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置いてかれたのかなあ? 私。

「それで、いつごろまでに手に入る? 目処(めど)はたっているのか」


 ソルブデンの要人たちは、にわかに色めき立っている。まるで金塊のありかをつきとめた海賊のような眼差しを、イオニクの代理人であるマウラに向けている。


「知ってのとおり、エリクシルは不老不死の(みなもと)一朝一夕(いっちょういっせき)には参りません」とマウラは言う。


 中央にいる黒いひげの男が険しい顔をする。

「あの魔鉱石の捜索とその所有権の取引は、五年前にこのテーブルを設けたときに決定した最重要事項だ。期限を切らせてもらうぞ。履行されなかった場合、こちらとしても対応が変わってくる」


「予告もなしにオーガーを放ち、コカトリスを食い散らかしておいて、ずいぶんなもの言いですこと」

 マウラは無表情でそう言い、紅茶をひと口飲む。ソーサーとカップがかちゃりと音を立てる。


「通達義務はありません」三人のうち、まだ口を開いていなかったいちばん若い男が言う。「敵国領土内での、しかも魔族同士の鉢合わせです。同じ(おり)に二種類の猛獣を入れていたようなものですから、一方がもう一方を捕食することくらいは織り込んでもらわなければ」


 彼女は鼻で笑う。

「いいんですよ、こちらは本件に関して非難しているわけではありません。石の捜索が遅滞してしまってもよければ、べつに構いませんから。我々はまだ国家ではない。予算も人員も、あまり()けませんし」


「不作為は許されないぞ」と黒いひげの男が凄む。


 そしてマウラは、とびらのそばにいるレナエラ・エスコフィエ大佐に目を向ける。

 レナエラは立っているのがやっとだった。強い吐き気が続き、めまいがした。マウラの視線を浴びると、それがより強くなる。胃液の味が濃くなり、あごから汗が(したた)り落ちる。


「ご提案がございます」マウラは両手を組み、テーブルの上に置く。「軍人をひとり、うちに寄越(よこ)してください。あなた方にとっては監視役、我々にとっては――そう、()()となり得ましょう」


 要人たちは互いに目を見合わせる。


 マウラは続ける。

「護衛の方が、先ほどからずいぶん体調がすぐれない様子です。かなり辛そうだ。少し横になって、休んだほうがよろしいかと」


 レナエラは自身のことに言及されてはっとする。


「あっ――」

 同時に足元が崩れ、壁に寄りかかるようにして座り込んでしまった。


「大佐、大丈夫かね?」黒いひげの男が振り向き、目をしばたかせる。


「申し訳ありません。少しだけ、めまいが」

 レナエラは震える手で胸を押さえる。奥のほうがきりきりと痛んだ。


 彼女はほとんどパニック状態に(おちい)っていた。

 まるで自分の身体ではないような感覚だった。力が入らず、うまく息ができない。瞳孔(どうこう)が開き、汗が止まらない。要人のうちだれかが「だらしがない」と悪態をついているが、それに反応する余裕もなかった。

 彼女は西部戦線(リオベルグ)で聞いた、無数の断末魔を思い出す。


 レナエラはそのまま意識が遠のき、視界には何も映らなくなった。

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 まるで泥にはまり込んで動けなくなってしまったかのように、レナエラは昏睡(こんすい)の淵に落ちていた。かなり長いあいだ、彼女はそこにいる。なにも見えず、においもないその場所で、時間をただひたすらに食いつぶした。


 目が覚めたとき、レナエラは大きな天蓋(てんがい)付きのベッドに寝かされていた。


 身体の不調はほとんど(おさ)まっており、胸の痛みも、吐き気も和らいでいる。手足にはうまく力が入らなかったが、動かせないほどではなかった。


 ゆっくりと上半身を起こす。

 そこは先ほどとは別の部屋だった。ただ、大きさも、その趣向も、さきほど要人たちとマウラが会合を行なっていた部屋とほぼ同じだった。ベッドのそばに暖炉があり、ぱちぱちと薪が火の粉を散らしている。丸テーブルはなく、レナエラが寝ているベッドのほかには木製のローテーブルとロッキングチェアが二つずつ。壁際には大きなクローゼットがひとつと、いくつか本棚が置かれている。見たところたくさんの書籍が詰まっていた。新しい出版物から古い伝記のようなものまで、さまざまだった。

