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少なくとも私の視界に入らないよう遠くへ。

 雨が降り始めた。


 怒号に次ぐ怒号。

 異形の者たちの、秩序を欠いた大行進。

 天高く砂埃を舞い上げ、魔族たちはオルフ台地へ溢れ出る。


 雨は急速に強まり、大地を濡らしてゆく。


 イレーネ・シャルクホルツ大佐の目の前には、その光景が完全なパノラマで広がっていた。最前線でしか視認できない敵軍の全容。彼女はその光景が好きだった。さらに言えば、その光景が自らの手によって崩れていくさまを観賞するのが、彼女にとっての至福の時であった。


「上空に雷雲を確認」ランセル中佐は部下へ指示を叫ぶ。「第1魔導大隊(まどうだいたい)、第2魔導大隊、後退しろ!」


 魔族たちの進路を阻むように張られた半円状の「堀」を残し、その造作をした結界師たちが前線から後退してゆく。彼らにとってはもはや“いつもどおり”の作戦だった。あとは連隊長に任せておけばいい。逆に彼女の邪魔をしてしまうと、問答無用で部隊から外されてしまう。彼女が主役の舞台上優であり、他は皆ステージメイクを行う裏方に過ぎない。


 風が荒ぶり、凪ぎ、そしてまた吹き荒れる。分厚い雷雲が立ち込め、不機嫌そうに喉を鳴らしている。


「守護の陣『水閘(すいこう)』、展開」


 シャルクホルツ大佐はほとんど唇を動かさずに呟いた。表情は変わらず、その目はまっすぐに、迫りくる魔族の黒々とした大群を見ていた。彼女のいるその場所だけ、時が止まったかのようだった。


「破壊の陣『乱酔瀑布(らんすいばくふ)、展開』」


 続けて詠唱された言葉とほぼ同時に、轟音が鳴り響いた。

 魔族の群れのほぼ中心に、水の柱が立ち上がった。まるで高い密度で埋蔵されていた油田が掘り当てられたみたいに、勢いよく、天高く噴出している。直撃した魔族たちはその水圧で跳ね上げられ、奇怪な叫び声を上げた。


 ひとつ、またひとつと水柱が立ち上がっていく。

 この作戦において、大佐の役割は「篩(ふるい)」だった。

 溢れ出る魔族の群れには、身体の大きなものから小さなもの、空を飛ぶものから地を這うもの、そして強力な魔力を持つものとそうでないものと、様々だった。それを彼女率いる魔導部隊が篩にかける。シャルクホルツの放った魔法により、とるに足らない魔族たちはここで息絶える。とるに足らないと言っても、徒党を組んで襲撃されればそれなりにやっかいな連中だ。

 クンツェンドルフ中将の見立てでは、この「水の剣と盾」によって一掃できる魔族は全体の三割程度だった。それでもこれがうまく機能すれば、この後の戦況を有利に進められる。

 そしてこの関門を突破した魔族たちは、必然的に強大な魔力を持ったものたちということになる。それを個別撃破していくのが、魔導銃部隊や召喚術部隊――そしてテオの率いる特殊部隊の役目だった。


「……おや、邪魔が入りましたね」

 ふいに、シャルクホルツ大佐は目を細めた。


 後方にいた部下がいっせいに身構える。突如現れた男へ、それぞれがそれぞれの魔導具を向けた。


 男は全身くまなく鍛えられた身体をしており、ランセル中佐よりさらに頭ひとつ分大柄だった。雄ライオンのたてがみのような白髪が風になびいている。太い眉に鋭い眼光。顔に刻まれた深い皺は古代の土器を思わせた。


「ジョエル・バラデュール! 貴様なにしにきた?」と、ランセル中佐は男を睨み付ける。


「おうおう小僧ども。元気でなによりだ」と、ジョエル・バラデュールは太い声で言った。しわがれ具合からすると五十がらみだが、その声は年齢を感じさせない生命力のようなものを纏っていた。

