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来週はとても忙しいです。

 レナエラはカーテンの隙間から外を見た。

 ここへ来るときに抜けてきた森が見える。暗闇の中で黒々と身を潜め、なにも語らずにじっとしている。雲がかかっているのか、空に星は見えなかった。


 ライフル型の魔導銃はもちろん、ホルスターに入れていたピストル型のほうもなくなっている。人質なのだから、武器は奪われて当然だろうと、レナエラは思う。


 今はもう、身体に支障をきたすほどの魔力は感じなかった。

 この建物の中には、ステンノーも含めて複数の「魔力を持つ者」がいるのを、レナエラは捉えていた。しかし、いずれも大きな魔圧を感じない。少なくとも体調に影響が出るほどの魔力は、垂れ流されていなかった。

 メデューサという魔族は、もうここにはいないのだろうか。


 どちらにせよ、抵抗する(すべ)も奪われ、私は「人質」となってここに囚われているということには変わらない。会合の中でどのような合意があって、私がこの役目を引き受けることになったのかは定かではないものの、それが政治的な判断のもと、下されたのだろう。


 ソルブデンの地とここは、黒い森と結界によって、完全に分断されている。

 森を見ていると、レナエラはいくぶん見捨てられたような気持ちになった。


「ステンノーちゃん。私はここでじっとしていればいいの?」

 レナエラは振り返って言う。


 ステンノーはベッドにうつ伏せになって、熱心に本を読んでいた。茶色の表紙に金色の飾り文字の、大きな本だった。

 彼女はレナエラの方へ向いて言う。

「レナエラはステンノーと一緒にいなければいけません」


「一緒に?」レナエラは首を傾げる。

「そうです。一緒です。ステンノーがここにいるときは、レナエラもここにいます。ステンノーがお仕事に行くときは、レナエラも一緒にお仕事に行きます。いつも一緒にいなければいけません。メデューサがそう言いました」


「お仕事は、やっぱり人を殺しにいくの?」

「そうです」

「私、あんまり人殺しにはなりたくないなあ」

「レナエラは殺さなくても大丈夫です。殺すのは、ステンノーのお仕事です。お仕事は忙しいですが、レナエラはやらなくても大丈夫です。人質さんなので」


 そう言うと、ステンノーはまた本のページに目を落とした。じっくりと目を凝らし、書かれている言葉のひとつひとつを追っている。ときおり、人差し指で開いているページを縦になぞって、難しい顔をする。


「ステンノーちゃん」レナエラはもう一度話しかける。「お手洗いは、部屋の外? ちょっと、用を足しに行きたいんだけど」


 途端に彼女は、口を大きく開き、金色の瞳をレナエラに向けた。

「ステンノーとしたことが!」幼い声が部屋に響く。「ステンノーは、レナエラに教えるのでした! おしっことお風呂とごはんのことを教えるように、メデューサに言われているのでした! すっかり忘れていました! 来てください!」


 彼女はベッドから飛び降りる。金色の髪がふわりと揺れる。裸足のまま部屋の外へと飛び出すステンノーに、レナエラもついて行く。


 暖炉の火が燃えているおかげで暖かかった室内とは対照的に、廊下は寒々としていた。レナエラは思わず自分の腕を(こす)る。大理石の床はまるで冷気を放つ氷のようだった。だがステンノーは気にせず、裸足でその上を駆けてゆく。


 彼女は手洗いと浴室の場所を示し、いくぶん得意げに、タオルや(くし)の使い方、蛇口の捻り方などを説明した。レナエラはそれにひとつひとつ頷き、初めて知り得たことのように感心し、驚嘆(きょうたん)することにした。ステンノーの口角がぐいぐい上がっていくのを見るのは楽しかった。これは彼女のお仕事なのだ。邪魔をしてはいけない。


 旧イオニク公国に生き残っている魔族は、六十年前に喚び出された召喚獣であるというのは、もはやこの世界の常識であった。レナエラも歴史には(うと)いほうであったが、そのことは知っている。

 士官学校で学んだ魔族たちは、一様にしてグロテスクであり、邪悪な身体を持つものとして描かれていた。小悪魔(インプ)やゴブリン、オーガー、コカトリス――そのどれもが、人間を襲う恐ろしい化け物として、いくらか脚色された挿絵とともに、教本に載っていた。そのおぞましくも滑稽な姿かたちに、教室の幹部候補生たちからはいくらか失笑が漏れる。だが、できればこいつらとは遭遇したくないなと、皆心の中では思う。


