彼女はなぜか胸を張る。あまり大きくはない。
魔導師の少女の妨害(?)に遭いながらも、なんとか路地裏にいた強姦魔から女性を救ったテオ。
刺されたはずの魔女はなんと自力で立ち上がる。
彼女は第501魔導部隊、スズ・ラングハイム中尉と名乗った。
――当文書は、旧イオニク公国の哲学者であり、物理学者でもあるジェフリー・ブラウワーの著書「構築主義の再考」の序章より抜粋されたものである。彼は自身を「召喚されし者」と名乗っている。イオニク内戦の際にエウロ二帝国へ亡命したが、世界の理をできるだけ正確に解き明かし、記述することに生涯を捧げていた。
――この世界は「ユールテミア」という。
夜に空を見上げれば星が輝いていることから、どうやら天動説をそのまま当てはめてよい世界らしい。この世界にはいくつかの大陸が存在し、いくつかの国が存在し、いくつかの民族や宗教が息づいていた。慣習や文化はお互いにバランスを崩さぬよう、注意深く住み分けられているが、実際のところ、衝突は日常茶飯事であった。
人間はときどき、いや頻繁に、争いを起こす。たくさんの人間が死ぬし、たくさんの人間がまた生まれる。また、その死生観は一様ではない。死を悲しまれないものもいれば、生を喜ばれないものもいた。
この世界ではいくつかの科学的でない事柄が存在する。物質の質量が保存されずに膨張、または縮小することがある。発電以外にもエネルギーを取り出せる方法が山ほどある。言葉は言葉以上の力を持つことがありうるし、空間は、空間以上の意味を持つことがありうる。
そしてこの世界は、この世界だけで完結していない。
いや、全ての世界は、また別の世界と互いに補完しあって、存在している。
その境界線をまたぐことは、容易ではない。
だが、不可能ではない。
異なる世界からこの「ユールテミア」へと転生するには、世界と世界を繋ぐ術――すなわち「召喚術」をもってすれば、不可能ではない。過去に多くの召喚術師たちが異世界からの「人間の召喚」を試みたが、ことごとく失敗に終わった。召喚されたのは皆、人ならざる異形の者たちであった。
しかし、召喚術師ユニス・ラングハイム卿は、術の成功には一定の法則があることを発見する。
ひとつは、召喚には高密度の魔力を宿した媒介となる物質が必要であること。
そしてもうひとつは、転生可能なのは元の世界で「生を全うせずして、生を終えた者」であるということ。
それが揃い初めて、「人間の召喚」が可能となるのである。
ユニス・ラングハイム卿はこの世界で初めて人間を召喚することに成功し、「大召喚術師」と呼ばれた。
以来、人間の召喚は「大召喚術師」の称号を国から与えられたもののみ、許されている。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
テオ・ザイフリートとスズ・ラングハイムは、数分後に駆けつけた憲兵に後始末と女性の保護を任せ、その場をあとにした。憲兵にはじゅうぶんに状況を説明しておいたつもりだったが、勤務時間外に四発、しかも市街での発砲だ。始末書くらいは覚悟しておかなければならない。
さて、第501魔導部隊というのは、ルーンクトブルグ軍には存在しない。存在しないことになっている。
軍魔導師の組織である魔導連隊は第1魔導大隊から第4魔導大隊の四つの大隊で構成されている。さらに小さい単位である中隊は、順に「第101」から「第403」というように番号付けがされている。「第501」と言った時点で、それは架空の部隊をでっち上げて面白がっている人間か、もしくは自分の身元を誤魔化そうとしている人間かのどちらかになる。
ただ、それはナイフで刺傷されても立ち上がって平然と微笑んでいる魔導師以外の、普通の人間が言った場合である。
スズ・ラングハイム。いち部隊を率いる中尉だと、彼女は自己紹介した。
第501魔導部隊とは、つまり特殊部隊のことを指していた。
軍の隠し球だ。
「それで、ラングハイム中尉。どうしてあとをついてくるんだろう」
魔導師の少女はうしろからぱたぱたとついてくる。
「もう、何度言えばわかるんですか少佐は。殺して頂きたいんです。その魔導銃で、ずばーん、と」
「中尉。きみこそ何度言えばわかるのかな。耳は聞こえているんだろうか? いいかい、おれが中尉を撃つということは、ルーンクトブルグ軍がルーンクトブルグ軍を殺すいうことになる。つまり、同胞殺人だ。通常の殺人罪よりももっと刑が重くなる可能性がある。好きこのんで刑務に服する気は、おれにはない」
静かな路地を抜け、少し開けた通りに出た。喧騒も戻ってくる。人通りも増えてくる。
「――それに、きみは撃っても死にはしない。そうなんだろう?」
「いいえ、少佐の魔導銃なら、可能性はじゅうぶんにあります。先ほどの可動で、より確信に近づきました」スズは笑う。「『ノヴァ』から放たれた閃光があの男に当たったとき、あの男の身体は光に焼かれたわけではない。切り刻まれたわけでもない。表現するとしたら、あれは分解されたように見えました。魔導銃には多く用いられているのは火属性か、もしくは風属性ですが、いずれの属性でもあれは不可能です。ですので少佐殿。あなたならできます。自信を持ってください」