「ワシは軍人だ。軍人は戦場に現れる。そうだろう」


「ここは私の狩場(かりば)。すぐに退いてくださいますか? バラデュール殿」シャルクホルツ大佐は淡々とした声で彼を牽制した。


「派手にやってるじゃねえか嬢さん。なあに、邪魔はしねえさ。互いに共闘なんざ望んじゃいないことは百も承知だ。ワシが用なのは、嬢さんたちが狩損ねた奴らだよ」


「それならばずっと後方にてお待ちください。少なくとも私の視界に入らないよう遠くへ」


 二人がやり取りをしているあいだにも、魔族たちは着々と「篩」にかけられていった。シャルクホルツ大佐の放った「水閘」は、彼女たちの盾となる魔法だ。半円状にかたち作られた堀には、すでになみなみと水が満たされている。堀に到達した魔族のうち力の弱いものは、「水閘」を渡ることができない。

 そして足止めを食らっているうちに、「乱酔瀑布」による激しい水流に押しつぶされてしまう。それはおぞましい光景だった。耳を擘(つんざ)く甲高い断末魔が飛び交っていた。引きちぎられた魔族たちの肉片が積み上がってゆく。鼻が曲がるほどの異臭がする。


 しかし、この包囲網でも悠々と突破している魔族が何種類か確認できた。身体が大きく頑丈な巨人型魔族、魔法に対して耐性を持つものたち、空を飛べるものたち――


「カタいこと言うなや」とバラデュールはゲラゲラと笑い声を上げた。「ここのほうが、すぐ獲物にありつけるんでね。ワシゃせっかちなんだ」


 シャルクホルツ大佐は舌打ちした。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 テオは見た。


 まるで決壊したダムから大量の水が噴出されるように、魔族たちがこの国へ流れ込んでくる。通信も入ったが、およそ計測できるような数ではない。イオニクの樹海から、とめどなく大群が押し寄せる。


「インプにオーガー、コカトリス……オールスターですね」スズが言う。「ルーンクトブルグ軍(うち)は定石どおりシャルクホルツをど真ん中に投入しています。魔力の弱いものは『お堀』で始末できるでしょう。問題は――」


「それを突破したやつらだな」テオが台詞を引き継ぐ。「おれたちの獲物だ。さて、そろそろ別行動としようか、ラングハイム中尉。あの銀髪の姉妹が待っているのだろう?」


 テオたち特殊部隊のメンバーはそれぞれ班ごとに分かれ、魔族の中でもいわゆる「大物」を仕留めるという役割があった。オルフの大戦では主戦力であったオーガーや、あるいはそれ以上の魔力を持ったものたちだ。


「最終的にはメデューサを討たなければ、この戦いは終わりません」

「――不安か?」


 メデューサ・ゴーゴンとエウリュアレ・ゴーゴンは、オルフでは結局消滅させることができなかった。止むを得ず「封印」した。しかしそれでは根本的な解決にはならない。いつまた封印を解く輩が現れるとも限らない。


「いいえ。作戦どおりやればなんとかなりますよ。うまくいかなければ、そのときはそのときで考えます。それでは少佐。次は『イオニク』で」


 スズはいつものように青い翼竜を呼び出して、崖を滑り降りるように飛び去っていった。


  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 メデューサは自身の感情をいったいどう表現しようか、決めかねていた。


 考えてみれば、予想できないようなことでは決してなかった。ルーンクトブルグとソルブデンの両国が協議の末に一時停戦し、「魔族」という共通の敵を前に連合する。愚鈍な人間どもでも――いやむしろ愚鈍だからこそ「魔族を打倒する」という大義名分を振りかざせるとなれば、いっさいの疑問を挟まず協力するのだ。


 失策か。

 両国の国民へ出した声明はたしかに混乱を誘発することができたが、同時に新たな敵がいることを知らしめてしまった。つまり、声明は時期尚早だった。ストレート勝ちできるはずの戦況を、こんなところで。


 苛立ちと落胆。唾を吐きたくなるような気持ちだ。


「両国の連合により、我々は一転、不利な状況だ。このゲーム、場合によっては引き際を考えるべきかもしれない」エウリュアレは言った。


 それを聞いて、メデューサは目をつむった。

 そう。ゲームだ。これはテーブルの上で駒を進めるような、片手でウイスキーでも傾けながらでもできる、遊びなのだ。


 奴らはやっと駒の使い方を覚えた。チェスのボード上で、ビショップがどんなルールで、どんなふうに動くことができるかを、やっと理解してくれたところなのだ。


「引きはしない。やっと楽しくなってきたところなのよ? 降服なんて、もったいない」

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