日常
ショート・ショート・プロローグ
「眠い…」
と呟いた。
ここは国立十六夜高校二年三組の昼下がりの教室。天気は晴れ、昼食も食べてちょうど眠くなる時間。加えて窓際後方というベストポジション。
冬の冷たい空気などこの最新鋭の建物に関係があるはずもなく、室温は常に快適に保たれている。
つまりは、眠らないほうがどうかしてる。
*************
夜の街だった。夜の帳が降りてきて、この最新鋭の街をすっぽりと覆って、眠らない街に手を焼いていた。
僕はその街の中を走り回っている。
否、逃げている。
僕を追いかけているヤツは怪物みたいにも、人間のようにも思える。というよりは人間と怪物がだぶったみたいだった。
この時点でのうのうと感想を述べられるやつがいるとしたらそいつはこう言うだろう。
「ああ、鬼は本当にいたんだな」
もちろん僕は恐怖に打ち勝つ特訓もしてなければ、日々鋼の肉体を作るべく鍛錬していたわけでもない。
だから逃げる。
当時は受験生で運動なんて全然していなかったから、息がすぐにきれた。死ぬほど苦しかった。
でも足を止めなかったのは、僕は本能的に分かっていたからだ。
追いつかれたら殺されると。
まぁ残念ながら追いつかれたのだけど。
そこから夢は不鮮明になっていく。ほら、あるじゃないか。砂嵐で映像がとぶ演出。あれが起こる。
最初のシーンは追いつかれるところ。
次のシーンは振り下ろされた刃物を左手で受け止めるところ。
次のシーンは血まみれでうずくまっている僕の前に影が躍り出るところ。
ここまでは連続している。だけれどその次のシーンは僕が二人の人間の死体を見下ろしているシーンで…
「…ん…」
そして僕は…
「みかげ!」
1 日常
むくりと体を起こした。
みんなの視線が僕に集中している。
気持ちがよかったかどうかはさておいて、僕の眠りを邪魔したのは恐らく隣の席のやつだろう。
鈴原。鈴原夏七。すずはらなつね。
顔は整っているくせに男勝りな性格のせいか浮ついた噂は一切ない。男に関して言えば、だが。
そう、彼女は生粋のレズビアンである。「お姉さま」として一年生女子の人気をかっさらい、無垢な少女たちを食い散らかしているともっぱらの評判だ。
今のターゲットはうちの担任教師なんだとか。
まったくもって世も末である。
「おい!いつまで寝てんだよ!俺の愛しの真依ちゃんを困らせるな!」
と小さな声で怒鳴ってくる。器用な奴だ。
「あのー…授業進めてもいいですか…?」
と泣きそうな声で僕たちに向かって声を発してきたのが担任教師麻乃真依である。
スタイル抜群で、そのからだに反した微妙に幼い顔つきが男子の注目を集めているポイントだとか。
夏七を惹きつけてやまないのもそれが理由だ。教師なので当然ガードは固く、それが彼女の中にあるレズビアン魂を燃え上がらせるとか燃え上がらせないとか。
なんにしろ碌な話ではない。
返事をするのも億劫なので、手を振った。それで向こうには伝わったらしく、肩を少し落としながら電子ボードのほうに向きなおった。(昔は黒板というもので授業をしていたらしい)
この程度の内容ならば頭を働かせなくてもぶっつけ本番で解けるため、俺はぼーっとしながら先生を観察した。
身長は172cmほど、顔つきは端正なのだが愛嬌があり、その流れるような黒髪は肩辺りまで伸びている。(夏七曰く「くんかくんかしてぇぇぇぇ!」)
そのくせ化粧っけは全然なく、典型的な仕事人間ではあるらしい。気は弱い風に装っているが実際どうなのかは不明。
そこまで彼女の事を知らないからだ。
廊下では女子たちに絡まれているところを度々みるので、生徒受けもいいようだ。
まぁそんなところか…と思い、今度は周りから気づかれない熟練のテクを使って眠りに落ちた。
************
「起立」
授業が終わった。あれから三十分後の出来事である。今度は夢も見らず、心地よい眠りだった。
今日の残りの授業はロングホームルーム。
「サボるか…」
と呟いて鞄に手をかけると、
「まさかまた帰るつもりかよ?」
とむっとした声が隣から聞こえてきた。夏七である。
「そういうことになるかなー…」
とか言ってのらりくらりとかわそうとするのだが、
「俺の愛しの真依ちゃんを困らせてそんなに楽しいか?」
とのたまいやがった。
今こいつ俺のっていったよな?
