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祖母の臨終

とうとう、その日がやってきました。

 やあ。(´・ω・`)

前のほうに書いた祖母が、とうとう亡くなってしまったんだ。(´;ω;`)

悲しいけれども立場上やらなきゃならないこともいくつかあったりしたんだ。


今回はそんなこんなを書いていこうかと思ってる。

おっさんの文章だから相も変わらず駄文だけれど、暇つぶしに付き合ってくれるとありがたい。


このエッセイの二話目を投稿したのが今年の2月。

で、おっさんは都合2回ほどお見舞いに行ったんだ。



1回目のお見舞いでは寝ていたけど、声をかけたら即座に「あぁ、○○ちゃんかい」とはっきりしていた。


そこで、おっさんは思うところがあって簡易版の写経を始めたんだ。

写経をするということはなにも亡くなった人の供養をするためだけではなくて、

生きている我々の家内安全・学業成就・商売繁盛・決意表明などなど、折に触れて写経していいそうなんだ。

おっさんは祖母に残された最期の時間を穏やかに過ごして、眠るように召されてほしいと思って写経を始めたんだ。


2回目のお見舞いは違う病院に移ってからだった。呆けも進行してしまっていて、うちの父親とか叔母さんが見舞いに行っても、

「子供たちが待ってるんだから、早く帰ってごはん作ってあげなさい」

という反応だったんだって。

おばあちゃん…あなたの孫は42の私を筆頭に一番下がもう大学1年生ですよ(笑)


 そんな状態の時だったけど、そんな状態でも顔を見て少しでも話しておかないと絶対に後悔すると思っていたから、父親と一緒にお見舞いに行ってきたんだ。

 「ああ、△△(父の名前)かい、今日はどうした?子供がうちにいるんじゃないのかい?」

 「おばちゃん、だから今日は連れてきたよ。ほら、○○(俺の名前)」

 「おばあちゃん、しばらくです」

さっきまで弱弱しかったのに、カッと目を見開いてこっちを見ている。

この表情はなんだ?警戒しているわけでもないし、知らない人を見る目でもない。

どうにも、コレジャナイって顔をしているようにしか見えない。

だよね。おばあちゃんがこのセリフを言っていたのは俺が小学生ぐらいの時の話だもんね。

かわいい小学生の孫を連れてきたと言われて喜んで目を開けてみたらムサくてうすらでかいおっさんが立ってるんだものね。びっくりするよね。


けど、父親と生き写しの顔から記憶の島がつながったようで、

「お前は本当に…いろいろ気を付けるんだよ」


自分が自分と認識して…もらえたのかな?



それから1か月以上見舞いに行くことはなかった。

そんな時、事態が動いた。


6月17日(水)

 長年看護師をやってる母から祖母の病状のメールが入る。

 「嘔吐。呼吸停止。一時血流も停止。だけど復活して酸素吸ってる。意識はないけどいますぐってことはない。」

俺、とりあえず安堵。



6月18日(木)

 母親より、酸素減量して呼吸が楽そうになった。相変わらず意識なしとのメールが入る。

俺、ひとまず安心。



6月19日(金)

 祖母に関するお知らせは特になし。

俺、誕生日だったのでFBで友達から祝福メッセージが届き、光の速さで返信してた。



6月20日(土)夜

 祖母がなんだか気になったので実家の母に電話。いったん呼吸停止して意識不明になってしまった患者の予後というのは悪いという話を聞いた。見舞いに行ったとしても俺だと認識した反応は返してくれないだろう、だけど生きている顔をもう一回見ておきたいね、明日行くね。なんて話をして電話を切る。


俺、まだ会社の事務所で仕事をしていたので、翌日お見舞いに行くために日曜日に持ち越そうと思っていた仕事を片付けることにした。



6月20日(土)深夜

 プライベートの携帯がいきなり鳴ってびっくり。

 母親からだったので、ある程度覚悟をして出る。


10分ほど前に医師による死亡確認があったとのこと。


本当にもう少しで仕事が終わるところだったから、仕事を片付けてから作業服のままで高速を走り出した。

亡くなってから1時間ほどで病院を出て自宅に戻り、集まった子供一同、集まれた孫はいったん解散になった。

おっさんはまだ高速道路だったので、実家に泊めてくれるようにお願いした。



 次の朝、自分実家から歩いて5分の場所にある本宅屋敷に出向いて祖母と対面。

心に念じたことは

「最期の教育、よく見せてもらいます。あと、施主は叔父さんだけど跡取りの従弟はまだ25と若いから、彼が侮られないように影から補佐して恥をかかせないようにします。見ていてください」

「あと、おばあちゃん。いままでお疲れ様でした。おばあちゃんが常々口を酸っぱくして言ってきた『きちんとした大人になりなさい』というのができているかどうか、見ていてください」


 朝のうちは子供。孫。近くの親戚。昔、祖母にとってもお世話になった人たちが来てくれた。

施主の叔父さんと自分の父は葬儀社と打ち合わせの真っ最中なので、親戚がたの対応…といっても故人を偲ぶ昔話がメインだった。


 跡取り従弟(25)は落ち着いたものだった。ように見えたが、「孫一同」の花と供物の手配に気が付くまでは落ち着いていなかったようだ。打ち合わせの途中でちょっと呼び止めて

「手配しておいたほうがいいと思うぞ。言い出したのは俺だけど、お前が跡取りなんだからお前が決めて仕切ったというかたちにすればみんな納得するはずだよ。もしなんか文句言ってくるやつがいたら俺の名前を出せよ」

と、簡単なアドバイスをしてあげた。

従弟(23)はずいぶん緊張していた。従妹(21)は身近な人の死に触れて受けたショックでまだ落ち着かないようだ。

 なので、他人のお客さんが切れたときに

「このメンツなんだからそんなに緊張することねえぞ、疲れちまうだろ?だいたい俺はいとこでおまえと同格なんだから気なんか遣うなよ」

と言ってあげたけど、いかんせん年齢差がありすぎるからどう受け取ったか。


そんなことがあった翌日が通夜で、通夜の翌日に告別式ということが決まったので、身近な親族もいったん解散していろいろ準備が始まった。



通夜・葬儀の話もながくなりそうなので続きます。

教育熱心だった祖母の最期の教育はまだ続きます。

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