あんなものとは失礼ですよ。ヴイーヴルは女の子なんですから。
貨物列車護衛任務に出動する第2魔導銃大隊。
定時交信で、聞きなれないコードネームが。
テオはとても嫌な予感がした。
テオは「サファイア」を一号車へ引きずり下ろし、物資で埋もれた車内で正座をさせていた。
「スズ・ラングハイム中尉。納得のいく説明をしてもらおうか。この軍用列車の護衛任務は第2魔導銃大隊単独での作戦だ。なぜ、魔導部隊の魔女が悠々と、こんなところを飛んでいたのか。端的にお願いしたいね。加えて、どうしてわけのわからない発砲指示、いや、あんな『戯言』を発したのか――もっとも誰も撃っていないが」
ラングハイム中尉はうつむいて床板の木目を見つめている。紺の三角帽子とローブに、今日は丈夫そうな皮のショートブーツを履いていた。
「昨日、クンツェンドルフ総司令官に部隊新設を提言致しました」中尉は未練たらしくつらつら話し始めた。「しかし、シャルクホルツ魔導連隊長、キューパー魔導銃連隊長の承認を得るためには少なくとも一週間ほどかかるようで、とても待ってはいられないと思い、司令部の鈍足ぶりに苛立ちながら中央本部の廊下を歩いておりましたところ、ちょうど少佐の魔導銃部隊が物資輸送の護衛任務に就くとの情報を耳にして、折しもこれは先に実績を作っておく絶好のチャンスだと思い、こうして馳せ参じたわけです」
列車の発進時間まではわからず、おいてかれてしまったため、こうして飛んできました。
「長ったらしいご説明、どうもありがとう。それで『戯言』のほうの理由は?」
「絶妙なタイミングで積年の病を発症してしまったのが根因かと思われます。すみません」
「知っている。それを抑えられないのがどうしてなのかという意味だ」
無数の死に方を試してきた魔女だ。通常軍で採用している魔導銃などあらかたやってみたはずだろう。
「――勢いですかね?」中尉は少し悩んで、上目遣いで言ったのだった。
思わずテオは魔導銃を抜きそうになるが、堪える。
テオに代わって車両の右側を護衛していた二等兵の部下が聞き耳を立てているような気がしないでもなかった。
「なんて言うんでしょう――長年死を模索していると、理想的なシチュエーションというのができてくるというか、少しでもこだわりたいというか。普通の自死じゃだめなんですよね。わかります?」
「わかってたまるか」
物資を詰め込まれた五両の軍用列車は緩やかなカーブを曲がりながらテンサイ畑を横断してゆく。ちょうどオシュトローの村を通り過ぎた。道のりはまだ三分の一程度だ。先は長い。
「実際のところ、もし仮にあれを隊の誰かが視認していたら、撃たざるを得ない。あの飛行は危険な行為だった。事前に通知をしておいてほしい――あれはなんだったんだ?」
テオは聞かざるを得なかった。
魔導師たちの中には、たしかに飛ぶ者がいる。
風属性の魔力を用いた魔法だが、熟達者であってもせいぜい五分程度の飛行が限度だった。そのうえ、魔力消費が激しいため戦闘向きではない。かつてはこの魔法を熱心に研究していた機関もあったらしいが、今では流体力学を根拠とした飛行技術の研究が主流となり、はなはだ時代遅れだ。
もっともその流体力学も、この世界ではまだまだ発展途上らしく、長距離飛行が可能な偵察機、爆撃機などはまだ実用化されていなかった。
ゆえに、パシュケブルグのような城郭都市が、戦争においてまだまだ有益なのである。
さて、中尉が使っていたのは魔法ではなかった。
巨大な竜だった。
「ヴイーヴルです」彼女はまるで最近購入した外車でも自慢するような口調だった。
「ヴイ――なんだって?」
「ヴイーヴルですよ。どこかの世界の、どこかに住んでいたドラゴンです」
ドラゴンね。それは理解できる。
あれはドラゴンだった。青い鱗を全身にまとっていて、コウモリのような大きな翼を伸ばし、グライダーのように滑空していた。胴体からは丸太くらいの脚が生え、象牙のような爪が生えていた。
あれはドラゴンだった。
「――もう消えてしまったということは、あのドラゴンは『召喚獣』か」
「そうです。もう返戻しましたので、安心してください。私のお気に入りの子なんです。非常に速く飛ぶことができますし、乗り心地も悪くない。背中の上は意外と温かいんですよ。とても知能が高い生き物ですから、大抵のことは理解してくれます。攻撃手段は特に持ちませんが、初級魔法程度でしたらはね返せますね」
彼女のいう「ヴイーヴル」の猛々しいその姿は、もし事前に彼女からの通信が入っていなかったら即座にバンディットと判断し、全部隊に迎撃を指示するところだった。
