小さき頃の夢
今でも忘れられない思い出。
私が初めて入院した日のこと。
ぱっちり目の小さな子どもだった。
入院してた頃の私はまだ幼く、言葉遣いも悪く、やんちゃばかりしていた。周りの看護師さんもかなり手を焼いていたそう。
その頃私たちの間で一番流行っていたものはお笑い芸人の「ふぉー!」という叫び声だった。クラスの友達とよく「ふぉー!ふぉー!」と叫んでは先生から「ふぉーふぉー禁止!」と厳しく叱られたものだ。
あの頃の私はほんとに素直だったなと思う。
好きなことを好きだと言い、嫌いなことは嫌いと言う。
簡単なことなのに、今ではそれはなかなかできない。
さて、私が入院したのは体が弱いせいか、何も食べられなくなったからだ。
両親が試行錯誤私に何かを食べさせようとしたけれど、すぐに吐いてしまう。
困ったという顔でその時私も泣いていた。本当にあの頃はやたらと両親に迷惑をかけていたなと振り返ってみて思う。
結局数週間入院することになり、点滴を打ってもらい、吐き気が完全になくなるまで様子を見ることになった。
こんな状態での入院生活は苦労しぱなしなもので。毎晩吐き気に苦しめられ、トイレに行くのも憂鬱になっていた。
けれどそんな中、学校の先生がお見舞いにきてくれたのはとても嬉しかった。
ふぉーふぉー言うのをいつも怒ってばかりの先生。
私は子どもながらも泣いてしまった。
体が弱ってる時はつい気も弱くなるものだ。
もともと涙脆いんだけれども。
「先生、ありがとう」
怒ったらあんなに怖かった先生もその時はとても優しく見えた。
純粋な子ども時代。思ったことはすぐに言える時代。
やっと吐き気も収まりつつ楽になってきた頃、隣のベッドにいる男の人のことが気になり始めていた。
ずっとスケッチブックに何か描いているお兄さん。
少し楽しそうな顔をしていたので、どんな絵を描いてるんだろうと思うのは当然だった。
「兄ちゃんは何を描いてますか」
小さかった私は率直に尋ねてみた。
お兄さんは書くのを止め、スケッチブックを私に見せてくれた。
「ふぉー!」
それは窓の外の景色だった。入院したのは五月ごろで、外には緑の葉っぱをたくさん付けた大きな樹が見えていたのだった。
お兄さんは私の変な叫び声に少し不思議そうにしながらも私の顔が笑顔なのを見て少し嬉しそうにしている。
「お絵描き好きなんですか」
「うん好きだよ」
「何で」
「少しずつ出来上がってくるのを見ると楽しいからだよ」
「私も好き!でも早くできないと退屈しちゃう」
「そうかもしれないね。時間は大事だもんね」
お兄さんはそうだ、と言って私の方を見た。あまりにもジロジロ見られ、私は少し照れる。
「君を描かせてもらっていいかな」
「私?」
その時はパジャマ姿で頭もボサボサだったので子どもだった私でも流石に恥ずかしいと思った。けれど男の人は、その格好じゃなくて元気になった私を描かせてほしいと言った。
「君が退院する時までに完成させるよ」
今の格好じゃないならと私もありがと!と言って楽しみにした。
母が服を毎回持ってきてくれ、その度にカーテンが閉められる以外は私たちはずっと話していた。
近所で流行ってる遊び、流行語(ふぉー!のことも話しました。お兄さんがどんな反応だったかはもう忘れた。多分笑ってくれたんじゃないかと思う)。
ふとお兄さんが将来の夢は何?と私に聞いてきた。
ここだけはすごく鮮明に覚えている。
私は大きな声で言った。
「先生になる!」
病室だから静かにね、と看護師さんに困り顔で言われ周りからもくすくす笑われた。前のおばあちゃんは「先生かい、いいねえ楽しみだねえ」と言われ、少し背伸びした感じになった。
そしてお兄さんも「先生は大変だよ?」と少し笑ってくれた。
「兄ちゃんの将来の夢は何ですか」
私はその単純な頭でふと疑問に思ったことを口に出してみた。お兄さんはそうだねえと言って考える仕草をした後、
「世界を旅したいな」
「世界ってどこ?」
「いろんな場所だよ。日本だけじゃなくて南極や高い場所、外国に行くんだ。それでいっぱい綺麗な景色を見て、そこで絵を描く」
「楽しそう!」
そうやって話している時、少しだけお兄さんの目が寂しく見えたことは今でも忘れずに覚えている。
それから二日後のことだった。
夜。すっかり吐き気も収まり、ぐっすりとまでは言えないが難なく眠れるようになった私が目を閉じてぐったりしていると、やけに隣が騒がしくしていた。
この音はお兄さんのベッドの方からだと気付き、どうしたんだろうとカーテンをめくる。
「大丈夫?」
純粋すぎたと今でも後悔している。あの頃の私を強く殴ってやりたいと思った。
「ひぃっ!」
明かりに照らされたベッドの白いシーツの上は大量の血で真っ赤になっていた。気絶しそうになったほどに。
看護師さんに「みちゃだめ!カーテン閉めなさい!」と小さく言われ、怖くてすぐに自分のベッドに潜り込んだ。カーテンは看護師さんにピシャリと閉められた。
