殺してやる。殺してやる。殺してやる。
巨人型魔族掃討戦、最終パート。
ヴォルケンシュタインのテオたち、オシュトローの召喚術部隊の決着は。
「少佐! もう止めてください!」
フィルツ大尉は絶叫していた。
ザイフリート隊が赴いていたヴォルケンシュタインの町にも、一体のオーガーが現れた。鬱蒼とした森の中、ときおり木々をなぎ倒しながら町へと進行していた。
そのオーガーは、もうすでに絶命している。
頭部は焼き切れたように失われていた。
両腕も同じように切断されている。
「少佐、お願いします――止めて――」
フィルツ大尉はテオの背中にしがみつき、声を枯らしていた。
真っ赤にまぶたを腫らして、眉を歪めている。
大粒の涙が頬を伝っている。
「いやっ――お願いだから――」
周りの兵士たちはテオに、驚愕と怖れの入り混じったような眼差しを向けていた。
「テオ――」
引きつった声で、大尉は名前を呼ぶ。
爪を立てるようにして背中を掴む。
テオは鬼のような形相で、すでに肉片となった巨人の残骸に、何度も何度も魔導銃を撃ち込んでいた。
「殺してやる。殺してやる。殺してやる」
テオはうわごとのように連呼する。
魔導銃ノヴァは可動と発射を繰り返す。オーバーヒートしたアンプリファイアは煙を上げていた。巨人の肉片はもはや消し炭のように黒く焼け焦げており、辺りにはむせかえるような異臭が漂っている。
「もう巨人は息絶えてる――死んでるのよ! あなたがやったの! もう終わったわ! もう、大丈夫だから――」
「殺してやる。もうなにも奪わせはしない。徹底的に消してやる――」
大尉の声は届かない。
テオは額からじっとりと汗をかき、空気に飢えるように息を吸っては吐き出していた。しだいに魔導銃を持つ手が震え、放たれる閃光は明後日の方向へ飛んでゆく。
しばらくして、疲れ果てたテオの両手はだらりと垂れ下がった。
がくりと膝をつき、呆然と遠くを見つめている。
その瞬間を見て、フィルツ大尉はノヴァを彼の腕からひったくった。
銃が取られたことにテオは気が付いていないようだった。
大尉は奪い取った銃を遠くへ放る。
実際には、そうするしかなった。魔導銃ノヴァは持っていられないほど熱を帯びていたのだ。
「少佐! 大丈夫ですか?! 手を――」
フィルツ大尉はテオの掌を広げて確認した。
両手ともに皮がべろりと剥がれ、赤く腫れ上がっている。血も滲んでいる。
「衛生兵! だれか、救護を!」
大尉が叫ぶと同時に、周りにいた兵士たちが動き出す。
暗く寒い森の中を、たくさんの声と足音が駆け巡っていく。
フィルツ大尉はその肩に重みを感じた。
テオがいつの間にか、気を失っていた。身体ごと大尉の方にもたれている。
血の気が引いて真っ青になったその顔を、大尉はそっと撫でた。
硬く、冷たい感触だった。
「――ばか。どうして、あなたばっかり苦しんで――」
大尉はテオの頭を両手で支えて、胸にしっかりと抱き込んだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
エルナの一撃によって体勢を崩したオーガーであったが、それでも強引に腕を振り回し続けていた。
周りの召喚獣たちは依然、決定打を与えられずにいる。
すでに何体かのコボルトやリザードマンは強烈な打撃をくらってしまい、返礼を余儀なくされ、しだいにこちらの戦力が削られていた。残る召喚獣たちも相当疲弊している。
「少尉――どうすれば」
術師のひとりが焦りの色を見せる。
オーガーは足を引きずりながらも立ち上がり、なおも応戦する。
(フリューゲル、もう一度いく)
エルナはダガーを構える。
(儘に)
女戦士が応答する。
オーガーの背面へと回り込み、エルナは一撃目と同じかかとを狙い、ダガーを振り抜こうとした――
その瞬間、巨人は振り向きざま、大きく振りかぶり右腕を振る。
「ぐっ!」
エルナはとっさに地面を蹴り、後ろへ跳ねる。
鼻をかすめるほどぎりぎりのところで、巨人の腕を回避した。
オーガーはその小さな目で、エルナを睨みつけている。
(同じ手は喰らわぬ。まるでそう言っているようですね)
フリューゲルは淡々と巨人の表情を分析する。
「なんて体力なの」
エルナは額ににじむ汗を拭う。
威力はそれほどでもないとはいえ、あれだけ召喚獣たちの攻撃を受けているのだ。動きがにぶってきていてもおかしくはない。
しかし、そんなことはまるで意に介さないというように、巨人は大きく咆哮した。
「――来る!」
オーガーはこちらへ攻撃を仕掛けてくる――エルナは一瞬、そう思った。
しかしその巨体はエルナから目を離し、ほかの召喚獣を牽制しながら、まったく明後日のほうへと向かっていった。
「まずい! そっちは――」
巨人が身体を揺らしながら向かうその先には、村民の住む集落がある。
「こっちへ来るぞ!」
集落を囲むように松明を掲げていた陸軍兵が叫んだ。
数十人の兵士たちはアサルトライフルを構え、巨人をめがけていっせいに発砲する。残る召喚獣たちも巨人を止めようと、横から斬りかかる。
しかし、銃弾は硬い皮膚に弾かれ、コボルトやリザードマンは丸太のような腕で薙ぎ払われてしまう。
オーガーは歩みを止めない。
それどころか両腕を地面につき、蜘蛛のような動きで集落へと突進していく。
エルナは巨人の背後へ走り、地面を蹴って跳躍した。
ダガーを逆手に持ち、オーガーの短い首のうしろへと着地し、刃先を突き立てる。
(頼む、止まって!)
