そのうちほとんどが、名前も知らない女だそうだ。
「そのジャーナリストを名乗る女は、おそらく首都にいる。そしてはなっから、軍の活動を応援なんかしちゃいなかった。むしろ逆だな。店主の聞いたその女の言動をまとめると、ありゃ頭のてっぺんまで浸かりきった軍縮論者だ」
ひととおりの報告を終えたバルテル少尉は、大きく葉巻の煙を吐く。士官室の自分のデスクに両足を乗せ、ずいぶんくたびれたそぶりだ。
「とすれば、白銀の党とそもそも繋がりがあったと考えても理屈が通りますね」
アルトマン准尉が言う。肩にはまだ包帯が巻かれ、しっかりと固定されている。
「よし、その線で追ってみるか」テオは書類の束をいったん脇へ押しやる。「フィルツ大尉指揮の元、バルテル少尉、アルトマン准尉でその女のほうを頼む。デニスさんにも情報共有を行ったうえで、合同で捜索にあたってくれ」
三人がそれぞれ承服の意を示す。
「准尉。腕はまだじゅうぶんでないんだろう」テオはアルトマン准尉に付け加える。「あまり無理はするな。身体を使う仕事は全部、遠慮なくバルテルにぶん投げていい」
「聞こえてるぞ少佐」バルテル少尉が葉巻を灰皿に押し付けながら言う。「悪いが、顔のいい男を手伝っていられるほどおれに余裕はないね。とくにラルフ、おまえみたいな黙ってても女が寄ってくるタイプを、おれは心底嫌悪してる。ほかを頼ってくれ」
「バルテル少尉も、もう少し身体が締まれば寄ってきますよ。ね? フィルツ大尉」と、アルトマン准尉が少尉の肩を叩きながら言う。
「甘いわね、准尉」フィルツ大尉がため息をつく。「私が作ったカロリー制限のメニューをことごとく無視し続けるのだから、彼が女性に言い寄られるのなんて、何百年も先のことよ」
「一日ザワークラウト百グラムとコーヒーで、どうやって生き延びろってんだ」
バルテル少尉は肩をすくめる。
大尉は彼をきれいに無視した。
それぞれすばやく身支度を整えて、ほんの数分後には士官室をあとにする。
部屋にはテオとスズが残った。
「アルトマン准尉は、そんなに女誑しなんですか?」
スズはそう言って、チョコレートクッキーの粉がついた指を舐めている。
「いんや、真面目な男だよ。少し前までは相手がいたそうだが、今はひとり身らしい。まあ、マルシュタットにはずいぶん女性の知り合いが多いようだけどね。前に一緒に飲みに行ったとき、街を歩いていると五分に一回くらい声をかけられていたよ。そのうちほとんどが、名前も知らない女だそうだ」
「天性の色男じゃないですか」
スズは感心したように声を上げる。
「ところが、やつは年上が好みだそうだ。それも、ひとまわりくらい上がいいらしい」
「彼、歳はいくつでしたっけ?」
「たしか、十九だったかな。うん、今年に入って、そう言っていた気がする」
「なんだか、今後苦労しそうですね。直感ですけど」
ラルフ・アルトマン准尉は中心部にほど近い市街地で安い部屋を借り、弟と一緒に暮らしている。
幼いころに両親が離婚し、母親とともに三人で田舎暮らしをしていたらしい。しかしあまり時を経ずして、母親も病気で亡くなる。彼と幼い弟は選択の余地もなく、仕事を探して首都へと出てくることになった。
テオはそんな話をアルトマン准尉本人から聞いた。
彼はそういう幼少期を呪うわけでもなく、かと言って美化するわけでもなく、ただの昔話としてテオに語った。安いビールを飲みながら。
「今後というか、これまでも苦労してきたといえば苦労してきたみたいだ」
テオはスズにもそれを話す。
アルトマン准尉が語ったように、脚色なく伝える。
「苦労をするべきだとか、苦労そのものが美徳のように考えるのは反対ですけど、ただやはり男はそうした苦労が経験値となり、魅力として身につくような気がしますね。まあ、能動的にものごとに立ち向かわなければ、その経験も無意味でしょうけど」
スズはそう言って、冷めたコーヒーを飲む。
「長生きしている人間が言うと重みが違うな、ラングハイム中尉」テオは自分の顎をさする。「なんというか、きみはこれまでいろいろな時代に、さまざまな人間と出会ってきたんだろう。優秀な人間に会うこともあれば、愚鈍な人間に会うこともあり、魅力的な人間に会うこともあれば、悲しいほど醜悪な魂をぶら下げた人間にも、会ってきたんだろう。中尉にとって何年経っても忘れられないような人間も、その中にはいたんだろうと、勝手ながら想像するよ」