翌朝、いつも午前九時には開けてくれるカーテンがお兄さんのベッドの方だけ開けられなかった。そしてお昼になってようやく開かれたベッドの上にはお兄さんはいなかった。
部屋に見舞いに来てくれた母に震えながら尋ねる。
「兄ちゃん、どうしたんやろ」
「そうねぇ、どうしたんやろね...」
私が本気で心配するのをよそに母は私の体調が回復して少し嬉しそうにしていた。
そして退院の日。
母が今までの荷物を大きなリュックに詰めて病室から出る準備をしてくれた。私はしばらく安静にしないといけず、学校に通うまではもう少しかかるそうだと言われ、しょんぼりする。
看護師さんに私によく頑張ったね、と頭を撫でられている時も少し不機嫌になっていたのを思い出す。
そして咄嗟に私は看護師さんに
「隣の兄ちゃんどうしたんですか」
と尋ねてしまったのも腹が立っていたからなのだろうか。とにかく私はお兄さんと話がしたかった。絵の話もたくさんしたかったし、退院したら一緒に世界中を旅したいとも思っていた(この頃世界の大きさをよく知らず、隣町程度の所かと思っていた)。
看護師さんは少し悲しそうな顔で私に言った。
「隣の寺沢さんは昨日の夕方亡くなったの」
「なくなるって?」
「死んでしまったって意味よ」
後で分かったが、お兄さんは白血病という病気だったらしい。血液のがんと呼ばれていて、お兄さんの場合は発見された時には既にかなり進行していたそう。
この頃私は小学一年生。死んでしまうの意味がだんだんわかりつつある年齢になっていた。
私の祖父は早死にで、全く動かなくなった祖父を見て泣き出してしまったのを覚えている。
そしてお兄さんも祖父と同じように動かなくなってしまった。
途端に目の前が真っ白になる。そして子どもながらに罪悪感が芽生えた。私が彼に毎日話しかけて(迷惑もかけて)、絵も描かせたことで、そのせいで死んでしまったのではないかと。
「...ごめんなさい」
「え、なんで弥尋ちゃんが謝るの?」
「ごめんなさいいぃぃ!!うわあぁぁぁ!!」
私は大声で泣いた。取り返しのつかない事をしてしまったと思ったからだ。
帰り際もずっと泣き続けていたので通路で出会う方から何度も心配された。
母も何のことかさっぱりわからず、大丈夫よと私をあやしてくれたが、周りの目を気にせず泣く私にとっては意味もないことだった。
「あなたが弥尋ちゃん?」
そう言って私のそばに来た二人は、男性と女性の老夫婦のようで、両方とも知らない人だった。私は何度も何度も溢れる涙を拭って、その人たちを見る。ぼんやりと二人の顔が見えるようになると、女の人が私に言った。
「私は樹の母親なの。ごめんなさい、辛い思いをさせちゃって」
樹がお兄さんのことだと分かると、私はこの人から非難されると思い、恐怖を覚えた。
「ごべんなざいぃぃ!!」
必死に謝った。取り返しがつかないことだと分かっていても、これしか子供の私にはできないと分かっていた。
母は「弥尋!何かしたの!?」と咎めたがお兄さんのお母さんは「いえいえ違うのよ」と言い、制した。
「弥尋ちゃん、あなたには感謝しているの」
え?ふと私はお母さんを見た。お母さんは微笑みながら私に言った。
「樹が楽しかったと言っていたの。辛い入院生活でも、弥尋ちゃんのおかげで毎日楽しかったんですって。私も樹の笑顔が見れてとても嬉しかったの」
お母さんは私の頭を撫でた。
「ありがとね」
お父さんらしき方も「ありがとう」と下を向いて言った。ありがとうの言葉で私の中から罪悪感が抜け、寂しさだけが残る。もうお兄さんは動かない。世界中を旅していけない。
そしてあのスケッチブックも。
「そうそう、樹からこれを弥尋ちゃんにって」
お母さんは手提げのバッグからお兄さんが病室で描いていたあのスケッチブックを取り出し、それを私に渡した。
「それじゃあね」
二人は私の母に頭を下げ、歩いて行った。
二人が見えなくなって、私はスケッチブックを開いた。たくさんの景色。物や人。いろいろなものが描かれていて、
そして最後のページに
「あっ」
白いワンピースを着た女の子が笑っている絵があった。横に「ありがとう」の文字。間違いない、私だ。
うずくまって動けなくなる。今までにない感覚だった。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった手でスケッチブックが汚れないよう、母が代わりに持ってくれる。私はその場からなかなか離れられずにいた。
涙脆い性格は今も昔もあまり変わらないようで、今こうして書いているのも少し恥ずかしい。
世界中を旅してたくさんの景色が見たいという夢は今では私が受け継いでいる。
絵はあまり得意じゃないけど、写真が好きな私は、画材の代わりにカメラを持って行くのだ。
昔と違って今の暮らしが不自由なのは仕方ないけど、夢を見るのは楽しくもあり、生きる糧を与えてくれるもので、私を強くしてくれる。
私は彼の代わりに生きねばならない。そう誓ったのだった。