じゃあ私が少佐と恋仲になってしまってもいいんですね?
パシュケブルグから帰還した第2魔導銃大隊。
テオはスズとフィルツ中尉が打ち解けられるよう「特殊任務」を言い渡す。
「クンツェンドルフ中将から聞いている。『魔導連合大隊構想』は過去にも一度耳にしていたし、現状の魔族の動きを考えると、軍部としてもなんらかのてこ入れが必要になるのだろう。まあ、レーマン准将が一枚噛んでいるというのは気になるが」
キューパー大佐が言う。
テオは大佐の隊長室に赴いていた。
ヴァルター・キューパー魔導銃連隊長はデスクに深く腰をかけ、腕を組んでいる。
魔導銃を主な得物とするテオたちの部隊のトップである。
目つきが異様に鋭く、短く刈り込んだ黒髪の男だ。
左のこめかみから後頭部にかけて、敵狙撃手に打たれた大きな傷がある。そのせいで新入隊員からはもれなく怖がられているが、実際には部下思いの優しい男だった。
体格はそれほど大きくはない。だが彼は軍随一の凄腕スナイパーだった。同年代では、群を抜いた狙撃数を誇っていたらしい。
パシュケブルグからは首都へ戻った第2魔導銃大隊は、それぞれ個別の日課に戻っていた。
体力訓練や基礎戦闘訓練、狙撃訓練、新入隊員の指導教官など、多くの隊員が起きている時間のほとんどを、何かしら名前のついた活動に従事していた。
「これから忙しくなるねーテオくん」
キューパー大佐のデスクの横に立っていた女性が言った。
どこか面白がっているような、甘ったるい声だ。この口調は、テオのことを馬鹿にしているわけではなく、これがデフォルトなのである。
「休暇がまた減りそうですよ。ハス中佐」
「テオくん仕事人間のくせに。休みの日ってなにしてんのー?」
「別になにも。安いパブでひっかけるくらいですかね」
「うーん。それはモテない。五十二点」
魔導銃連隊の副官であるツェツィーリエ・ハス中佐は、テオが士官として着任した当時の、直属の上官だった。ゆるめのウェーブがかかった赤毛は伸ばし始めてもうずいぶん長いらしく、肩より下まで届いている。仕事中は後ろのほうだけハーフアップにしていた。
気の抜けたような喋り方は昔からで、テオは彼女の部下になった当初は正直なところ「はずれ」だと思った。ただそれは、彼女の精密な狙撃訓練を見て、考えが変わることになる。
魔導銃可動のラグがまったくなく、アンプリファイアに最適な魔圧を等間隔で送り込み、正確な連射で的を粉々にした。撃ち合いなど挑もうものなら、あっという間に蜂の巣になるだろう。
また、観測手としても非常に優秀だった。
主に技術面において、彼女から学ぶものが多かった。ただ性格面についてはいまだに掴みきれていない。
「今回の創隊は軍内部のみの機密となる」キューパー大佐は続ける。「よって観兵式はとり行わん。顔合わせは内々で済ませてもらうことになる。ただ、『不死身の魔女』の部下二名は今それぞれ個別に任務を行なっているため、しばらく首都に戻れないらしい。本格的な稼働はもう少し先になるだろう――もっとも、中尉本人とは、すでに酒を飲み交わしているらしいな」
「ええ。なんと言いますか――なれなれしい性格の少女です。バルテル少尉とはもうずいぶんと打ち解けておりましたが」
キューパー大佐は重いノックのようなリズムで笑った。
「結構なことだ。ふだんから気のおけない仲になっておけ。作戦で生きる。そういう意味では、むしろフィルツのほうが心配か」
大佐はあごをさする。
テオは頷いた。
「大佐の言うとおり、フィルツ大尉はたしかに優秀で、たいていの作戦においてそつなくこなすことができます。ですが、ラングハイム中尉に対しては感情的になりやすい。実際これは、中尉のほうにも多分に問題があるとは思いますが」
「うむ――それで、ザイフリート少佐はどうする?」
「はい。実は今日二人には特殊任務を指示してあります」
「特殊任務?」キューパー大佐は指先を合わせてデスクの上に手を乗せる。
テオは口元で笑った。
「高難易度の『物資調達任務』です」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
首都マルシュタットの中央通りは今日も華やいでいる。
秋の風に吹かれて、街路樹はのんびりと揺れていた。黄金色のアカシアや、真っ赤に染まったカエデが街を飾りつけしていた。ひらひらと舞い落ちる葉は毎年人々を楽しませている。すでに落ちてしまった木の葉は吹きだまって、道の片隅に小さな山を作っていた。
首都では、ルーンクトブルグに流通している物品や食材が、ひととおり手に入った。
公園の広場では野菜や果物を売る街商が市場を作っている。通り沿いには色とりどりの織物を切り売っている店や、小さな雑貨店が点在している。
この街では、金さえ払えば、自分にぴったりと合った服を仕立てることができた。粗悪な石塊とそうでないものを見分ける目があるならば、貴重な魔鉱石だって手に入れることもできた。
マルシュタット住民の多くは、それをよく熟知して、ここに居住していた。
「特殊任務と聞いて、いったいなにをするのかと思えば、コーヒー豆の買い付けですか」
スズ・ラングハイムはザイフリート少佐に預けられたメモ紙を見ながら言う。
「さっそく文句?」となりを歩いているニコル・フィルツ大尉が睨んだ。「どんな任務であろうと、きっちり完璧にこなすべきではなくて? ラングハイム中尉」
