、南東の村ラインハーフェンにいるということ。そのどちらも「呪い」のかかった指輪により人質にとられているということ。ラングハイム中尉が今年中にエリクシルを用意できなければ、レーマンは強硬手段に出る、ということ。


 ひととおり話し終え、レオンが大きく息を吐いたころ、二人は最初の広場まで戻ってきていた。日が傾き始めて、遠く東の空はとっぷりと夕闇に包まれている。

 いつの間にか彼より前を歩いていたテオは、木材で蓋がされた噴水の前で立ち止まる。


「きみにひとつ嘘をついた」レオンは言う。「実際に、ラングハイム中尉からエリクシルを取り出すのは、理論上可能だ。今話したアヒムと同じことをすればいい」


 レオンはコートの内ポケットから小瓶を取り出した。コルクで蓋をされた、クリスタルの瓶だ。

「簡単にいうと、本来転生者が持っている魔鉱石由来の力を、人工的に加える。これが今話した『ナーキッド』だ。結構苦労して、取り返した。もちろんこれを召喚に使おうとは、今のところ考えていないけどね」


 小瓶の中には小さな透明な宝石が入っている。それは、荒く削り出しただけの氷のようにも見えた。


「しかしそれだと、力を加えられたものは」と、テオは聞く。


()()に生きられるとは、とても言えない」レオンが続けた。「つまり、(いちじる)しく知能が低下し、身体能力も衰える可能性がある。老衰も早くなる。それに、取り出したのがナーキッドだったからその程度で済んだのであって、エリクシルの場合はもっと()()かもしれない。抽出したあとの()()は、もしかすると人ではないなにかかもしれない」


「それにしても、あの指輪をうっかり褒めなくてよかった」テオは短い髪を軽く搔きまわす。「きっと苦々しい顔をして、返す言葉に窮しただろうね」


 そのとき、ユージーンの店のドアが開き、エルナが顔を出した。

「ドフェール卿! よかった、近くにいらっしゃって」


 彼女はテオたちの元へ駆けてくる。

「首都からお電話です」

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