軍人が恋人のことを嬉しそうに語ったりするのは、気が咎める。
ラングハイムが語った「魔導連合大隊構想」はにわかにきな臭いものも含んでいた。
レーマン参謀長、そしてコルネリウス首相。様々な思惑が絡み合っている。
その日の夕刻、ビアホールに来ていたテオは、懐かしい顔に遭遇する。
「ルーンクトブルグ人には、戦いの最中にこそビールが必要だ。自動車はガソリンで前に進むのと同じように、ルーンクトブルグの軍人はビールで進軍する。なあ中尉、そう思うだろう?」
大きな赤ら顔でそう笑うのは、バルテル少尉だった。唇に泡をつけ、ぐいぐいとビールを流し込んでいる。
「バルテル少尉、まさにおっしゃるとおり。そうに違いありません」ラングハイム中尉が大きく頷く。「かつてのコボルグラント戦争やイオニク内戦、そしてオルフ戦争。いつも我々はビールと共に戦ってきました。もはや盟友と言っても差し支えないでしょう!」
さあご唱和ください! アイン・プロージット――アイン・プロージット――
中尉が周りの兵士たちを巻き込んで合唱した。皆高々にビール、もしくはフライドチキンを掲げて。
かれこれ一時間、ずっとこの調子である。
第2魔導銃大隊は無事に物資輸送の護衛を終えて、パシュケブルグに到着した。
積み荷を降ろし、検品作業まで立ち会ったあとは駐屯している兵站に引き継いだ。そのあいだの兵士たちの話題はおしなべてコカトリス襲撃についてだった。どんなに恐ろしい化け物だったかを皆口々に、いくらか大袈裟に語った。迎撃に成功した狙撃手は、その話の中にさりげなく自身の功績を挟み込んだ。
パシュケブルグは周囲を砂岩でできた壁で囲まれている大規模な城郭都市である。
古来からソルブデン、イオニクとの国境が近いこの都市は、軍事拠点として、また宿営施設として重要な役割を果たしていた。西部戦線が膠着状態にある現在、多くのルーンクトブルグ軍が駐屯している。
城郭都市パシュケブルグは上空から見ると星型の壁を築いており、突起した稜堡と呼ばれる部分により、攻め入ろうとする敵軍に死角なく砲撃、銃撃を行うことができた。
テオは過去にも数回この街を訪れていたが、十数メートルにもなる外壁や堅固な望楼、常に目を光らせている銃眼を見て、これを攻め落とすのは至難の技だと思った。相当数の兵力を要するだろう。
テオたちは市内の駐屯地からほど近いビアホールに来ていた。
この街を中心に、国の西側は今、戦争特需で沸いている。
数年にわたり、好景気が続いているのだ。駐屯兵やそのほか立ち寄る軍人が多い情勢であり、さらに昨年は大麦が豊作だった。国は軍人の士気を高く維持するために、なんと一日一リットルのピルスナーを支給している。
需要、供給ともに、風車のように大回転をしているのである。
あげく、この交戦がもっともっと長引いてくれればいいのにと、あまり褒められたものではない発言をする者も出てきたし、「西の方が儲かるぞ」と移住する商人も増えているという。
実際、先ほど一度に八つものジョッキを運んできた男は、昨年の夏に南東の村ツェルザントから越してきたのだそうだ。
国を大横断する長旅である。
「バルテル少尉――ヘンドリック! 聞いてるの? あなた、調子に乗りすぎよ。彼女は中尉。あなたより階級が上なのよ」
フィルツ大尉が周りの歌声に掻き消されぬよう、バルテル少尉を叱咤した。
「大尉、まったく構いませんよ」ラングハイム中尉が言う。「そう固いこと言わないでください。もう作戦中ではありません」
「中尉! あなたもあなたです! 作戦中だってテオの――ザイフリート隊の任務を掻き回していたじゃないですか?!」
「フィルツ大尉、顔が怖いですよ! さあ歌いましょう!」
「なんですって?!」
怒りに満ちたフィルツ大尉の顔をよそに、ラングハイム中尉とバルテル少尉はまるで稲雀を散らす田舎の童子のように、腕を組んで回っていた。
予想はついていたが、ラングハイム中尉とフィルツ大尉はまったく馬が合わない。
各小隊を率いる士官には、ラングハイム中尉のことを、結局その体質も含めて紹介をした。
この魔女は不死身です――なんとも現実感のない字面だが、実際ともに任務を遂行する際は、作戦内容にも関わるかもしれない。
