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鮮やかでセクシーな色をしていると思いません?

 切れ味のよい刃は、一気に三十センチほど突き刺さり、貫通する。

 黒のニットが破ける。肉が裂ける鈍い音がする。


「なっ――おいおまえ! やめろ!」

 慌てるデニスに対して、スズはにこやかに笑っていた。


 一度包丁を抜き取る。一緒に鮮血が飛び散り、床を染める。

 彼女は何度も何度も、刃を腹部へ刺し込んでいった。

 前かがみになり、刺すたびに目を見開き、小さく(うめ)く。包丁の()の部分まで真っ赤に染まる。床にできた血の池がどんどん広がっていく。


「すまん。床は後で掃除させる」

 テオはその惨状を見ながら、デニスに謝罪した。


 彼には全くそれが聞こえていないようだった。

 銃を構えた腕は脱力し、言葉を失い、ただ彼女のその行為が止むのを願っているようだった。


 十数回、自傷行為を繰り返したスズは包丁を流しへと(ほう)り投げる。


「そこまでしろとは言ってないだろ」テオがため息をついた。

「やり始めると、なんだか興奮してきてしまって――」

 スズは息も絶えだえに、照れ笑いをしている。


「わかっているとはいえ、見ていて気持ちがいいものではない。トマトジュースを先に飲み干しておいてよかったよ」

「どうしてですか? よく見てくださいよこの血。鮮やかでセクシーな色をしていると思いません?」


 スズの腹の傷はものの数秒で修復され、今は背筋を伸ばし、腰に手をあて、血で汚れた服や床を見渡している。


「おい――」デニスがわななく口を開いた。「おまえ『不死身の魔女』か」


 テオは頷いた。

「驚かせて悪かった。ただ、我々はなにひとつ嘘をついていない、ということをわかって欲しかった――四年前にあなたを、そして家族や部下たちを(おとしい)れたのは、性根の曲がったひとりのジャーナリストの仕業(しわざ)というわけではないんだよ。もっと、組織的だ。そもそも、一連の魔族の襲撃事件自体、帝国側の策謀(さくぼう)だった」


「――その帝国が、旧イオニクと結託。いったい目的はなんだ?」

 デニスは銃を下ろしたまま質問する。


「いくつか仮説は立てられる」テオは言う。「我が国の軍事力を摩耗させるため、西部戦線(リオベルグ)奪取のため――」


 デニスは大きくため息をついて、魔導銃をテーブルの上に置いた。

「眉唾もんだが、あんたの迫真の演技を見ちまったら、反論する気も起きなくなっちまったな。狂ってやがるが、どうやら本気のようだ」

 血に染まったスズの腹部を見て、彼は言った。


「細々と、殺し屋をやっていた。ほかにも選択肢がなかったわけじゃない。なのにどうして、こんな裏稼業を営んでいるか、わかるか?」


 テオとスズは静かにデニスの話を聞いていた。


「こういう仕事だって、情報網はなかなかやるもんだ。オリジナリティに溢れすぎてるがな。おまえさんが言った『仮説』の中に、もうひとつ付け加えさせてもらおう。四年前の事件で、得をする奴らがまだいる」


 デニスは新聞紙の束を漁り、一部だけ抜き出す。大きく顔写真が掲載されている紙面を上にして、ダイニングテーブルの上に放った。

 銀色の髪を伸ばした、作り物のような顔の男が笑っている。


「白銀の党だ」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「白銀の党です」


 ゲイラーは、後部座席に乗っている大尉のほうへ新聞を一部放った。

 フィルツ大尉とアルトマン准尉は今、ゲイラーの乗っている車でマルシュタットの郊外へ向かっている。中央通りを抜け、住宅街を走り抜けてゆく。


 駅前の喫茶店でゲイラーが「大佐に判断を委ねて」から少し経ったころ、店に一本の電話が入った。ウェイターがゲイラーに取り次ぐ。

 彼は数分の通話から戻ってくるなり「あなたの上官がお持ちの魔導銃の名称を答えていただけますか?」とフィルツ大尉に訪ねた。


 大尉が答えると、彼はにっこりと笑い、言った。

「大佐の意志のままに、()()()は行動するのみです」


 ゲイラーは近くに駐車していた黒のワゴン車へ二人を案内した。その車体はずいぶん使い込まれたふうだったが、しっかりメンテナンスされており、スムーズにエンジンがかかる。乗り込んだ車内は、葉巻の煙のにおいがした。


