ウォッカと塩をまぜて飲んでもうまいぞ。
ゲイラーとの会話で四年前の事実が少しずつ明らかになってゆく。
そしてデニスと接触したテオとスズは……。
「おまえたちもやっとくか?」
そう言ってデニスがテーブルの上に突き出したのは、大きなデカンタに入った赤い液体だった。
「なんですかそれ?」スズが聞き返す。
「なにっておまえ、トマトジュースだ。ウォッカと塩をまぜて飲んでもうまいぞ」
「――遠慮しておきます」
テオたちがなにも言わないうちに、彼はグラスを三つ出してトマトジュースを注ぎ、先にぐびぐびと飲み始めた。
「キューパーの部下か。なら先に言ってくれ。てっきり商売敵の野郎たちがいよいよ血迷って殺りにきたのかと思っちまった」
鋭い眼光は相変わらずだし、声も低く響いてかなり威圧感があったが、まあまあ好意的ではあるようだった。
キューパー大佐の名前を出してなんとか所属を証明し、デニスには銃を降ろしてもらった。薄暗かった部屋も、今はスタンドランプの灯りが灯っている。日当たりが悪く、採光窓も小さいため、昼でも灯りが必要なようだった。
小さなその空間には彼の生活に必要なものが最低限集められ、適当に配置されているようだった。
家具らしい家具といえば今座っているダイニングテーブルと、入り口横の電話台、流しのそばに置かれている大きな野菜のストッカーくらいだった。中にはジャガイモや玉ねぎ、そのほか日持ちする根菜類が詰め込まれている。
デニスの背後にある壁には魔導銃がいくつも立てかけられている。「AP-49」、「99式500ohm」、狙撃用の「SR-26」まで、ざっと六種類くらいか。
そのすぐ下の床には新聞紙が積まれていた。麻ひもで括られたかたまりが四つほど山になっている。
部屋の隅には二階へ上がる階段が見えた。この間取りからすると寝室がひと部屋あるだけだろう。
「悪いが、飲んだらすぐにここを出て行ってもらう」デニスは低い声で言う。「今のおれに軍人としてできることはなにもないし、する気もない。トマトジュースは銃を向けた詫びだ。さあ飲め」
テオとスズは促されるがままにグラスを持ち、ひと口飲む。濃厚で新鮮な味が口に広がり、喉から体内に流れ込んでいく。
「軍人としての頼みではない」テオは言う。「見てのとおり、おれたちは軍服を着ていない。あなたのことを調べたのも、今日実際に出向いたのも、おれ自身の意思だ」
半分は本音であり、もう半分は嘘だった。
司令部、もとい大召喚術師レオンから渡されたリストに、この男が載っていたその意味を、テオは考えていた。
クンツェンドルフ中将は忠告していた。この特殊部隊の動きが「徴兵」などと騒がれてはいけない。少数精鋭で、隠密性を重視する。
そのうえで、リストにはまるでサーカス団員のような多彩な顔ぶれ。現役の軍人など、ひとりも載っていない。
結論、おれたちは半分軍人ではなくなったのである。
だから、当時退役を迫られたデニス・リフタジークも、「この部隊であれば戻してもよい」のである。
言ってしまえば自警団のようなものだ。主に魔族からの襲撃に備えて組織され、有事の際に討伐に出向く。当然司令部から降ってくる任務はあるだろうが、おおかたはこの部隊の趣旨から逸脱する内容ではないだろう。
好きにやらせてもらおうじゃないか。
上からの指示を待ち、夏の雨雲のようにのろのろと現場へ向かうのではない。急速にエネルギーを集めて雷鳴を轟かす稲妻のように、先手をとる。
スズが名付けた「ブリッツ」とは、奇しくもそういう意味だ。
「魔導銃部隊での評判や、資料で調べさせてもらったうえで伝える。デニス。おれはあなたと働きたい」
デニスは鼻を鳴らし、腕を組んで言う。
「私情を持ち込んで任務にあたるのは、感心できたもんじゃないな」
「感心されなくとも構わないよ」テオは言う。「おれたちの目的ははっきりしている。すなわち、魔族の掃討だ。国内に頻繁に現れる魔族たちの襲撃で、我が国はこれまでに多くの被害を出してきている。新聞が報じたのを見ているかもしれないが、先日も巨人を相手に大規模な包囲網を張った。奴らを退けるのには、あらゆる意味において、戦力が必要になるだろう」
