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難しい本は、ステンノーを眠らせます。

目を覚ましたレナエラの前には、黒いルームドレスの女の子が寝ていた。

「きゃああああああっ!」


 蝙蝠少女はレナエラを見て飛び起き、大声で叫んだ。

 金色の髪を振り乱してベッドから飛び降りる。部屋のとびらの方までばたばたと駆けていく。


「ちょっと! 大丈夫、なにもしないってば!」

 ここまで驚かれるとは思っておらず、レナエラは慌てて両手を振る。


「あああっ! あーっ、ああっ」

 少女は不規則な呼吸で、とびら近くの壁に張り付くようにして背中をつけ、レナエラを凝視している。壁面をがりがりと引っ掻いたり、裸足で地団駄(じだんだ)を踏んだりする。ずいぶんパニックになっているようだった。


「まずは落ち着こう! 落ち着くことが、なによりも大事だよ! ね? 私、さっきまでは別の部屋にいたんだけど、具合が悪くなってしまって、気がついたらこのベッドに寝かせてもらっていたの」


 少女は依然、落ち着かない様子でレナエラに観察している。ほとんど睨みつけているような表情だった。ふーふーと息づかいが聞こえる。


「あなたは、いったいだれ? お名前は?」

 レナエラは少女に尋ねる。


「――ステンノー、です」息も切れぎれに、彼女は言う。「いつもは! いつもはこんなんじゃないです! 人質さんが急に近くにいたから! 覗き込んでたから! ステンノーはびっくりしてしまっただけです。私はステンノー・ゴーゴンです。三姉妹の長女です。いちばん上のお姉ちゃんなんです!」


「ステンノー・ゴーゴン」レナエラは繰り返す。「いちばん上のお姉ちゃん。ステンノーちゃんね。覚えたよ。私はレナエラ・エスコフィエっていうの」


「レナエラ――えす、えすとろ」

「レナエラでいいよ」

「――レナエラ」


 レナエラはにっこりと笑顔を作り、頷く。

「――それで、私はやっぱり人質なんだ?」


 ステンノーは首をぶんぶんと縦に振る。

「そうです。人質さんは人質です。メデューサに言われて、ステンノーは人質さんをちゃんと見ていたんです」


「でも、寝ちゃったのね?」

 レナエラは言う。


 とたんに、ステンノーは顔を真っ赤にする。「そ、それは」


 一応私は「人質」に囚われている身であるらしいし、本来ならばもう少し怯えなければならないと思う。でも、目の前であたふたしている少女にはちょっと意地悪(いじわる)をしてみたくなる。


「そうです!」彼女は急に思い出したように叫んだ。「ステンノーが読んでいた本がすごく難しかったから、仕方がなかったです! ステンノーは本が好きです。毎日、たくさん本を読みます。お仕事のときは忙しいのであまり読めません。知らないことがたくさん書いてあって、本は面白いです。でもさっきまで読んでいた本は歴史の本で、難しい言葉がたくさん出てくるんです。だから、ステンノーは寝てしまったんです!」


「わかる。歴史の本は、とっても難しいよね。私も読んでいると、すぐに眠くなっちゃうもん」


 ステンノーは顔がほころび、よほど共感されたことに嬉しかったのか「きゃはー」というような声を出した。そしてすぐ「こんなリアクションはステンノーじゃない!」とでも言いたげに、表情を戻す。


「そうです。難しい本は、ステンノーを眠らせます。ステンノーはまたひとつ学びました」


 レナエラは興奮状態にあったステンノーをなんとかなだめすかして、彼女を最初に寝ていたベッドまで戻すことに成功した。実際話を続けてみると、彼女はまあまあ素直な性格をしているし、こう言ってはなんだがあまり頭が強くないみたいだったので、それはそう難しい作業でもなかった。


「それで、ステンノーちゃんは私の監視役、みたいな役目なのかなあ?」


 ベッドにちょこんと座っているステンノーはこくんと頷く。

「そのとおりです! 人質さんをちゃんと見張っているように、メデューサに言われたです。メデューサはステンノーの妹です。いちばん下の妹です。真ん中には、エウリュアレもいます。ステンノーがいちばん上のお姉ちゃんです」


 いちばん上のお姉ちゃんが、いちばん下の妹に指示を受けているのは少しおかしいということについては、なにも言わないことにした。


「そのメデューサさんは、さっき私の国の人と話していた女性?」

「そうです! 人質さんは、メデューサの魔力に()()()()()、気持ちが悪くなってしまったんです。人質さんはたぶん、普通より入力感度が高いのです」


「入力感度かあ」

 それでレナエラは少し合点がいった。


 魔導銃などを扱う際、魔導銃師は自らの魔圧を込めて銃を可動させる。

 そのときの「魔圧の込めやすさ」を、出力感度と言うことがある。出力感度が高かければ高いほど魔圧を込めるのが早く、そして当然のごとく、銃を可動させるのも早くなる。実戦においては魔力そのものの大きさよりも、この出力感度が重要になることも多かった。