巨人が痛みで凄まじい声を上げる。
フリューゲルの力によって殺傷力とリーチが格段に上がっているそのダガーは、背中に深々と突き刺さった。
しかし、中心からはわずかに左にそれた――
「――くっ! えっ?! きゃあっ!」
エルナの身体は宙に浮いた。
突き刺さったままのダガーが手から離れる。
「嫌っ! フリューゲル!」
彼女の身体から、風の精霊の気配が抜けていく。
緑色の瞳は黄色に戻ってしまう。
「少尉!」召喚術師たちが叫ぶ。
オーガーの右手がエルナの脚を掴んでいた。
「離してっ!」
エルナは逆さに吊るされるように、巨人に捕まってしまった。
力いっぱい脚に力を入れて抜け出そうとするが、びくともしない。視界には逆さになった巨人の顔が映る。
毛むくじゃらの顔はうまく表情が読み取れなかったが、捕まえた獲物を見て、不気味に口を歪めていた。
「嫌だっ――そんな――」
ひどい悪臭のする息が顔にかかる。
コカトリスが捕食されていたあの惨状を、エルナは思い出した。
恐怖のあまり、彼女は張り裂けんばかりの声で叫んだ。
そのとき若い男の声が聞こえた。
「これを! 原始的ですが、やるしかありません!」
その声の主は、近くの兵士になにかを提案している。
逆さになって酔いが回りそうなその視界の隅に、エルナは見た。
それは長いロープを咥えて走るコボルト――術師からなにか指令を受けたのだろうか。
巨人は口を大きく開け、エルナを持ち上げる――
「よし引け!」
どこかの隊の士官らしき男が号令を叫ぶと同時に、オーガーはぐらりとバランスを崩した。
「きゃっ!」
エルナの視界も大きく揺れる。
見えたのは、陸軍兵や術師、そして召喚獣までもが、長い綱を持って引っ張っている光景だった。その綱はどうやらさっき見えたコボルトが、巨人の足元を一周して括ったものらしかった。
綱が引いている軍人たちに混じる、見覚えのある顔を見つけた。
先ほどの声の主――パウルだった。
前に、派兵部隊と農夫たちの小競り合いを仲裁し、エルナとスズに対して軍への志願を宣言した、村の青年だ。
「よおし! もっとだ! もっと引け!」士官の男がさらに声を上げる。
何度目かの綱引きでオーガーは大きくぐらついて膝をついた。
そのとき、意識が足元に移ったらしく、エルナを捕らえていた右手が緩んだ。
彼女は思いっきり脚に力を入れる。
脚が動かせる。よし、抜け出せる。
エルナは両手でうんと突っ張って、脚を引っこ抜いた。
牧草の上にばさりと落ちた彼女は、少しふらつきながらも、なんとかオーガーから離れる。
安堵している暇はない。
振り返ると、エルナの召喚具であるダガーは巨人の背中に突き刺さったままになっていた。
一瞬、エルナはもう一本のダガーを使おうと考えた。
しかしすぐに思いなおす。
だめだ。これはまだ、私には使いこなせない。
彼女は再度走り出す。
オーガーは唸り、叫び声をあげている。
そして、綱を引いていた兵士たちへ突進していく。
「退避! 退避!」
陸軍兵や術師、召喚獣たちが縄を手放し散開する。
めちゃくちゃに振り回される太い腕をぎりぎりのところで回避する。
「おい、青年!」指揮をとっていた士官が焦燥をあらわにした。「くそっ――」
パウルが逃げる途中に足をとられて、うつ伏せに倒れ込んでいるのが見えた。
彼は起き上がろうともがくも、うまく地面を蹴ることができずにいる。
「パウルさん!」
エルナは叫びながら、地を這うように移動しているオーガーの背中によじ登る。
すぐそこに、突き立てられたダガーが光っているのが見えた。
「間に合って――」
オーガーの大きな掌がパウルを上から押し潰した。
彼の叫び声が轟く。
エルナはダガーの柄を掴んだ。
(切り裂けっ! ――フリューゲル!)
(お帰りなさい。主人――)
引き抜いたダガーは緑色の輝きを放った。
同時にどす黒い血が吹き出て、飛沫が顔にかかる。
すでに大剣となったそのダガーを横へ思いっきり振りかぶり、巨人の首に斬撃を浴びせた。
大量の血が吹き出て、巨人は悲鳴をあげる。
エルナは素早く飛び降りて、パウルの元へ走る。
「パウルさん!」
彼は地面にうつぶせに倒れており、ひどく苦しそうに呼吸をしていた。
「す、すみません少尉さん。足手まといになってしまって」
パウルが消え入りそうな声で言う。
すぐに彼を抱えて、エルナはオーガーから離れた。
「今だ! 総員で巨人を捻じ伏せろ!」士官の男が叫ぶ。
首の後ろを抑えて満身創痍のオーガーを召喚獣たちが囲んでいく。
エルナは衛生兵の手配を近くの部下に伝える。
そっと牧草の上に横たえるパウルは依然として荒く息を吐き、鈍い声で唸っていた。
「パウルさん、どうして――すぐに救護を行いますから、どうか気をたしかに持ってください!」
「本当に、すみません――いても立ってもいられなくて」
エルナは彼の肩をそっと掴む。
「あの縄、あなたの機転だったんですね。おかげで、私は――」
「よかったです、少尉さん。助かって」
パウルがほっとしたように笑った。
そのまま彼は目を閉じて、意識を失ってしまった。