 窓のカーテンは閉じられているが、日光は感じられない。どうやらもう夜らしい。


 天蓋付きのベッドが、となりにもうひとつ置かれていた。レナエラが寝ているベッドと同じく、白いレースが美しくたゆみ、オーロラのように飾られている。


 そこには、黒いドレスの少女が眠っていた。


「ひゃっ!」

 レナエラは、身体を縮めるようにして小さく跳ねた。

 部屋には誰もいないと思い込んでいた。


 その少女は掛け布団の上にそのままうつ伏せになって、小さな寝息を立てて眠っている。

 顔立ちと背丈からして、十三歳くらいかなとレナエラは思った。ふっくらした白い頬と少し広めの(ひたい)が、より彼女を幼く見せている。腰までとどく金色の髪が、まるでなにかの模様のように、無造作にベッドに投げ出されていた。その右手は、赤い表紙の小さな本に置かれている。

 少女は膝丈くらいのルームドレスを着ていた。真っ黒に染められた肌触りのよさそうな綿の生地で、肩や(すそ)に小さなクロッシェレースがついている。脚にはなにもつけておらず、裸足だった。


 すやすやと気持ちよさそうに寝ているその少女をひととおり観察したレナエラは、異変に気が付いた。


 背中に羽が生えている。


 最初はルームドレスに同化して、なにかの模様なのかと思った。でもたしかに、その小さな背中に、黒い羽が一対(いっつい)、生えているのである。

 そのかたちは蝙蝠(こうもり)の羽だった。彼女が持っている本と同じくらいのサイズで、今はぴったりとたたまれている。すべすべとした表面に、とても細い産毛(うぶげ)がそよいでいる。彼女の寝息のリズムと合わせるように、その羽もゆっくりと、まどろむようにして動いている。


 いったい、この子はだれだろう?


 蝙蝠の羽が生えているのだから、もしかしたら人間ではないという可能性もある。いや、それはじゅうぶんに考えられる。さきほど会合を行なっていたマウラという女性だって、ただの人間とは思えなかった。

 これが、魔族だろうか?


 ベッドに腰掛けたまま、レナエラはじっとその蝙蝠少女を見つめ、ゆっくりと、頭の中を整理するようにして考えた。


 私は会合の途中で倒れ、意識を失った。

 ソルブデンとイオニクの会合はすでに終わったのだろうか。交渉ごとにはある程度折り合いがつき、おひらきとなったのだろうか。外はもうこんなに暗い。すでに要人たちも護衛の兵士たちも帝国へ帰還しているころなのではないか。


「置いてかれたのかなあ? 私」


 それはほぼ確実なような気がした。

 たしか倒れる直前、あのマウラという女性が「軍人をひとり寄越せ」というようなことを言っていた。見張りだとか、人質だとか。

 そうか、私は人質に選ばれてしまったのか。


 でも、いったいなんのための見張りであり、人質なのか、レナエラにはよくわからなかった。もう少しちゃんとした軍人を選んだほうが絶対にいいのにと、彼女は思った。


 蝙蝠少女はひたすらに眠りを貪っている。

 こうして天蓋付きのベッドの上で、気持ちよさそうに寝ている少女を見ていると、少し不思議な気分になる。白いレースの天蓋の下で、長い金色の髪を持っている彼女は、さながら天使のようだった。しかし全く逆に、黒いドレスを(まと)い、蝙蝠のような羽を持っているところは、まるで悪魔だ。


 フルートのような細い音色の声を出し、少女は寝返りを打つ。その小さな身体が仰向けになる。金色の髪が落ち、白い頬がむき出しになる。わずかに開いた口から、また規則的な寝息が聞こえる。


「とりあえず、起こしたほうがいいよね」


 レナエラはゆっくりと立ち上がり、少女を揺り動かそうと手を伸ばす。

 ちょうどそのとき、少女の目がぱっちりと開いた。


 綺麗な金色の瞳に、レナエラが映り込んだ。

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