「ああ見たさ。失態だとかなんとか、またでたらめを書かれたもんだ」デニスは嘲笑う。「四年前と変わらん」
「リフタジーク殿が退役へ追い込まれた、例の事件ですね」
スズが言う。トマトジュースを半分くらい飲み、口を拭っていた。
デニスは苦笑した。
「いまさらあれをどうこう言うつもりはないがな。過去の話だ。二人撃ったのは事実でもある」
「事実でも、世間へ広まった情報は極端に歪められています。ご家族とも、離れて生活せざるを得なくなった。まったく悔しさを感じないと言えば、それは嘘になるでしょう?」
デニスはスズを睨みつける。
「なにが言いたい?」
「いいえ、別に。こんな小娘の言うことなんて、聞き流してもらって構いません」スズは両手を広げて微笑んだ。「ですが、リフタジーク殿にとって、軍そのものの名誉を回復させることは意味のある行為だと思います。奥さんもお子さんも、そうしなければ肩身の狭い暮らしが続きますよ。今は田舎であればあるほど、そうですからね」
「――世論を変えるのに協力しろってか? そう言う魂胆で、わざわざここに来たってことか?」
デニスは唸る。
「結果的にそうなればよりよい、というだけです」スズは言う。「私自身は特別興味などありません」
デニスは大きく息を吐き、立ち上がる。
入り口のほうへ行き、とびらを開け放った。
「話はわかった。だが付き合うつもりはない。さあ、帰ってくれ」
攻めどころか。
テオはトマトジュースの入ったグラスを傾け、一気に飲み干した。
ゆっくりと立ち上がる。
「デニスさん。あなたは今殺し屋だ。典型的な裏稼業というわけだが、あまり褒められた仕事ではないことは、自覚しているか?」
デニスは眉をひん曲げて、テオを睨みつけた。
「貴様、脅すつもりか?」
「個人としては、まったく咎めるつもりはない。だがひとりの軍人としては、黙って見ているつもりもない」
テオは魔導銃を構えた。
同時にデニスも銃を構える。
「無意味な脅しだ。おれの居場所や生業がはなっから知れてるなら、あえていまさら摘発するわけがない。元軍人が殺し屋やってたなんて、軍としても公にしたいはずがないからな。当たり前だ。手に職つけて食い扶持繋いでなにが悪い」
「悪いことはないさ。ただ、裏社会では手に入らない情報もあるだろう。諜報部隊が組織されているわけでもない」
デニスは眉を釣り上げる。「なんの話だ?」
「最近ソルブデンの諜報から戻ってきたうちの部下が仕入れてきました」スズは座ったままでデニスに身体を向ける。「半年近くも時間を費やした、とっておきのやつですよ? 聞きたいですか?」
彼は口を閉ざしている。判断しかねているようだった。テオとスズを、交互に睨みつける。
「ソルブデンは今、イオニクと政治的な交渉を繰り返しています」
スズは淡々とした口調で言う。
「イオニクだと?」デニスは訝った。
「もう、五年も前からそれは行われているようです。そういえば、魔族の襲撃が始まったのは、何年前でしたっけ? リフタジーク殿、覚えていますか?」
デニスは銃を構えたまま動かない。
「そして四年前、フロイントに出現した小悪魔もゲーデも、帝国軍の上級召喚師が差し向けたものと推定できます。そうなると今度は、あの村にいたジャーナリストの女。いやあ、怪しいですよね? どう考えても」
「――そんな話を信じろってのか」
スズは立ち上がって、野菜のストッカーのある流しのほうへ向かった。
「証拠と言われるとお見せできるものはないんですが、少なくとも私は、魔族や召喚術について、けっこう詳しいんほうなんですよ。自慢じゃないですけどね」
そう言いながら、流しの下のキャビネットを物色し、なにかを取り出した。
「これなんていいですね」
スズは大きめの包丁を手に持っている。
「私、人よりちょっと長生きしているもので。六十年前のオルフ戦争でもこき使われました。当時からゲーデを相手にするのは結構しんどかったんですよ? なにせ自分は姿を隠して、味方の兵士を傀儡に仕立て上げる。ただ個体数は少なく、使役している術師も限定されますね」
包丁を逆手に持つスズを見て、デニスは目を丸くしている。
「子供のおもちゃじゃない。元に戻せ」
彼の忠告を無視し、スズは自分の腹へ向かって、包丁を勢いよく突き立てた。