 ゲイラーが投げ渡した新聞には、白銀の党の党首、アダム・アルタウスの白黒写真が掲載されていた。数日前の、南ルーンクトブルグ新報の朝刊だ。


「もともとは、特にその団体をターゲットにしていたわけではないんです。しかし、裏稼業をしているとね、どうも頻繁にその党が影がちらつくわけです」

 ゲイラーはハンドルを切りながら言う。


 四年前に軍部をあとにしたデニス・リフタジーク大佐とその部下たちは、なにも失意に沈んだ生活に甘んじていたわけではなかった。


(あだ)を討とうというつもりはもうありませんし、退役した私たちが今さら国のためにどうこうするなどという意気込みもありません。しかし、なんの罪もない人々の生活が脅かされてしまうのを見過ごせるほど、性根が腐っているわけでもなかったわけです」


 フロイントの村でリフタジーク大佐が射殺した男女、そして残された子供に訪れた悲劇は、繰り返されていいはずがありません――ゲイラーは力強く言った。


「言ってみれば、これは罪滅ぼしであり、あの家族への(つぐな)いなのかもしれませんね」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「おれに言わせれば、心身ともに不健康で不健全な連中だ」


 テオとスズの二人を連れて路地から出たデニスは、そう吐き捨てた。

 彼は防弾チョッキを着込み、ホルスターに魔導銃を二丁収めている。


 デニスは新聞を二人に見せたあと、手早く電話を一本かけ、その相手にいくつか指示を出していた。途中テオに対し「おまえのその特注品、名前はなんて言う?」と尋ね、ノヴァの名前を聞き出す。


「悪いが、ゲイラーから軍人が接触してくるかもしれないということは事前に聞いていた」デニスは通りを歩きながら言う。「仕事柄、どれだけ疑ってかかっても疑い過ぎるということはないからな」


 あの事件から四年間、デニスとその元部下らは殺しを請け負い、また情報を集約する組織を結成して、この国を裏側から観察していた。

 彼らは彼らの信念に従って行動をとり、ときに必要であれば、人を(あや)めた。


「おれはな、自分自身で絶対に許せない『人殺し』は後にも先にも、四年前のあの事件だけだ。軍人同士やり合うのとはわけが違う。感傷的になるつもりはないし、まったくどんな思想的背景も持ち合わせちゃいないが、あれだけは一生背負わなければならないんだよ。まあ殺し屋をやっていながら、いったいなにを言っているんだと思われるだろうが」


「思いませんよ」スズは即答した。「状況も、目的も、まったく違います。同列には扱えません」


 聞き覚えのある台詞(せりふ)だと、テオは思った。

 スズと出会った日に、自分が彼女に言った言葉だ。

 よくもまあ、ぬけぬけと。


 デニスは口元で笑う。

「おれたちにはまだ片付けなきゃならん仕事が残ってる。もちろん、殺しの仕事だ。首都の郊外に堂々と本拠地を構えてやがる阿呆なマフィアがいてな。今日そこで取引相手との密談がある。依頼主からの情報だと、そいつらは白銀の党の資金源のひとつだ。そこを叩く」


「それも依頼なのか? いったいどんな奴からなんだ?」

 テオが(いぶか)る。


「仲介屋を通してるせいで知らんが、まあ、右翼も左翼も極端な連中はいるってこった」デニスは周囲を見渡しながら言う。「おまえらにも手伝ってもらう。手伝うというのはつまり、ひとりや二人、殺してもらうことにもなる。これからおれたちがどういう()()でやっていくかの交渉は、そのあとだ」


 しばらく待っていると、黒いワゴン車が一台、テオたちの前に止まった。 

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