「自信の問題じゃない。できたとしても、やらない。わかるだろう? 誰も、人殺しなんてしたくないものだよ」
「戦場では、なんのためらいもなく敵兵を狙撃しているのにですか?」
「状況も、目的も、まったく違う。同列には扱えない」
彼女だって軍人だ。こんな質問、わざと聞いているのだ。
「じゃあどうすれば私を殺してくれるんですか?」魔女はむくれている。
「どうしたって無理だ」テオは突き返す。
「あなたに刑罰が下らないようにすることは、案外簡単にできますよ。例えば今ソルブデン帝国と交戦中のリオベルグの町。たぶん、このまま戦況が長引けばそのうち少佐も私も派兵されます。そうしたら戦線のど真ん中で私が誤射されます。誰にも気づかれずに、こっそりと!」
死ぬために、ずいぶんと生き生きした笑顔で語る。
「おれは誤射なんてしない。残念だったね」
さらに通りを進み、「シナの木通り」まで出た。ここまでくれば、中央通りまでは一本道だ。先ほどよりさらに人が増え、店も増え、街灯があるおかげでいくぶん明るくなる。車も走り始める。
時刻は夜の七時を回っていた。
テオは途中から、軍の官舎とは逆方向に進んでいた。この魔女に住まいまで知られるのは避けておきたかった。この魔女がどこまで調べているのかはわからないが、店まで来たということは、官舎まではおさえられていないはずだ。そう思いたかった。
「しかし、どうしてそんなに死に執着するんだ。それに、そもそもの話だけど――その『不死身』には、どういうわけでなれたんだ」
この世界では、いくつか科学的ではないことがあった。
この世界は、前の世界とはとても似ており、そして違っていた。
テオはその違いをひとつひとつ認めていき、また消化してきた。魔力というエネルギーの概念や、それを用いた「魔導銃」などの兵器。そのほかにも、イオニクの樹海に住まう「魔族」の話や、この世界で初めて出会った人間である「召喚術師」など、いろいろなものを消化してきた。
ただ、消化してきたものの中に「不死身」はまだ存在していなかった。
「あー、それ聞いちゃいます?」彼女は唇を曲げる。
軽いな。
「いや、やっぱりいい。たった今興味がなくなった」
「待って。待ってください! それがまさに話の肝というか、とても大事な部分なんで! あ、そうです! そういえばお酒も全然飲んでないじゃないですか。飲みなおしましょう。行きつけがあるんですよ」
たしかに、今日テオが選んだ一軒目は失敗だった。飲みなおすのは、悪くない。
「そこの店のビールはうまいのかな?」
「もちろんですよ」
「そうか。じゃあ今日の飲み代はおれが持とう」
中尉は目をぱちくりさせる。「本当ですか少佐?! いいんですか?」
「ああ。こういうときは年長者が出すもんだから」
実際、あの強姦魔の事件に巻き込んで負傷させてしまったことについて――もっともその傷はもうすっかり消えているのだが――若干の負い目を感じていたのだった。ローブだって、血だらけにしてしまっている。
「なるほど、年長者! 人間がデキてますね。少佐はおいくつなんですか?」
「今年で――そうだな、一応二十三になる」
「一応?」中尉は首を傾げた。
「いや、なんでもないよ」
こちらの世界にきてからは、まだ五年しか経っていない。テオの一つ前の人生は、十八年で幕を閉じている。馬鹿げた事故のせいで、予期せぬ終わり方をした記憶がある。前世と足し合わせてみるとちょうど外見とも帳尻があうため、そのように歳を数えていた。
「そういえば、中尉はまだ若いな。まだ十代に見えるが、その歳で中尉とは大したものだよ」
「ああ、私ですか? 実は今年でちょうど五百歳になるんですよ」
「そうか。きりがいいんだな。いつもより盛大に祝うべきだ」
「はい。あ、私指輪のコレクションしてるんです。プレゼントを選ぶときは覚えておいてくださいね」
ラングハイム中尉の案内で、彼女の行きつけだという店へ向かう。
シナの木通りから少し東へ歩いた路地に、なかなかおもむきのあるレンガ造りのビアパブが現れた。
店に入る直前、テオの歩みが止まる。
「中尉、いまなんて言った?」
「なんですか?」彼女は首をひねる。「ああ。私、指輪のコレクションをですね」
「違う、その前だ」
「えーと――リオベルグの戦線で私が誤射で殺されるっていう作戦を」
「戻りすぎだ!」こいつ、わざとやっている。
「五百歳? 冗談もたいがいにしてほしい。はっきり言って、あまり面白くはない。きみのことが少しずつわかってきたよ。流れるように嘘をつく――まあ、女性に年齢の話は失礼だったかもしれないけど」
「少佐、疑うんですか? それこそ失礼ですよ」彼女はなぜか胸を張る。あまり大きくはない。「私は御年四百九十九歳、今年で五百歳です」
テオは額に手を当て、苦笑いをした。
この世界も、まだ五年だ。テオは思いなおした。
五年ぽっちなのだ。そんな程度で「たいていはわかった」などと思ってはいけない。人間が五百年も生きる。ありえないことではない。そもそもテオは、世界は違えど、生き返ったのだから。ありえないなんてことはありえない。
「――そうか。それは申し訳なかった。なんというか、ずいぶん、いやかなり年上だね。五百か」
「だから死にたいんですよ」
二人は店のベルを鳴らした。