口を、閉ざさせていただきます。
元軍人で殺し屋のデニス・リフタジークに接触したテオとスズ。
一方で、フィルツ大尉とアルトマン准尉は、当時の部下であったオットー・ゲイラーから情報収集を進める。
ゲイラーは、話すことで少しずつ場に慣れてきたようだった。
軽く会釈してからコーヒーカップを手にとり、ひと口すする。
「そのジャーナリストも含めて、その日は村に滞在した」フィルツ大尉が話を続けた。「そして兵士たちが寝静まったその晩、事件は起きた」
ゲイラーはなにかを喉に詰まらせたように、唇を歪める。
「その夜、村民たちが、私たちを襲ってきました」
大尉は記録の文言をそのまま読み上げた。
「成人男性のみでなく、女、子供も、おしなべて目を血走らせ、唾液を垂れ流しながら、兵士の寝込みを襲った。ある者は農具で、ある者は包丁で、ある者は素手のまま。ゲイラーさんもまた、その襲撃にあった」
ゲイラーの顔からは表情が消えている。
「ええ。肌には血管が浮き出て、目は虚ろ。焦点が合っていませんでした。得物を扱う動きも、普通の人間の所作ではない。むりやりに筋肉を動かされているような、操られているような、そういう様子でした」
リフタジーク大佐の指揮のもと、兵士たちは怪我を負いながらも村民を傷つけず、いったん村の外へと逃げた。
しかし、逃げ遅れた者がいた。
居合わせた、女性のフリージャーナリストである。
「大佐は」ゲイラーの声には、少し力が込められていた。「あの女を助けるために、村民を二人撃ち殺しました。三十代くらいの男女です。男は素手でした。しかし女のほうは、その筋力では考えられないほどの勢いで、鍬をそのジャーナリストに振りかざそうとしていた」
フィルツは目をつむる。アルトマンのペンが止まる。
「お調べになったのなら、ご存知でしょう。そのジャーナリストは、あろうことか、その男女を撃つ瞬間の大佐にカメラを向けた。それを新聞社に持ち込み、報道各社は実際の現地の状況など調べもしないで、報道は大佐のことを『善良な国民を撃ち殺す、野蛮な軍人』だと――」
そこまで一息に言って、ゲイラーは言葉につっかえた。
彼は目を充血させて、額に手を押し当てる。
兵士たちを襲った村民は、翌日には正常な意識を取り戻していた。「操られていた」ということを記憶しているものはおらず、村民たちは、リフタジーク大佐とその部隊を糾弾する。村の人々にとってしてみれば、そうすることでしか感情を抑えることができなかった。
無理もないことだった。いつもどおり平和の朝を迎えてみれば、知人が二人、わけも分からず銃殺されていたのだから。
さらに悪いことには、殺された二人には幼い子供がいた。
まだ八歳か、九歳くらいのその少女は、地面に横たわる両親を見つめる。布を被せられたふたつの膨らみに、ひと言も発することなく、涙すら流さず、呆然と立ち尽くしていたという。
なにも言わない彼女を代弁するかのごとく、村民の弾劾はより激しさを増していった。
大佐を弁解できるものは、その時点で軍の内部にしかいなくなった。
彼らの意識を乗っとり、操っていたのが「ゲーデ」と呼ばれているイオニクの魔族であったことがほぼ立証されたころには、それからすでに一ヶ月ほど経過していた。
そのころにはもう、誤った認識のまま、事件についての情報が浸透してしまっていた。マルシュタットでも中央本部周辺でいくつかデモ行進が行われ、シュプレヒコールが響き渡り、軍人たちは肩身を狭くせざるを得なくなった。
事実が判明すると、進行中であった軍法会議での罪状は無事に取り下げられた。
しかし、上層部の判断によりリフタジーク大佐は退役を余儀なくされる。
その際上層部に反発し、リフタジーク大佐とともに軍を退いた人間も数人いた。
ゲイラーも、そのひとりである。
「私などはいいんですよ。どうせ、ひとりもんですから」彼は言う。「ただね、大佐には奥さんと娘さんがいたんです。大佐とその家族は、事件のあとしばらく、軍縮論者や一部の情弱な市民によって命すら狙われた。まったく、ひどいもんでしょう? 結局大佐は家族を田舎へ引っ込めて、今は離れて暮らしているようです」
デニス・リフタジークは人望の厚い男だった。それは直属の部下であったゲイラーの表情が、まさに物語っていた。
「リフタジーク大佐のことは、僕がまだ下士官だったころに聞き及んでいます」アルトマン准尉が言う。「前線指揮はもちろん、特に後方の兵站部門を重んじることで有名でした。指揮官の中にはそれを軽視するような人間もいますが、戦況が長引くほど、武器や食料の物流経路の確保が重要になる。大佐は、ゲイラー少佐のような兵站学の巧者を、とても大切にしていたんでしょうね」
「少佐はやめてください」ゲイラーは弱々しく笑った。「ええ。大佐は人員の健康面に、特別気を使っていました。レーションの期限管理を怠ったり、トラックの衛生状態が少しでも悪かったりすると、よく怒られたもんです」
ゲイラーはもう一口、コーヒーをすすった。
フィルツ大尉とアルトマン准尉は顔を見合わせる。
「ここまでは軍部に残っていた記録の確認です」大尉が言う。「我々にはまだ知り得ぬことがいくつかあります。ひとつは、村で居合わせたというジャーナリストの女。この人物はリフタジーク大佐の写真を撮ったあと、明け方にはもう村から姿を消していたということです。容姿に関して簡単に記載はありましたが、それ以上の情報はありませんでした。そして、村に現れた魔族ゲーデ。事件が起こったあとはまだ出現情報がなく、ゆくえを眩ませている――特にこの二点において、どんなに些細なことでも、知っていることがあれば聞かせてもらいたいんです」
ゲイラーはカップをソーサーに置く。かちゃりと乾いた音が鳴る。
「仮になにか私が知り得ているとして、それを聞いてあなたがたはどうするおつもりでしょう?」
「先ほど話したとおりです。リフタジーク大佐の汚名を返上します。そして願わくば、大佐に協力をいただきます」
「それが今の任務だと?」
「そうです」
ゲイラーは目をしばたかせる。
「大佐が応じるとお思いで?」
「今我々の上官と、もうひとり魔導師が、リフタジーク大佐に接触しています。応じるかどうかは、こちらが条件を提示したうえで、大佐自身が判断することかと」
「そうですか」ゲイラーは唸った。「であれば、私も大佐の判断に委ねましょう。私は立場上、そうせざるを得ません。口を、閉ざさせていただきます」
アルトマン准尉が首を傾げる。
「ゲイラーさん、それはどういう――」
フィルツ大尉がそれを制し、代わりに尋ねた。
「ゲイラーさん。ちなみにあなたは今なにを?」
「なにを、といいますと?」
「ご職業です。首都のどこかで勤務されているんですか?」
ゲイラーは数秒ぽかんとしていたが、よれた袖で額を擦り、言った。
「運送業――と言ったところですかね。軍にいたころから、運搬車を乗りまわしてましたから。いろいろなものを運びます。食べ物や日用品、そして武器や、人間もね」