「ええ。千差万別、多様な人間を見てきました。でも、なんていうんでしょうね。長いあいだ生きていると、杓子定規で言いあらわせてしまう人間と、そうでない人間とがはっきりと分かれていくんです。ちょうど、硬い岩にぶつかった川の水みたいに。片方は勢いをなくし、もう片方はより強い流れになる。そして後者は、平易な言い方をすれば、とにかく『魅力』がある人たちでした。こちらが論理的に頭を使って、冷静に挑もうとしても、いつのまにか思考停止させるくらいの、強烈な『魅力』です。それは私のことを慰めてくれる光であると同時に、一方でとても危険な闇でもありました」
「そういう人間を、愛したことも?」とテオは聞く。
「五百年も生きていれば」スズは笑う。「死ぬほど愛することもありましたし、死ぬほど憎んだことも、ありました。結局死ぬことなく、ここまで生きてきましたけどね」
彼女は、まるで無意味に生き延びてきてしまったというような言い方をする。
スズ・ラングハイムは、さまざまな出会いを繰り返すことによって、またさまざまな別れを繰り返すことによって、そのたびに自分自身のすがたを確認してきたのだろうと、テオは思う。仮説を導き、主張し、反証し、結論をまとめるという内面的な作業を重ねて、死生観を確立してきたのだろうと、テオは思う。
「きみをノヴァで撃ち殺すと、エリクシルが残るそうだね」
テオは切り出す。スズは驚いた目で、テオを見る。
「レオンに、きみの解決方法について、助言を求めたときに聞いたんだ。もちろんそれを実行することは、求めていた解決方法とはまったく違うものだけど」
「そうでしたか」スズは頷いて、三角帽子のつばを両手で触る。「言っておきますけど、私はそれも解決方法だと思っています。少佐の気が変わって、『そうだ中尉。きみを撃つことに決めたよ』と言ってくれるのを心待ちにしているんですから」
「悪いけど、それはない」テオは肩をすくめる。「仮にそう決めたとしても、きみが今この部隊からいなくなってしまうのはけっこうな損害だ。おれが思い描いていた編成も、いちから構築し直さなければならなくなる。だからしばらくは――」
「でも、時間は限られています」スズはテオの言葉を遮って言う。「少佐。時間は限られているんです。そのときが来れば、私は手段を選びませんからね。絶対に撃ち殺されてみせますから。前も言ったように、あなたは希望なんです。どんな意味においても」
真剣な目を向けられて、テオは少しうろたえる。
「しかし、中尉――」
「この話は、またにしましょう」スズは両手を上げて言った。「それより、エウリュアレの言っていた『マリア』について、私たちも動かなければならないのでは?」
なにか喉奥につっかえたような気分を覚えながらも、テオは彼女の言うとおり「マリア」についての話題に移った。
ラングハイム中尉とフィルツ大尉に頼んでおいた「マリア」という名前の調査は、結局のところほとんど進展がなかった。軍部に残っているオルフ戦争時の記録や、国立図書館の文献なども調べてみた。
しかしそもそも「マリア」はありふれた名前で、見つけたところでエウリュアレが指している人物なのかどうか、確証が持てない。
「ゴーゴン三姉妹がオルフ戦争時の魔族なのだとしたら、『マリア』も当時の人物か、もしくは同じ魔族の愛称のようなものかもしれない。問題は、その『マリア』になんらかの仕事が与えられていて、それはラングハイム中尉、きみに関係しているということだ。きみが不死身ということも、知っているようだった」
スズは天井を見上げて考える。頰をぷくぷくと膨らませたり、唇をすぼめたりする。
「オルフではいくつかの戦線に参加しましたが、もちろん敵軍をすべて確認しているわけでもありません。たとえ『マリア』という人物に会っていたとしても、忘れているかもしれませんね。でももし『マリア』が人間なら、もうかなりご高齢ですよね」
「そうなるな。だが、ハイランダーもある。イオニクは世界有数の鉱山、グルントルドを有していた。もしかしたら、かなり若作りしているかもしれない」
「少佐」スズがまっすぐテオを見る。「ちょっと、単独行動させてもらえませんか?」
テオは眉をひそめた。「どうした、急に」
「『マリア』を知っているかもしれない人に、心当たりがあります。ただ、ちょっと訳あって――できれば、私ひとりで会いにいきたいんです」
「どのくらいの期間になる? 行き先は?」
「そうですね、三日ほどもらえると」スズは指を三本立てる。「場所は、ラインハーフェンです」