 実際のところ「魔圧」と「出力感度」という二つの言葉は混同されることも多く、魔導銃師の中でもあまりよく理解していない者がいるくらいだった。


 入力感度とは、その逆である。

 魔圧を受けたときの取り込みやすさをそう呼ぶのだが、あまり広く使われる言葉ではなかった。

 その感度を備えている人間が、そもそもあまり多くないのである。この感度を持ち合わせており、さらにその数値が異常に高いレナエラは、言ってしまえば「特殊体質」だった。


「持病のようなものなんだ」

 レナエラは苦笑する。


「じびょう?」ステンノーは首を傾げる。

「生まれたときから、病気って意味だよ」


 魔導銃において重要なのは出力感度のほうであり、入力感度の用途はあまり知られていない。ではいったいなにに用いられるのかといえば、ほぼひとつだった。


 ()()()である。


 魔力を持っている者についてであれば、レナエラは広範囲に渡り、相手の位置を特定することが可能だった。おおよそ半径十キロメートルくらいなら、ほんの数メートルの誤差で、敵魔導軍の位置を把握できる。


 この「特殊能力」が重宝したのは、数年前に西部戦線(リオベルグ)が激化したころだった。帝国の軍部は彼女を魚群を捉えるソナーのように扱い、最前線から一歩引いた位置に置き続けた。共和国軍の魔導部隊を探知して、帝国軍は戦況を有利に運ぶ。結果、彼女は勲章を得て、階級を上げることになる。


 しかしこの力は、無制限に利用できるわけではない。センサーのようにいつでも周囲に張り巡らせておいて、画面を見ればいつでも情報を取得できるようなものではない。


 出力感度は、()()()()()ことができなかった。彼女は常時、周囲にある魔力を感じ取っている状態だった。


 対象が少人数であったり、あまり大きな魔力でない限りは、ほんの少し雑音が聞こえるような感覚で済む。痛みもなく、眠りを妨げることもない。

 だが、大勢の魔導師に周囲を囲まれていたり、より強い魔力を持った者がそれを放出しているときは、そうもいかない。それは多くの場合、強烈な頭痛を伴って訪れる。激しく全身が痺れることもあれば、吐き気を伴うこともある。


 そして西部戦線(リオベルグ)においてはそれ以上に、魔力に人間の意思が含まれていた。


 おぞましかった。それは容赦なくレナエラに流れ込んできた。彼女は戦場で、だれよりも多く断末魔を聞いた。魔力が強ければ強いほど、それが放出されるときの怒りや、術者の意思が消えるときのとてつもない絶望も伴って、レナエラのもとへやってきた。決壊するダムの水を全身で浴びるように、彼女はそれを受け止め続けた。

 先ほどのように意識を失うのも、一度や二度ではない。

 前線へは、もう行きたくない。


「人質さんは、病気には見えないです」

 ステンノーがレナエラの顔を覗き込んだ。


「目に見えない病気も、世の中にはたくさんあるんだよ」

 レナエラは言う。


 ステンノーは少し考え込んでから言う。

「そういう病気のことが学べる本はありますか?」


「うん、あると思う。病気の本は、たいていは難しい本だけども」

「それはだめです。難しい本は、ステンノーを眠らせます。難しくない病気の本はないんですか?」

「探せば、この世界のどこかにあると思うなあ」


 ステンノーは困った顔をする。

「ステンノーはまだこの部屋にある本しか読んだことがないです。外に出るのは、お仕事のときだけです。お仕事のときはあまり読めません。困りました」


「困ったねえ」レナエラは言う。「お仕事の合間に本を探すことはできないの?」


 ステンノーは足をぱたぱたと動かす。

「お仕事はとっても忙しいんです。忙しくなければ仕事じゃないと、メデューサはよく言っています」

「お仕事って、例えばなにをするの?」


 ステンノーはにっこりして言う。

「人を殺したりします」

「いつも?」

「ほとんど、いつもです」


 やっぱり魔族なんだなとレナエラは思う。

「人を殺すのは、すごく忙しいものね」

「はい、忙しいです」

「でも、できれば私はステンノーちゃんに殺されたくないなあ」


 ステンノーは真顔になる。

「大丈夫です! ステンノーは適当に殺すわけではありません。ちゃんと、殺さなければいけない人だけを殺します。人質さんは人質なので、殺してはいけない人です」


 レナエラは苦笑いを浮かべる。

「できたら、人質さんって呼ばれるのもやめてほしいなあ」

「人質さんは人質さんです。メデューサが言っていました」

「でも、私には名前があるの。名前があるのに、名前を呼ばれないのは少し寂しいんだよ」


 ステンノーは不思議そうな顔をする。

「寂しい――ですか?」

「うん、とても寂しい」

「名前で呼んだら、寂しくないですか?」

「そうだね、寂しくない」


 ステンノーはまた考える。さっきよりも長く考える。

 表情がころころと変わって、レナエラは見ていて楽しかった。子供が欲しいと思った。もっとも、まずは相手からなのだが。


「寂しいことについて学べる本はありますか?」

 ステンノーはまたも本を求める。


 レナエラは頭をひねる。

「寂しいについて? うーん、難しいなあ。小説とか読めば、学べるかもしれないけど」

「しょうせつ?」

「物語が書いてある本だよ」


「それなら、この部屋にもたくさんあります!」ステンノーは立ち上がって、両手を広げる。満面の笑みだ。「レナエラはいろいろなことをたくさん知っています! まるで本みたいです!」


「あ、名前呼んでくれた」レナエラはいたずらっぽく笑う。


 ステンノーは頬を膨らませる。

「ステンノーだって、寂しいより寂しくないほうがいいことくらいわかります!」

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