中尉とはあらかじめ相談をしておいた。
年齢と、大召喚術師の召喚によってこの世界にきたことを伏せておけば大きな問題は起こらないだろう、とのことである。事実、不死身の身体のことは軍内部でも噂が広まっているわけだから、隠す意味もあまりない。
なので、しっかり伝えた。彼女は、死なないんだ。
当然最初は三人とも驚きの表情を見せたが、バルテル少尉とアルトマン准尉は打ち解けるのにそう時間はかからなかった。バルテル少尉など、言わずもがな、である。
問題は大尉だ。
仲良くなれとは言わない。せめて、敵意を鞘に収めてくれさえすればよいのだが。
「おい、テオじゃないか」
ふいに、後ろから声をかけられた。
振り返ると、眼鏡をかけた懐かしい顔が笑っていた。
「ウッツ! 奇遇だな!」テオが立ち上がって肩を叩く。「そうか、第1魔導銃大隊は今西部戦線か」
声をかけてきた男はウッツ・ライスター少尉。
テオの士官学校時代の同期だった。彼の所属する大隊がパシュケブルグに駐屯することになり、首都を離れたのは一年も前になる。久方ぶりの再会だ。
テオは旧友とジョッキをぶつけた。
「ああ。最前線は魔導部隊の連中がやってるから、その援護が多いな。お、ニコルも来てるのか。懐かしいなあ」
ウッツが言う。フィルツ大尉はといえばバルテル少尉となにやら口論をしており、こちらにはまったく気がついていなかった。
「どうしたんだ? こんな辺境まで。前線に送られるのか?」
テオは首を横に振る。
「勘弁してくれ。物資輸送の護衛だよ。明日には首都にもどる」
ウッツは快活な声で笑った。
「だろうな。今は良くも悪くも膠着状態。戦況は安定している。戦力の増減にはきっかけがいるからな」
「きっかけがあるにせよ、ないにせよ、爆炎も銃弾もできるだけ避けたいものだね。おまえには悪いが」
「違いない。俺が死んだら後味悪いぞ」
テオは彼の言葉に、ほんの一瞬、押し黙った。
「あー、いや、冗談だ。すまん――」ウッツが軽くテオの肩を叩く。
「いいや、大丈夫だ――なんでもない」テオは笑顔を作った。
ウッツは怪訝な顔をしている。
「――あれから、なにかまた影響が出てるのか?」
「いいや。最近はすこぶる安定だ。夢も、見ていない」
「そうか」ウッツはテオに向き直って言う。「広まった話だけを聞いた連中は後ろ指をさすかもしれない。けどなテオ。お前を知っているやつは、だれもおまえを責めたり蔑んだりはしない」
「ああ。わかってる」テオは頷いた。
「なら、いいんだが」
それから二人ともジョッキを傾け、ビールをすする。
二年前、テオがソルブデンとの交戦でバトル・バディーを組んでいた兵士がいた。魔導銃部隊の女性で、彼女もまた士官学校の同期だった。
――おれの百倍勇敢で、百倍優秀な魔導銃師だった。
テオは彼女のくったくのない笑顔を思い出す。少し胸が熱くなる。それを抑えるかのように、テオはビールを流し込む。
ラングハイム中尉はもはや隊員のほとんどと意気投合しているようだった。フィルツ大尉は相も変わらずバルテル少尉を攻め立てているが、アルコールで彼女の頬は赤らんで、まぶたが不自然に垂れ下がっている。ほとんどだる絡みだ。少尉はテオが見ていることに気づき、口の動きだけで「助けろ」と言っていた。
「そういえばおまえ、ニコルとどこまでいったんだ? もうやったのか?」
ウッツの問いかけに、テオはビールを吹き出す。
「なんだ急に! ――そもそも、そういう関係じゃない」
「そういう関係になれって言ってんだよ。いいじゃないか。お似合いだ。顔は整ってるし、よく見るといい胸してるしな」
このエロ眼鏡が。
「そんなに言うならおまえが狙えばいい」
「だめだ。おれはこっちで女を作った」
ウッツは腕を組んで威張った顔をする。
「まったく。抜け目ないな――どんな子なんだ?」
「テオ」眼鏡が真面目くさってこちらを向く。「すまんが詳しくは言えない。なんとなく、軍人が恋人のことを嬉しそうに語ったりするのは、気が咎める。うまくは言えないんだが、よくない気がするんだ」
前線に送り込まれた軍人は、特にそうなのだよ。
彼はそういうとテオの肩を叩き、同じ部隊の連中の方へ戻っていった。




