小さな村くらいすぐに地図からなくなっちまうだろうさ。
スズたちがコカトリスの残骸を発見した数時間後。
首都マルシュタットの中央本部、総司令官室には二人の将官が招集されていた。
部屋の奥には大きな木製のデスクがある。脚や天板の角には凝った彫刻が彫られており、手の込んだ逸品であることを表していた。同じような嗜好の椅子が置かれている。
その部屋の主である男はそこに座っている。
テーブルの上にはいくつかの書類と重そうなマグカップ、書きかけの手紙と万年筆、灰皿などが置いてあった。後方にある背の高い棚にはたくさんの書物が詰まっている。そのほとんどはあまり読まれている形跡がなかったが、赤い表紙で、掌くらいの大きさをした一冊だけは相当くたびれていた。
その書物は「南極点」というタイトルだった。ロアール・アムンセンという、今からもう八十年以上前の探検家が書き残した著作である。
その語り口は他のどの本とも違っていた。
未だ実証には至っていない事柄を、あたかもすでに実現されていることのように、記してあるのだ。そのひとつひとつがリアリティに溢れ、近い未来には実現されるような錯覚を覚える。
そのため、世間一般においてこの著作は空想の物語であり、ファンタジーの世界を伝記風に記したものだという認知であった。
しかし、この本の持ち主はそうは考えていなかった。
この作品には、我が国、ひいては世界を操縦していくための重大で啓示的ななにかが埋め込まれている。それを掘り起こし、読み解くことで、誰も想像し得なかった繁栄を実現できる。
彼は、そう信じて疑わなかった。
「現場を直接確認し、報告をよこしたのはあの不死身の魔女だ。ふざけた小娘だが、オルフも経験しているがゆえに魔族を見る目は長けている。信用してよかろう」
男は低い声でそう言って葉巻を吸った。
短い黒髪に太い眉、淡いブルーの目をしていた。顔には五十代に相応のしわが左右対称に刻まれている。がっしりした身体つきだったが、彼は数年前から脚を悪くしており、歩くには杖が必要だった。
クンツェンドルフ中将。
主に魔力を用いる軍――魔導部隊、魔導銃部隊、そして召喚術部隊――の総司令官である。この三つの部隊まとめて「魔導軍」と呼称されており、それぞれの連隊規模で存在する。実力者である大佐たちが連隊長の任に就き、部隊をまとめていた。
ルーンクトブルグ軍は通常の陸軍、海軍、そのほか教導隊などの部隊を保有し、有事の際に出動するが、とりわけ魔導軍はその戦力から、軍内部でも発言権は大きかった。
事実上、元帥に続く軍部のナンバーツーが、クンツェンドルフ中将である。
部屋の中央には、やはり彫刻の施されたローテーブルが鎮座し、茶褐色の革が張られたシングルソファが四つ並べられていた。
そのうち二つが、対角線上に埋まっている。
「やれやれ。またあの忌々しい左翼集団がぎゃあぎゃあわめくと思うと、うんざりするのう」
レーマン准将がそう言って額を掻いた。
参謀本部参謀長、ボニファティウス・レーマン。大きな白いひげを生やした、小柄な老人だ。頭はつるりと見事に禿げ上がっている。
「参謀長。そういう言いは感心できんね」
もうひとりの将官がよく通る声で言う。准将を咎めるように睨む。
陸軍司令官のアイスナー少将は、白髪を丁寧に頭の後ろででまとめた老婦人だった。気品の漂う将校の制服を身にまとい、銀縁の眼鏡をかけて、薄めの化粧をしている。
「オシュトローの半径五十キロにはざっと三十の町や村がある」アイスナー少将は続けた。「もううちは後手を踏んでるんだと認識したほうがいい。コカトリスごときでこれだよ。もし本当にオーガーなんかに暴れられたら、小さな村くらいすぐに地図からなくなっちまうだろうさ。あの魔女の子はお手柄だよ。今は先手が打てる」
レーマン准将はにっこりと笑った。
「当然、しかるべき場所にしかるべき戦力をおくのがよいじゃろう。一方で、リオベルグからは部隊を剥がしてはならんよ。今張っておるのはシャルクホルツ率いる精強な魔導部隊じゃ。彼女がリオベルグから離れると、残った部隊は即座に奇襲に遭い、各個撃破でもされるのが関の山じゃろうて。向こうはあの『地神』ジョエル・バラデュールが張っておる。それに魔導戦車も、前線からは引かせられんよ」
クンツェンドルフ中将が右手をあげる。
「西部戦線は動かさん。立案中の邀撃作戦も十分な防衛戦力が確保でき次第、早急に実行にせねばならんからな」
「クンツェンドルフ」アイスナー少将が眼鏡越しにテーブルの向こうを見た。「魔族をペットにして遊んでいるろくでなしは、どこのどいつかわかったのかい?」
クンツェンドルフ中将が首を横に振る。
「まだ掴めていない。先日話した魔導連合大隊も、その輩を引っ張り出すための創隊だ。まあ、どうせ帝国のネズミだろう。だからなおさら、この程度の撹乱で西部戦線を崩してはならんのだ。」
「同意じゃな」レーマン准将が言う。「それで、肝心要の戦力配置じゃが、首都にはまずアーベントロートを置いておくべきじゃろう。ここを動かすと議会もうるさいのでな。次に魔族出現の可能性が高いオシュトロー。ここはラングハイムにそのまま任せようぞ」
「そのラングハイムから応援の要請があるが」
クンツェンドルフ中将が遮る。
「ふん、あの魔女働かないつもりかのう。却下じゃ却下」
准将は手をひらひらと左右に振った。
「ティルピッツの町も要所だよ」アイスナー少将が言う。「オシュトローから真西に三十キロの地点だ。キューパーでも行かせたらどうかね? 私ら歩兵にできるのは各魔導軍の後方支援と、周辺のパトロールくらいだろうから、さっそく部隊編成に取りかかるよ。それでいいかね? 中将や」
クンツェンドルフ中将は頷く。
「偵察部隊は対象を発見次第距離をとり、通信を入れいったん後退、観測任務へ移行しろ。歩兵にオーガーは撃ち獲れん」
「そのように」少将は承諾する。
「それとな、クンツェンドルフ」レーマン准将が禿げ上がった頭を撫でながら言う。「五年ほど前、レオンの作った男がおったのう。『不死身殺し』と呼ばれておる」
「ザイフリートのことだな。魔導連合はあの男の部隊にする予定だ。おまえも一枚どころではなく、噛んでいるはずだが」
「うむ。あれの武器もなかなかじゃ。対魔族でもじゅうぶん力を発揮してくれるじゃろう。『不死身殺し』本人は少し前に心的外傷を患っておるみたいで、少々不安じゃが。ヴォルケンシュタイン辺りが、配置として順当かの。魔女のほうの部下は戻っとらんが、奇しくも今回が魔導連合の初試合になるかもしれん」
ヴォルケンシュタインは、オシュトローから南西へ三十キロの地点にある炭鉱の町であった。
「連隊長のキューパーにも意見を仰いでおく」
クンツェンドルフ中将はそう言うと立ち上がり、窓の外を眺めた。
「報告では敵は五体。だがそれ以上の数が潜んでいる可能性はじゅうぶんにある。油断するな。全対象を、必ず掃討する」