「いつ先生がお前の所有物になったんだよ…」
「俺の心の中ではいつだって一緒にいるんだもの」
頭が痛くなってきたぞおい…
「すまん、原因不明の頭痛がたった今しだしたんだ。帰らせてくれないか?俺とおまえの仲じゃないか…」
と言いつつ彼女の手をとって上目遣いで要求する。
しばらくぽかんとしていた夏七だが、徐々に顔を赤らめていくと
「う、うわぁぁぁぁぁぁん!」
と叫びながら教室を出て行ってしまった。
何回同じことをやって同じ反応をするのでこの手は非常に重宝している。
さて、邪魔者もいなくなったところで…
「帰れると思ったのかー?みかげっち」
…さらに面倒な奴に捕まってしまうとは…
「へいへい!いまから真依っちの誕生日パーティーの計画を練るんだぜ?まさか帰ったりしねぇよな?」
…今日も峰恭介のウザさは冴えていた。
まぁもちろん帰らせてもらうのだが。
「そうか…頑張れよ。それじゃ」
「いやいやいやいや!何帰ろうとしてんの?」
「あ、先生と一也が親しげに話してる」
武というのは同じくクラスメイトの木村一也のことで、委員長かつ完璧人間である。
「あいつぅぅぅぅ!抜け駆けかぁぁぁぁぁぁ!」
走り去ったな。よし。再び排除完了。
時計を見ると後五分で次の授業が始まる。目立たないうちにそっと俺は学校を抜け出した。
************
十六夜高校は国内で七個あるうちの国立高校の一つだ。
国立学校の中で順位を数えるなら上から三番目ぐらい。
つまりそこそこ頭がいい高校というわけだ。
高校の絶対数が少ないようにも思えるが、これは国の規模が原因である。
ノルン自治国に住む人の数は二千万人。
というのもノルン自治国は『計画都市』として洋上に設置された新興国のようなもので、国として成り立ってから二十年ほどが経つ。
そして何が『計画』なのかというと、ズバリ人生である。
そしてその人生の計画を作り出すもの、それが超高性能量子コンピュータ『ノルン』である。
ノルンは人格を有している。つまりは超高性能AIであり、人生調節ソフトとでもいうべき『ユグド・システム』を運用している。
『ユグド・システム』とは国民が産まれたときにつけられる腕輪型端末『ドラウプニル』を通じて国民の個人情報を詳細に把握し、人生プランを随時提供していく、という代物だ。
まぁつまりは人生の岐路で間違った選択をしないよう導いてくれるプログラム、といったところか。
ちょっと穿つのなら社会主義の中に資本主義をつくるというか…
平等の範囲内の自由というか…こればっかりはノルンのさじ加減次第なのでなんともいえないのだが。
しかしながらどうしても貧富というのは生じてしまう。
そこで、身分に応じた個人の感情を満たすため『マキナ・システム』というものが導入された。
それは神の具現化ともいえる代物で、人々は実際に神の恩恵を受け、生活している。
とはいってもそれぞれの神は高性能AIなだけであり、オカルトじみたものではない。
それを必死になって信じるといのはオカルティズム以外のなにものでもないのだが。
しかしこんな都市伝説がある。
偽物を作れば本物が気を悪くすることは必然。
この閉鎖的な洋上都市は神の怒りを買ってしまい、夜になれば悪魔が跋扈する都市になってしまう…という。
それによって起こる不具合は秘密警察的なものが処理しているというのはわりかし有名な話だ。
国民には知らされない国の暗部。
実際にこの都市では殺人が多い。
交通事故なんてものは自動車の自律運転が最初から導入されていたこの国には関係のない単語だし、よっぽど運が悪くなければ病気で死ぬこともない。
それだけに、殺人は目立つ。
だけど覚えておかなければならないのは、物事は裏表でワンセットだということだ。
つまり、日常の裏では非日常が繰り広げられている。
************
ガチャリと、家の鍵を開けた。
一人暮らしなので、当然家には誰もいない。
時刻は午後四時。
鞄をそこらに置き、風呂をためる。
キッチンの方へと進んでいき、カプセルや錠剤を五粒ほど揃えると、それを飲み干していく。
これが最近の食事だ。
昔は食のコンパクト化に対する批判も数多くあったが、さすがに今ではそんなこともない。
「味気のない食事は人間を殺す!」
とか言ってある研究所で研究者相手に殺人を犯した道化は誰だったか…
十年ほど前の話である。
なんて考えていると既に十分が経っていた。
浴室へ行き、そこで制服を脱いでいく。
脱ぎ終わったら浴室のスライドドアを開け、中に入った。
かけ湯をした後、湯船につかる。
そしてそのまま目を閉じた。
寝てしまったとしても『腕輪』(ドラウプニルのこと)を付けている限り死ぬことはないだろう。
というか痛覚サインやらを使って死なせてくれないはずだ。
「ふぅ…」
やはりお風呂は最高だ…
