異世界に転生したんだ!
「ったく、せっかくの楽しみだったのによお」
口ひげの兵士が、可動したばかりの魔導銃を構え、アニカの腹部に突き当てていた。
アニカが地面にばさりと倒れる。
口ひげが彼女の肩を蹴り飛ばして仰向けにした。
「ああ、もったいねえ。おれたち死体を犯す趣味はねえんだよなあ」
テオはじぶんの脳細胞がすみずみまで沸騰していくの感じた。
激しく音を立てて、おぞましい感情が煮えたぎっている。
それは、全身をくまなく循環する。
むちゃくちゃに叫んだ。
考えるよりも早く、テオは魔導銃を構えて、膨大な魔力を流し込みんでいた。一瞬で可動する。
通常の何倍にも肥大した閃光弾が撃ち出される。
断末魔は聞こえなかった。
周囲の木々にいたらしい鳥たちが、いっせいに鳴き出し、羽ばたいただけだった。
口ひげの兵士の上半身は一瞬にして消し飛ぶ。
残った下半身は断面から煙をあげ、ぼとりと倒れる。
「おいおいおい! なんだあいつは!」
他の兵士たちが恐怖を顔に滲ませて口々に叫んだ。
テオの可動したソルブデン軍の魔導銃は銃口がぱっくりと割れ、使い物にならなくなった。それを捨て、回収されたノヴァに飛びつくようにして走る。兵士たちの撃った閃光が頭上をかすめる。
そこから先は、よく覚えていない。
覚えているのは、強く歯を噛み締めたせいか、鉄の味を感じたこと。
そして、ただただ、撃ち続けたということだけだった。
何発かはソルブデン軍からの反撃を浴びた。肩や太ももが血に染まる。
しかし、ほとんど痛みはなかった。
テオはほんの数秒の銃撃戦で、六人のソルブデン兵を全員撃ち殺した。
ぼうっとした意識が次第に戻ってくる。
「アニカ!」
ぐったりと仰向けになっている彼女のもとへ、足を取られそうになりながら走る。
「アニカ! くそっ――大丈夫だ! すぐに助ける――」
抱きかかえたテオのその掌に、温かい液体がべっとりと付着した。
薄暗い森の中――
それでも、アニカの顔は透きとおるように真っ白なのがわかった。
震える手で、そっと撫でる。頰に血が付着する。
アニカはうっすらと目を開けていた。
潤んだ目で、テオをまっすぐ見つめていた。
「アニカ! すまん、おれが――おれがもっと、ちゃんとして――もう、なんで――」
彼女のその血の気の引いた顔を、受け入れられない。
大量の鮮血を、受け入れられない。
「テオ、あなたには」
アニカが掠れた声で言う。
「あなたには生きて欲しいの。これは、とても個人的なお願い」
テオはアニカの手を強く握った。
「ああ、生きてるさ! ノヴァも無事だ。渡しやしない!」
アニカは首を振る。そして、笑うのだった。
「ううん。テオが生きていればいい。それだけでいいんよ」
「なにを言ってんだ! おまえ――ばかかよ! そうだ、もっとおれの過去ほじくりたいんだろ? 言ってたじゃないか! 物好きだよなおまえ。なあ、話してやるから、だから――」
アニカは目を閉じていた。
「そうだよ。話してやる。おれは別の世界から来たんだよ。信じられないだろ? 召喚されたんだ、この世界に」
彼女の身体は動かない。
「おれ、前の世界で死んだんだよ。でも、今は生きてる!」
テオは大きく息を吸い込む。
「異世界に転生したんだ! ――なあ、アニカ。すごいだろ?」
なにがどうすごいというのだろう。
テオにはわからなくなっていた。
腕に重みを感じた。彼女の身体は急速に体温を失っていった。
「おれの妹さあ――おまえにそっくりで、めちゃくちゃ可愛いかったんだ。そう、すごく、魅力的だった。愛していたよ。アニカ、きみもすごく――」
テオはアニカの額にキスをした。
「すごく、きれいだよ」
ゆっくりと、優しくアニカを地面に寝かせる。
テオは呆然と立ち上がり、辺りを見回した。
すでに息絶えている帝国軍の兵士たちが血まみれになってそこらに散らばっている。
「殺してやる。徹底的に、消してやる」
テオはただただ、撃ち続ける。
自らの魔力が尽きるまで、ただひたすらに、撃つという行為だけに没頭した。
ウッツとニコルが駆けつけたときは、ソルブデン兵で原型をとどめているものはいなくなっていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
