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笑顔で近づいてくる人間を信用しないこと。

殺し屋を生業にしているという、もと軍人のデニス・リフタジーク。

彼の部下にもまた、フィルツ大尉たちが接触していた。

 ニコル・フィルツ大尉とラルフ・アルトマン准尉の前に現れたのは、痩せ型で(ほお)がこけた、貧相な顔立ちをした男だった。


「オットー・ゲイラーさんですね。急なお呼びたてにもかかわらず、お越しいただいてありがとうございます」


 フィルツ大尉が握手をする。アルトマン准尉も続いて、手を差し出す。

 ゲイラーは猫背のまま「いえ、構いませんとも――」と弱々しい声を出し、握手に応じる。


 フィルツ大尉とアルトマン准尉の二人が突然の異動を命じられたのは昨日のことだった。

 思いもよらず特殊部隊の班長を担うことになったフィルツ大尉は、嵐のように舞い込む業務の中、テオの指示でこの男との連絡を取り付けた。忙しさを考慮せずに仕事を積み上げてきたテオに対しては若干の苛立ちを覚えたものの、内心はほっとしていた。


 司令部肝入りの魔導連合部隊立ち上げだ。

 その編成方針によっては、テオと所属が別々になってしまう可能性もじゅうぶんにあった。もちろん、それが寂しいなどと言うつもりは毛頭なかったし、そんな子供じみた感情はむしろ恥ずかしいとすら思っている。


 それでも、テオと働ける。テオの力になれる。

 それ自体に喜びを感じた。


 仕事中は極力、彼のことを頭から追い出すことにしている。実際、それはけっこうな体力を使うことなのだとわかった。

 書きものと書きもののあいだ。会話と会話のあいだ。用を足しに手洗いへ行ったとき。ふいに時間が空くと、思い出してしまう。彼の胸の厚みと、硬い背中と、汗のにおいを、思い出してしまう。

 そういう意味でいえば、次から次へと仕事が降ってくる今の環境は、大尉にとってありがたかった。


 オットー・ゲイラーとはマルシュタットの駅からほど近い喫茶店で落ち合った。混み合う店内を掻き分け、奥の方にあるボックス席に座る。アルトマン准尉がブレンドコーヒーを三つ注文する。


 大尉たちは今日から軍服を脱ぎ、普段着を着用し任務に当たっていた。部隊の性質上、軍人だと思われるとといささか面倒な場面も多くなるという、テオの判断だ。


 フィルツ大尉は黒のテーラードジャケットを着込んできた。薄い生地のものだったため少し肌寒い。なにせ昨日の今日だったので、クロゼットを漁ってみてもしっくりくるものがなかった。近いうちに秋・冬物を買い込んでおこうと、大尉は思った。急いで合わせてきたインディゴのスキニージーンズとローカットの編み上げブーツも、正直ずいぶんくたびれてきている。


 アルトマン准尉はオリーブグリーンのブルゾンにカーキのチノパンを履いている。五分前に準備し、急いで家を出てきましたというようなあっさりした格好だが、高身長と爽やかな顔立ちとがあいまって、ずいぶんさまになって見える。


「なんていうか、遊び慣れてる格好ね」

 駅前で落ち合ったときに、フィルツ大尉は眉をひそめた。


「遊ぶ時間なんてくれないじゃないですか、うちの部隊は」

 あっけらかんとして彼は言うのだった。


 座席に腰をかけたゲイラーは、ずいぶん居心地が悪そうに体を揺すったり、店内をきょろきょろ見回したりした。よれた茶色のフランネルシャツを着ている。袖が長すぎるのか、雑に(まく)り上げられていた。


「四年前のことを聞きたいだなんて――最初は報道関係者かと思い、すぐに電話を切ろうとしたんですよ」

 蒸し返されて、また(はずかし)めを受けるのかと思いましてね――ゲイラーは陰気な声で笑う。


 彼は元軍人であり、四年前までは魔導銃部隊で兵站に属していた。

 当時少佐だ。今テオが接触しようとしているデニス・リフタジークの部下にあたる。


「失礼ながら、当時のことをこちらで少し調べさせていただきました」フィルツ大尉は、彼のくぼんだ目を見て言う。「帝国軍との情勢悪化に伴って、リフタジーク元大佐の力が必要不可欠だと、私の上官が判断しています。今回は、主に四年前のことについて、情報収集に(うかが)った次第です。決して、詰問するような意図はありません。むしろ逆です。私の上官はリフタジーク元大佐の『汚名を返上したい』と考えている」


 ゲイラーは鼻から息を吐き出し、いくらか自嘲的に笑う。

「疑い、ですか。しかしながら事実はあの写真のとおりです。いったい、どう晴らすつもりなんでしょうか」


「情報が整理されれば、自然と糸口は見えてくると思います」フィルツ大尉は目をそらさずに続ける。「四年前――ちょうどイオニクの魔族たちが村に姿を現し始めて、一年ほどたったころ、フロイントという村が襲われました。旧イオニク公国との国境線からは約二十キロ地点の小さな村です。出動の命令を受け、あなたを含むリフタジーク大佐の部隊はその魔族の討伐に向かいます。その際、魔族に関する情報はほとんどなく、村民たちの被害状況もわからない。そういった状況だったと記録されていました。ゲイラーさん、間違いありませんか?」