 魔族とは、そういう存在であった。


「ステンノーちゃんは、ずっと昔からここに住んでいるの?」

 部屋に戻ったレナエラはロッキングチェアに腰を掛ける。


「ここに来たのは、つい最近です」ベッドに寝そべるステンノーはにっこりと笑って言う。「たしかメデューサは、六十年前に、この世界に()()()()()()()と言っていました」


「六十年前は、ステンノーちゃんたちにとっては『最近』なんだ」

「そうです。ステンノーも、エウリュアレもメデューサも、だいたい千年くらい前に生まれたんです」

「千年も前に? それはすごいね。やっぱりステンノーちゃんも魔族なんだね」


 ステンノーは不思議そうな顔をする。

「魔族は『使われるもの』のことだと、メデューサは言っていました。ステンノーは魔族ですか?」


 レナエラは面食らい、答えに(きゅう)した。

 人間の世界で「魔族」がどんなふうに教えられているのかは、ステンノーはあまり知らないようだった。ただそれを彼女にそのまま伝える気には、あまりなれない。


「ステンノーちゃんは、ステンノーちゃんだもんね」

「はい。ステンノーはステンノーです」


 それから二人は、ステンノーのいう「最近」の話をいくつかした。

 六十年前のオルフ戦争。彼女たち「ゴーゴン三姉妹」はその強大な魔力で、多くの人々を殺した。

 先の戦争でもっとも恐れられた魔族の一端である彼女らは、当時の上級魔術師たちによって一度封印されたのだという。ステンノーは封印されていたことを「眠っていた」と表現した。


 そして彼女たちが眠りから覚めたのは、今から五年前のことだった。


「マリアが、ステンノーたちを起こしてくれました」ステンノーは言う。「メデューサは人間が嫌いです。でもマリアのことはたぶん好きです。マリアは人間ですけど、ステンノーたちの恩人です」


「そのマリアっていう人が、今のイオニクの指導者ってことなのかな?」

 レナエラは尋ねる。


「ステンノーには、難しいことはわからないです。ステンノーは本が好きだったので、たくさん本が読みたかったんです。だからマリアにそうお願いをしました。そしたら、お仕事をすれば好きなだけ読んでもいいと言ってくれました。来週もステンノーはお仕事をします。来週はとても忙しいです。でも、終われば本を読めます。だからステンノーはお仕事を頑張ります」

 ステンノーは小さなその両手をぎゅっと握りしめた。


「来週はお仕事なの? じゃあ私も一緒に行かなくちゃなんだね」

「そうです! レナエラも一緒です。ステンノーはレナエラと一緒にお仕事に行くのが楽しみです」

 ステンノーはベッドの上で飛び跳ねる。


「どこに行くの?」

「マルシュタットという街に行きます! ステンノーは初めて行きます」


 マルシュタット。ルーンクトブルグ共和国の首都だ。

 レナエラは首都はもちろん、共和国の領土へは足を踏み入れたことがなかった。


「ステンノーちゃん、私は帝国の人間だから、そっちには渡れないよ。それに身元証明を求められたら、たぶんとってもまずいことになる。あと、この服のままだとすぐに捕まっちゃうよ」

 レナエラはインディゴ・ブルーの軍服姿だった。


「心配は要りません」ステンノーは言う。「クローゼットの中に洋服はたくさんあるので、好きなものを着てください。もし捕まりそうになったら、ステンノーが飛んで逃げます。レナエラはステンノーが守ります」


 華奢(きゃしゃ)な身体をぴんと伸ばして、彼女は胸を張る。ずいぶんと殊勝なことを言われたが、依然としてレナエラは不安だった。


「でも、マルシュタットへ行って、いったいだれを殺すつもりなの?」


「来週はとても大事なお仕事です。メデューサはそう言っていました。失敗は許されないぞと、怖い顔で言っていました。重要な人間なので、ステンノーは忘れないように何度も声に出して練習しました」

 ステンノーは鹿爪しかつめらしい声で言う。


「アンゼルム・コルネリウスという人を殺します」

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