あのとき以来、テオは前線での撃ち合いで発作を起こすことがたびたびあった。
発作が起きたときは、ほとんど狂ったように、相手の兵士たちを殲滅した。「不死身殺し」などという異名で呼ばれ始めたのも、そのころだ。テオのその姿を見た者から話が広がり、伝播したものだった。「あんなむちゃくちゃな銃撃戦、不死身でも生還できやしない」というふうに、口々に囁かれたのだった。
発作の前には決まって、夢を見た。
妹とアニカが出てくる、夢を見た。
時が経つにつれて症状は和らいできていた。
しかしそこへ今回の再発だ。
未だ、自分が過去から脱却できていないということを、テオはまざまざと感じていた。
「少佐――アニカのことは、私にも一緒に背負わせてくれませんか?」
ニコルのその言葉を、テオは頭の中でくり返した。
「テオ――あなたは人一倍に優しい。責任感が強くて、同期から抜きんでて、なるべくして少佐になったわ。アニカも言っていたじゃない? エース、出世頭、ルーキーって」
人を乗せるのがうまい。そういうやつだった。
「でも、あなたには自分を追い込む癖がある」ニコルは語気を強める。「ひとりで背負いこむ必要のないことまで、自分ひとりで悩んで、自分で解決しようとする。はっきり言って、悪い癖よ」
「――そうだな。世話の焼ける男だろう、まったく――」
「もう! そういうところ!」
ニコルは鼻をふんと鳴らして、ぱしりとテオの肩を叩く。
「痛っ!」
まったく、面倒くさいわね――ニコルはため息をつく。
「いい? 周りに世話を焼かせていいの! 頼っていいの! 背中を預けていいのよ!」
テオはニコルの顔をまじまじと見つめた。
そこで気がついた。
彼女の目の下には深くくまが刻まれている。
髪もところどころ跳ねてしまっていて、毛先がずいぶん乾いている。
「――ごめん」情けない声が出た。
「私たちは、四人でチームだったじゃない」ニコルはしっかりした口調で続ける。「私とウッツは、あの分かれ道のせいで居合わせることができなかった。誤解を恐れずに言えば、たったそれだけのことよ。いい? テオの後悔は、たぶん一生消えない。そして私たちだって、自分を責めている。もしあのとき、作戦に背いてでも一緒に行動していればと、悔やんでいる――あなたと同じように」
ニコルは、テオの目をしっかり見た。
「アニカのことは、生き残った三人で分け合って、三人で後悔すればいいじゃない。私もウッツも、一生付き合うに決まってるんだから」
いつのまにか、テオは目を腫らして、涙を流していた。
その涙に、テオは名前をつけることができなかった。
悲しいから泣いているわけではない。
かといって嬉し泣きとも、また違った。
人生を歩むごとに少しずつずれてしまっていた骨組みのようなものが、かちりと音を立てて、元の位置にはまったような、そんな気分がした。
一生だなんて、軽々しく口にしてくれる。おれは、二生目だぞ。しかもたかだか五年だ。前の命は、ずいぶん粗末にしてしまった。
そんな一生だなんて大切な言葉、おれなんかに使うもんじゃない。
大の男が泣いている姿を見て、ニコルは少し戸惑っている。
「ご、ごめんなさい。泣かせるようなつもりじゃ――」
テオはほとんど衝動的に、でもまるでそうしなければいけないかのように、ニコルの身体を抱き寄せた。
一瞬だけ、彼女の身体は驚いたように小さく跳ねた。しかしすぐに身を委ね、テオの背中に腕を回す。
「ニコル――」
テオは彼女の名前を呼んだ。
ひどく、情けない声しか出ない。別にいい。とにかく、その身体から伝わる体温をほんの少しも逃さないように、何度も腕の位置を変えながら、ニコルをきつく抱きしめた。
包帯で巻かれた手は、痛まなかったわけではない。だがその瞬間だけは、ほとんど気にならなかった。
「おれは、この世界でちゃんと生きていくよ」
「うん」
「また、間違えそうなときは、ニコルを頼ると思う。いや、頼らせてほしい」
「うん、いつでも」
一度腕を解いて、テオはニコルを見つめた。
彼女はすぐに顔を伏せる。
「あんまり見ないで――ひどい顔だから」
「おれが寝ているあいだ、ずっとついていてくれたのか?」
ニコルはうつむいて頰を赤らめている。
「副官としての、責務だもの」