 ゲイラーは頷いた。

 アルトマン准尉はメモ用に小さな手帳を構えていたが、まだペンは走らせていない。


「不自然だとは?」大尉は質問した。

「不気味だとは思いました」ゲイラーは言う。「ただね、当時の空気として、魔族の情報自体そんなにあてにしていないような、そういう感じがあったんですよ。なにせ、大きな戦争レベルで魔族と争ったのなんて、六十年近く前だったわけで。あのときは、どんな化け物がいようとも殲滅してやろう――いくらか楽観的な文脈でそう言いながら、皆フロイントへ向かいました」


 村を襲ったのは小悪魔(インプ)だった。

 小さな子供くらいの魔族で、ガリガリにやせ細った身体にコウモリのような羽が生えている。せいぜいそのかぎ爪で引っ掻いたり、勢いよく突進するくらいしか攻撃手段を持たない連中だ。


 実際、村民に死者は出ておらず、村の男たちが中心になってあらかた追い払うことができた。フロイントに到着した兵士たちは拍子抜けして、あるいは無駄足を食ったと悪態をつき、仕方なく一晩だけ村に滞在することになった。


「なるほど」大尉が相槌(あいづち)を打つ。


 ちょうど店のウェイターがコーヒーを運んできた。

 ペンを走らせていたアルトマンが受け取り、ゲイラーにも勧める。彼は軽く会釈をしただけで、すぐに口はをつけなかった。


「その村で、フリーのジャーナリストを名乗る女に会った」フィルツ大尉は言う。「その女は魔族の襲撃事件を主に追っており、軍人たちの活躍を写真に収めて広く周知させていく活動をしている――そのように言ったそうですね」


 ゲイラーは口元で笑って頷いた。

「あれ以来、私の人生において一つの教訓が生まれました。つまり、『笑顔で近づいてくる人間を信用しないこと』という教訓です。四年経った今でも、非常に有効だ」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 テオとスズは、入り組んだ路地裏の奥にある木製のとびらの前に立っていた。

 うっかりすると通り過ぎてしまうほどみすぼらしく、ほとんど壁と同化したようなとびらだった。


 テオは二回ノックをする。五秒待ったが、反応はない。

 もう一度ノックするが、やはり同じだった。


「デニス・リフタジーク。いるのであれば、返事をしてほしい」

 テオは声を張り上げる。


 薄い板の向こうで木材の軋む音がする。

 唐突にとびらが開かれた。


 中は薄暗くてよく見えなかったが、すぐにダイニングとキッチンがある構造になっているようだった。


 誰もいない。テオは一歩、中へ踏み込む――


「所属と名前を言え」


 渋みを含んだ低い声が部屋の中に響いた。

 冷たい金属がテオの側頭部にあたる。


 どうやら、とびらの陰からピストル型の魔導銃を向けられているようだ。


「後ろの女もだ」

 その男は片方の手でも器用に銃を構え、スズに向けていた。


 二人は両手を顔の高さまで上げる。

「ルーンクトブルグ魔導軍、第2魔導銃大隊、テオ・ザイフリートだ」

「同軍、第501魔導部隊、スズ・ラングハイムです」


 二人は旧所属で名乗る。「特殊部隊」を名乗ったところで、現時点では意味がない。


 男は二丁の魔導銃をぶらすことなくテオに近づき、器用に足で蹴り飛ばして、腰の魔導銃をホルスターから外した。重たい音を立てて、ノヴァが床に転がっていく。

 男は次にスズを凝視する。その容姿といやに肝のすわった態度を、彼はどう合点しようか計算をしているようだった。


「それが本当なら、こんなところに軍人が何の用だ?」

 男はテオの正面に移動し、凄んだ。


 黒い顎ひげをたくわえた、鋭い目つきの男だった。

 くしゃくしゃとパーマのかかった黒髪を無造作に束ねて、後頭部で小さく結っている。被弾した跡なのか右耳が潰れており、三分の一程度の大きさになっていた。黒のカットソーに、同じく黒のスラックスを履いている。背丈はテオよりも少し高い、大柄の男だ。左手には銀色の腕時計が光っていた。


 リストに添付されていた顔写真と、特徴が一致する。


「デニス・リフタジーク。魔導銃連隊の元指揮官だった、リフタジークだな」

「だったらなんだ?」


 テオはデニスの眼光を真正面から受け止める。

 回りくどい話は逆効果なようだった。


「率直に言う。国はあんたの力を借りたい」

 テオはできる限り堂々と響くように声を出した。


「そして個人的には、あんたの名誉を回復したい」

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