スズとニコルは中央通りの喧騒の中を歩いていた。ザイフリート少佐からの「特殊任務」を遂行中である。
昨日は久しぶりの強い雨だったが、一日経てばすっかり晴れてしまった。道のところどころに水たまりができており多少歩きにくい。
ただ、買い物日和といえば買い物日和である。秋の空は見るかぎり、しばらく泣き出すことはなさそうだ。
「任務? 雑用の間違いですよね? だいたいなんでしたっけ? あの人。マリリンモンロー准尉でしたっけ」
「エルレンマイヤー准尉」ニコルは訂正する。
スズはため息をつく。
「あの人があり得ないくらいコーヒーを淹れるのが下手で、ずいぶん豆を無駄にしたから買い足しって、なんてアホな理由でしょうか? 卓費払ってる士官全員、総じて大噴火ですよ。だいたい買い足すにしても、エルメントルート准尉が自分で行けばいいじゃないですか!」
「エルレンマイヤー准尉」ニコルは訂正する。
スズは紺色のローブをひるがえして、大尉に向き直った。
「大尉は感じないんですか? 憤りや不条理、世の中の理不尽さというものを」
「ずいぶん大袈裟ね――どんな理由にせよ、少佐からの命令は遂行すべき任務よ。まあ、あなたがやりたくないというのであればいいのだけれど。少佐には『ラングハイム中尉は途中で作戦を放棄しました』って報告しておくわ」
「フィルツ大尉、そういえば」スズはにやりと口元を曲げる。「大尉は少佐のこと、ちょっと気になる感じですか?」
ニコルからの応答がない。
「大尉ー。聞いてますか? オーバー。あれ、顔赤いですよ?」
「赤くありません!」ニコルはスズを睨みつけた。「ザイフリート少佐は、士官学校では同期だったけど、今は尊敬する上官よ。それはまあ、付き合いが長いぶん、お互いわかり合っているつもり。でも、そういう気持ちとかでは」
「いいじゃないですか。上司と部下の関係でも、恋愛くらい」
「だから、そういうのではないって」
「じゃあ私が少佐と恋仲になってしまってもいいんですね?」
「えっ?」
とたんにニコルの表情は固まってしまう。
拳銃を額に突きつけられたみたいな顔だった。
わかりやすい人だなあと、スズは思う。
「冗談ですよ、冗談」スズは臆面もない笑顔で言った。「大尉はもしかしたら私のことを、少佐に寄ってきた泥棒猫みたいに思っているかもしれませんけど、しっかり否定しておきます。私はなんとも思ってません。私はただ、少佐の魔導銃に興味があるだけですから。あの銃で撃ち抜かれるのを、楽しみにしているだけですから」
スズは鼻歌を歌いながら、すたすたと歩いていく。
ニコルは首を傾げる。「なによそれ――」
「あ、あの店じゃないですかね」スズの指差す先に、古めかしい佇まいの一軒屋があった。「『コーヒー豆専門店』って書いてますよ」
ベルを鳴らして店内に入ると、豆を焙煎した香ばしい匂いが鼻を刺激した。
店の壁という壁が飾り棚で細かく仕切られており、たくさんの銘柄のコーヒー豆が並べられていた。決して広くはない店内に収まるように、器用にレイアウトしてある。コーヒーの抽出に使ういろいろなかたちをした器具も、一緒に置いてあった――たしか、あれは「サイフォン」というのだっけ。スズは思った。
「いらっしゃい」奥のカウンターから老人がひょいっと顔を出した。「おや、軍人さんだね」
白いひげを豊かにたくわえたその店主は、ニコルが身につけているティールブルーの制服を見て言った。彼は焦げ茶色のベストを着ており、小綺麗なベージュのスラックスを履いている。耳が大きく、象のように広がっているのが特徴的だった。
「どの豆がよいかな」
「ええとですね」スズはメモ紙をローブのポケットから引っ張り出して読み上げる。「マンデリンとモカを、それぞれ五キロずつお願いします」
「豆のままでいいのかい?」店主は尋ねる。
「どうなんですか大尉?」スズはニコルを振り返る。
「ええ、豆のままでお願いします――うちの士官室、挽きたてじゃないと文句言う人たちが多いのよ」
ニコルがそう言うと、「少し時間がかかるから」と店主は木製のスツールに座るよう勧めてくれた。
スツールに腰かけ、店主が注文した豆を麻袋に詰めていると、店の奥から小さな女の子が飛び出してきた。
裾に黄色の花柄がついた、可愛らしい白のワンピースを着ている少女だった。まだ年は五、六歳程度だろうか。栗色の髪は、右側に束ねて器用に三つ編みにされていた。
その女の子は手になにか持っている。ちょうど顔くらいの大きさの、一枚の洋紙だった。
「おじいちゃん、ここ貼っていい?」あどけない声で、女の子は言う。
「ああ、豆の銘柄が隠れないようにね」
「わかってるって」
女の子がぺたぺたと壁に貼り付けているその洋紙には、猫が描かれていた。
ふさふさした白い毛に、ところどころ茶色も混ざった猫だった。脚や尾は、その胴体とは不釣り合いに短かく、一方で耳が異様に大きかったが、さすがに実際の姿ではないだろう。まあ、ご愛嬌である。
猫の絵の上に、赤いクレヨンで「ルーシー、さがしています」と書かれていた。
「猫ちゃん、いなくなっちゃったの?」ニコルが女の子に尋ねた。
女の子はぱっと振り返って彼女を見た。数秒間観察したのち、悪者ではないと判断したようで、こくりと頷いた。
「ルーシーがね、家出しちゃったの」