彼が浴室から出てきたのは午後六時のことであった。
そのままベッドを向かうとどさりとベッドに倒れこみ、潜り込むと布団のひんやりとした感触に人前では滅多に緩めない頬を緩めるとまた眠りに落ちていった。
************
午前0時。
彼、もとい彼女はむくりと体を起こした。
「ふわぁ…面倒だけど今日も行きますかねー…」
彼の短かった髪は一瞬で肩を過ぎるぐらいまで伸び、もともと中性的な顔立ちの彼は外見的にも女のようになっていた。
そして、裸足にパジャマという何とも季節外れというか常識外れの格好で家を出る。
「寒いなー…風邪引かれると面倒だなー…いや、待てよ?風邪を引けば君は学校とやらに行かず一日中家の中で寝るんじゃあないかなぁ…」
まぁ、迷惑をかけるのは本懐じゃないんだけど。と言うと彼女は手を振るい、
「来なさい、ラウル」
と言った。
するとどこからともなく黒いカラスのような鳥が飛んできて、彼女の肩で羽を休める。
「何でしょうか、お嬢様」
「寒い」
「かしこまりました」
少ししゃがれたような声でカラスは喋った。喋っただけではなく、羽をバサリと一度羽ばたかせると、その場の気温が上がりだす。
ちょうどいい気温になったあたりで気温は上昇をやめた。
「あと面倒だから獲物を探してきてよ。ここで待ってるからさー」
「かしこまりました」
カラスはそのまま飛び立った。適当に近くの路地裏に入って待機する。
ここは本当に治安がいい街だ。まあ心まで機械にケアされている人間しか住んでいない街なのだから当たり前なのだが。
この都市は円の形をしている。中央のほうには国として機能するために重要な施設が立ち並んでいる。議事堂とか、病院とか。
そして円の外側がいわゆる居住区になっている。そしてそのさらに外側が開発区、というところだ。
さらにはなんとこの都市、土地が増えていくのである。
都市の中心の地下にはどーんと大きい柱が建っていて、海底まで続くそれを囲うようにしてメガフロートと呼ばれる土地をつけていく。
詳しい仕組みは知らないが、とにかく土地がふえていくということは確かである。
その上にできた街というのがノルンである。街は中心に行くほど明るくなっていき、外側へ向かっていくほど暗くなっていく。
みかげの部屋は居住区の中でも比較的に開発区に近いところにあり、彼女は部屋から街の外側へ歩いて行ったということだ。
その目的というのが…
「お嬢様、見つけました」
なんてことを考えているとラウルが戻ってきた。心なしか先ほどとは違う鳥のようにも見える。
なにが変わったかと言われると何とも言えないのだが。
「案内頼んだわー」
「こちらです」
ラウルは開発区のほうへゆっくり飛んでいく。
彼女はそれに顔をしかめると
「ちょっとー!面倒くさいのはいやだよ?」
と言った。するとラウルは
「お嬢様なら小指一本で勝てますよ。名無しですし」
と返した。
彼女はどうだか、と思って鼻を鳴らしたが、おとなしくそのあとについていった。
十分ぐらい歩いただろうか。あたりには何に使うのか、コンテナがたくさん見受けられるようになった。
コンテナで作られた迷路、とでもいうのだろうか。
すると、ラウルが肩に戻ってきた。
獣くさくはないが、かすかに硫黄のような匂いがしないこともない。
「あそこでございます、お嬢様」
「ご苦労様。後は自分でやるからいいわー」
「それでは、お楽しみください」
「楽しむ、ねぇ…」
そういうと彼女はコンテナに囲まれた広場のようなところに足を踏み入れた。
そこには、男がいた。
正確には、男のようなものがいた。男は何かにまたがり、その手に持っているナイフで何度もそれを突き刺していた。
恐らくそこらの家で飼われていた大型犬か何かだろう。
もしくはそこらへんでさらってきた子供か…
しかしこの男が人をこの都市でさらうにはちょいと経験が足りなさそうだった。
「こういうやつってあんまり好きじゃないんだけど…」
といって彼女はどこからともなく日本刀を取り出した。正確には日本刀のようなもの、だが。
刀身は固まった血のように赤黒く、形もなにやら禍々しい。
銘は「餓々丸」(前の持ち主つけた名前)という。
そして、彼女は顔ににたりと嗜虐的な笑顔を男に向ける。
男はついに彼女に気づくことなく、彼女の持っている刀のようなものに切り裂かれて絶命した。
彼女は男の死体の前に立って宙をつかむ動作をした。。
そして、まるで食事をするみたいにして口を動かし、何かを咀嚼し、飲み込んでいく。
その行為もすぐに終わり、彼女は刀をどこかへとなおした。
そして眠たそうにあくびを一つすると、行きよりもゆっくりとした速度で家に戻っていく。
家に帰りつき、彼女は布団に入ってから意識を手放し、彼に体を返した。
伸びていた髪が元の長さに戻る。
次に借りるのは一ヶ月後か、もしくは…