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戦争が終わったら、この国や私たちって、どう変わるのかな。

テオは久しく見ていなかった夢を見て、急に目を覚ます。

目が冴えてしまった彼は官舎の外で、銃を構えていた。


そこへ、後ろから声をかけられた。

 テオが振り向くと、フィルツ大尉が官舎から出てきたところだった。


「なんだ、大尉か。驚いたよ」


 フィルツ大尉は白い寝間着にそのままオーバーコートを羽織っている。

 髪はとかされ、さらさらと夜風に吹かれていた。


「どうしたんだ? こんな時間に」

「少佐こそ――」大尉はかなり戸惑っているようだった。「わ、私はただ少し、夜風にあたろうと思って」

「――そうか」

 テオは魔導銃をひとまずコートの内側にしまい込んだ。


「おまえ、飲みすぎたんじゃないのか?」

 テオの問いかけに、大尉は急にたじろいだ。どうやら、図星のようだ。

「べ、別に――次の日に残すようなことにはなりませんから。少佐と違って」

 まだ根に持たれているらしい。


「突っ立ってないで座ったら――」

 テオは何気なくフィルツ大尉に目をやる。

 その格好に、今日ちょうどウッツが言っていた下世話な話を思い出してしまった。


(よく見るといい胸してるしな)


 それは正しい。彼女のコートは背中から羽織られているだけで、寝間着姿ではその胸のかたちがとてもよくわかってしまった。


「ええ、そうね」

 大尉が隣にしゃがみ込む。

 テオとは四十センチほど隙間を空けて、腰をかける。テオはほのかに甘いにおいを感じた。


 少しのあいだ、二人は無言のまま夜風に当たり、星を見上げていた。

 テオは大尉に気づかれないように、その顔を盗み見る。


 見上げるその瞳は、とてもきれいだった。

 冷たい風にあたっているせいか、頬が少し赤く染まっている。

 胸元は間隔の広いボタンでとめられているだけで、その膨らみに対してはあまりに無防備なように思えた。


 テオは、自分がフィルツ大尉――ニコルと恋人の関係になり、その身体も心も全て自分のものになるという、おしなべて都合の良い世界について空想をした。


 軍服姿ではないニコルを、今よりももっとたくさん知ることになる。士官学校からの長い付き合いの中で、一度も起こることがなかったいろいろな間違いも、頻繁(ひんぱん)に起きるようになる。例えば、今となりで星を見上げているニコルを抱き寄せ、生暖かい体温を感じる。寝間着のボタンを上からひとつひとつ外していき、柔らかい肌にキスをする――


 そういう未来も、起こり得るのかもしれない。決して、悪い未来などではない。

 ただ、そういう未来を手繰り寄せて実現させたいというふうに自分が思っているのかどうかは、実際のところまだわからなかった。


(あなたには生きて欲しいの。これは、とても個人的なお願い)


 そしてまたテオは別の女性を思い出す。二年前のことを、思い出す。

 彼女もまた優秀な魔導銃師であり、活力に溢れ、魅力的な女性だった。


「少佐」フィルツ大尉が静かに口を開いた。「今日、ラングハイム中尉が言っていた話――」

「ああ。だからあれは本当になにもない」テオは弁解する。「中尉のおかしな癖がおれの魔導銃の火力を求めてきただけだ。入念に下調べまでして、ひとりで飲んでいるところにずかずかと踏み込んできた。だから決して――」


 大尉は慌てて手を振る。

「い、いえ! その話ではなく、部隊新設の件で」


「――ああ、その話か。いや、すまん」


「そっちの話も、気にならないわけじゃないけど――」大尉はぼそりと呟く。「まあその――中尉の話だと、我々の部隊がそのまま中尉の部隊と合流し、行動を共にするということですよね?」


「そういうことのようだね。承認待ちということだったが、レーマン准将が絡んでいるのだから、通らないことはなさそうだ」

「魔導部隊。ふだんはほとんど接点がないので――うまく連携できるでしょうか?」


「なんだ、大尉にしては弱気だな」テオはからかうようにして笑った。「おれとしては、中尉ときみがもう少し距離を縮めてくれると嬉しいんだけど」

「別に、あの人を嫌っているわけではありません」中尉は首を横に振る。「もともと私は、それほど人付き合いが得意な方ではないし」


「いつも部下に対してしかめっ面してるからなあ、ニコルは」

「それは、女だからってだけで下に見るような(やから)がいるから」

「きみには、皆一目(いちもく)二目(ふたもく)も置いている。そんな心配をする必要はないよ」


「――だといいんだけど」

 フィルツ大尉はふーっと、白い息を吐く。

「少佐は――テオは、悩みとかないの?」


「悩み、か」

「ひとつくらいだったら、聞いてあげてもいいわよ」

「そうだな、ひとつある」

「なに?」

「バルテルのやつがいっこうに体重を減らそうとしない」

「あれはもうなにを言っても無駄よ」

「しかしまずいな。あのままじゃキューパー大佐に目をつけられて、家畜として出荷させられる」


 フィルツ大尉は吹き出した。


 ひとしきり二人は笑っていた。

 こうして他愛ない話をするのは、実に久しぶりだった。士官学校時代はテオとニコル、ウッツ、そしてもうひとり――四人でいつも(つる)んで、くだらない話に花を咲かせていたものだ。


 二人はいつの間にかお互いにファーストネームで呼び合っていた。テオは懐かしさと同時に、甘ったるく、しかし刺激の強い感情に触れていた。


「ねえ、テオ」ニコルは笑ったまま、静かに言う。「幸せ者よね、私たち。戦争中だというのに、じゅうぶん食べて、じゅうぶん飲んで、こんなふうに好きにおしゃべりまでできて」

「ああ、そうかもしれないな」

「でも、現状にただ満足して生きていられるほどお利口さんじゃない自分も、たしかにいるの」

「向上心があって、けっこうなことだ」

「戦争が終わったら、この国や私たちって、どう変わるのかな」


 テオはすぐに返答できなかった。

 答えを持ち合わせていなかったからではない。テオは前の世界の、いくつかの史実を思い起こしていた。近代の歴史上、大きな戦争は二つ起こっている。

 そこにははっきりと読み取れる、あまり好ましくない現実がある。


「テオは、どう変わる?」

 ニコルはテオの顔を覗き込んだ。


「――そうだな、きっと、運動不足でいくらか太ってしまいそうだ。バルテルのことを言えなくなるだろうな」


「もう、真面目な話をしているつもりなのよ」

 そう言いながらも彼女の表情は柔らかく、どこか満たされた顔になっていた。

「そろそろ、部屋に戻るわ」ニコルは立ち上がる。

 テオは片手を上げて返事をする。「風邪、ひかないようにしろよ」


「ありがとう」

 コートの襟を掴み、体に巻きつけるようにしながら、ニコルははにかんだ。

「ねえテオ――ときどきこうやって、お話をしない? 昔していたように、どうでもいい、くだらない話を」


 テオは彼女の顔を見上げる。

 ほの明るい月の光が、その瞳に差し込んでいる。

「できれば、軍の仕事とは関係のない、些細なことを、あなたと話したい」

 ニコルは繰り返す。


「それは、もちろん」テオは言う。


 ニコルは笑って頷く。

「おやすみなさい」

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