実際ヴイーヴルが列車の近くまで降りてきたとき、隊員たちのほとんどは目撃した。早まって発砲しようとする隊員を制するのには、一苦労だった。
中尉がそのドラゴンを返戻して軍用列車へ乗り込んだあと、テオは今度はフィルツ大尉の追求をしのぐのに腐心する羽目になった。
彼女は作戦中のイレギュラーを何より嫌うし、得体の知れない生き物を扱う魔導師を列車内へ招くこと自体にしばらく反抗した。つかつかと一号車へやってきて、ラングハイム中尉を睨みつけたりもした。
「とにかく、あんなものを人の目に触れるようなところで乗り回すんじゃない」
「少佐、あんなものとは失礼ですよ。ヴイーヴルは女の子なんですから。彼女はドラゴンであると同時に、宝石を守る精霊なんです。精霊のときの姿は絶世の美少女ですよ。すっごく可愛いんですから。少佐、惚れちゃいますよ?」
「話をそらすな!」テオはニヤついている中尉の頭を鷲掴みにしてぐるぐると回した。
そのとき、最後部の護衛についているレヴィン曹長から通信があった。
〈こちらエスカルゴ01、列車後方約一キロ、多数の飛行物体を確認――急速にこちらへ接近中!〉
後半は声量のせいで、通信にわずかなノイズが混じる。
「こちらバーニング、敵魔導師の類か? オーバー」
〈確認中です――確認。なっ〉レヴィン曹長が息を飲む。〈飛行物体は魔族です! その数――八、いや九体。ボギーはバンディットと断定します。巨大な怪鳥――すみません、種族までは推定できません。現在後方約八百五十メートル〉
イオニク盆地から出て、餌でも獲りにきたのか。
テオは全部隊へ指示を走らせる。「ヴァイスブルストから後方の部隊は全て対象の迎撃準備。バーニング、キティは前方および側方の護衛を継続。全ての部隊に魔導銃の可動を許可する。エスカルゴ、できるだけでいい、対象の特徴は?」
〈――巨大な〉レヴィン曹長の声に恐怖が滲んだ。〈ニワトリです!〉
「ニワトリ?!」
何を言っている、レヴィン。
〈トサカがついて――いや、尾は爬虫類のもののようです! けたたましい声で鳴いています!〉
〈こりゃ傑作だな〉バルテル少尉が通信に混じる。〈こちらヴァイスブルスト、目標確認。冗談みたいな光景だ。のどかな田舎の風景によく馴染んでる。猛スピードでぶっ飛んでくるバカでかいニワトリだ。マンホールみたいな目玉焼きが作れるぜ〉
「射程に入り次第、迎撃だ。クラッカー、対空魔導砲準備」
「少佐、砲撃は最後の手段としてください」ラングハイム中尉が正座を解いて立ち上がっている。「あいつらの唾液や血液に触れると石化します。砲撃で粉々にすると体液が飛び散って、部隊の損耗に繋がりかねません」
巨大なニワトリたちの声が一両目まで届いている。運転室では操縦士が慌てふためいて、いったいなにごとかとこちらを振り返っていた。テオは、気にせず最大出力で走り続けるように指示する。
「中尉、知ってるのか?」
「コカトリスです」中尉は言う。「九羽もいるのであれば全滅させるのはちょっと難しいですね。不気味なほどの生命力がありますから。一発、二発の魔導銃を身体に当てたくらいだと、しぶとく追ってくる可能性があります。優秀な狙撃手に脚を狙わせてください。あいつらは飛んでいるように見えて、実は地面を脚で蹴って移動しています。例えるならば、すごく長い距離の幅跳びをしているんですよ。コカトリスが走っている時、いちばん負荷のかかっている部位が脚です。だから、脚を負傷させれば追ってこれません」
「それがやつらを退ける最善の策、ということだね」
「そうです」
テオは再度各部隊へ指示を入れる。「こちらバーニング、目標は魔族。『コカトリス』と呼称。足止め作戦で行動不能にする。無理に殺そうとするな。血を浴びると石になって、しばらく酒が飲めなくなるぞ。『72式狙撃魔導銃』および『SR-26』を装備している者、諸君らの出番だ。最後部へ直行し、コカトリスの脚を狙え。一羽狩るごとにパシュケブルグでフライドチキンを奢ってやる。脂がのっていて、ブラックペッパーのよくきいた、とっておきのだ」
各部隊の指揮官から快活な応答が聞こえた。
「さて、私はちょっと別件でコカトリスちゃんに用事があるので、失礼します」
ラングハイム中尉はそう言って、貨物の隙間を縫ってすたすたと走っていく。
「ちょっと待て!」テオは呼び止めるが、中尉はあっという間に一号車から出て言ってしまった。
魔族に用事など欺瞞に決まっている。それに、走っていくときのあの中尉の嬉々とした顔だ。
まったくもって、嫌な予感しかしなかった。