第1話
その人は、僕の目の前に、突然現れた。
森の中で薪を集めていた僕の前に、フードを目深に被った人物が立ちふさがったのだ。
「……あの……?」
「まさか、こんな所に、ダッデウドの民がいるなんてね」
その人物は、そう言うとフードを脱いだ。
「……!」
僕は息を飲んだ。
その人は、驚くほど美しい女性だった。
いや……美しいだけではない。
その人の髪は、僕と同じ銀色だったのである。
今まで散々いじめられて、その原因となった自分の髪が、僕は嫌いだった。
しかし、目の前の女性の、まっすぐで長い髪は、とても素晴らしいものに思えた。
「……あの、貴方は?」
「私の名前はヴェルディリヒリ」
「……ヴェル……?」
「呼びにくいかしら?」
この人には、もっと女性的な名前が似合う気がする。
しかし、あまり可愛い名前だと、やはりこの人には似合わない気もした。
「……ベルさん、と呼んでもいいですか?」
ふと思い付いて、僕は言った。
尋ねてから、初対面で馴れ馴れしかったか、と後悔する。
しかし、目の前の女性は笑みを浮かべた。
「好きな呼び方で構わないわ」
そう言うと、ベルさんはこちらに近付き、いきなり僕の髪を撫でた。
「あ、あの……!?」
「本当に驚いたわ……こんな所にダッデウドが……それも、自然な状態で暮らしているなんてね」
「ダッデウドって……ひょっとして、ダート人……伝説の、呪われた民族のことですか?」
僕がそう言うと、ベルさんは不快そうな顔をした。
「そうね。貴方の周りにいる連中は、そういう言い方をするでしょうね」
僕の銀髪は、かつてこの世界に存在した、ダートという民族と同じものらしい。
世界に危機を招いたダート人は、今でも、呪われた民族として忌み嫌われている。
だから僕は、幼い頃からいじめられてきたのだ。
「呪われている、だなんて……オットームの中で暮らして、嫌な思いをたくさんしてきたのね」
そう言うと、ベルさんは僕の頬を撫でる。
顔が紅潮していることが、自分でも分かった。
「あ、あの……オットームっていうのは?」
「私達ダッデウドは、この帝国を支配している異民族のことを、オットームと呼んでいるの」
不思議な話だった。
異民族、というなら、ベルさんの方が異民族であるはずなのに……。
「貴方のことは、私達が保護するわ。今夜までに荷物をまとめなさい」
ベルさんがそんなことを言い出したので、僕は困ってしまった。
「確かに、僕は差別されていますけど……いくら何でも、そんなにすぐには……」
「この辺りの人間は、数日のうちに死に絶えるわ。その前に、貴方だけは逃げるべきよ」
「!?」
ベルさんは、とんでもないことを、まるで世間話のように言った。
「た、大変じゃないですか! 早く、皆に知らせないと!」
「あら、優しいのね。でも、こんな話をして、誰かが信じてくれるかしら? 私が言っても、貴方が言っても、無駄だと思うけど?」
「……」
確かに、僕の話なんて、誰も信じないかもしれない。
でも、ベルさんの言うことが本当なら、皆を逃がさないといけない。
「せめて……クレアだけでも逃がさないと……」
僕は、幼馴染の顔を思い浮かべて言った。
「あら、好きな女の子でもいるの?」
「い、いえ、そういうのじゃ……!」
「照れなくてもいいじゃない。でも、それは問題だわ。オットームのことは、すぐに忘れてちょうだい」
「忘れるって……! そんなこと、できるはずがないでしょう!?」
「オットームに未練を残したら、後々で辛くなるわよ。あいつらはこれから、その多くが死に絶えるでしょうから」
「……!」
「何も心配することは無いのよ? 貴方のことは、私が守ってあげるもの」
ベルさんは、皆を見殺しにするつもりだ。
そして、そのことに迷いも、罪悪感も抱いていないらしい。
僕は直感した。この人を説得するのは不可能だ。
どれだけ論理的に説明しても、感情に訴えても、きっとこの人には響かない。
目の前で大勢の人が死んでも、それがダッデウドという民族の人間でなければ、何とも思わないのではないだろうか?
そこまで考えて、僕の身体は震えた。
「私が怖い? 冷たい女に見える? でもね、本当に怖いのは、私達を虐げるオットームの方じゃないかしら?」
そう言って笑みを浮かべるベルさんは……本当に綺麗だった。
確かに、ベルさんの言うことにも一理ある。
だが、皆に何も伝えないまま、僕だけが逃げ出すわけにはいかない。
特に、クレアを見捨てるわけにはいかなかった。
僕は、とりあえず情報を聞き出すことにした。
「この辺りの人々は、どうして死ぬんですか? 災害でも起こるんですか?」
「大量の魔物が押し寄せてくるのよ。オットームの魔法では対抗できないような、強力な魔物よ」
「魔物……? 貴方は、どうして、そんなことを知っているんですか?」
「ある民族から、魔物を召喚する、という話を聞いたからよ。オットームとは別の民族から、ね……」
「じゃあ、まさか……帝国領内の、少数民族が!?」
「虐げられているのは、ダッデウドだけではないもの。ダッデウドほどの力を持った民族は他に無いから、オットームに侵攻された時に、殺し尽くされることはなかったけど……力で服従させられて、さぞ不満と怒りが溜まっているでしょうね。そういった民族の1つで、グラートと呼ばれる民族が、強力な魔物を呼び出す魔法を開発したの。彼らが考えているのは、オットームの虐殺と、帝国の転覆よ」
「そんな……!」
ベルさんの話が本当なら、そんな事態に陥る前に止めなければならない。
しかし、それは僕1人では不可能だと思えた。
「私は急いでいるから、時間は何日もあげられないわ。この村を出るって、早めに決断してね」
僕の動揺や迷いを感じ取ったのだろう。そう言い残して、ベルさんは立ち去った。