一人でに歩きだす答え。
前アカウントからの移行作品です。
ある晴れた日の朝。ある一人の男が頭を抱えていた。
「どうすればいいんだろうか…」
その男の名前は原田等。心理学を専門にしていて研究所に勤めている、と言えば聞こえは良いが実際は特に何の業績も残しておらず、研究仲間からの評価はあまり芳しくない。
「あんなこと言わなければ良かったんだ…。あんなこと…」
等は自分の研究室の中をぐるぐると回っている。今まで整理をさぼっていたせいで床には色々な本が散乱しており、時たま踏んでしまったりしているが全く気付かない。テレビも付けっ放しにしてあり、国会議員の一人が手前勝手な法案を通そうとして国民から大ブーイングを受けている姿が流れていた。そんな中等はただずっと口の中で何かを呟いている。
なぜ等がこんな状態になっているか。それには昨日あった会議の内容を知る必要がある。
――――――――――――
「この研究所も今年で五十周年です」
生やしっぱなしにしている髭を弄りながら所長、川辺哲夫が言う。この所長は喋り方がのんびりしていて聞いていると眠くなる。特に今のような会議中では効果絶大だ。
(五十周年か…そんなになるんだなここ。やけに建物が古い訳だ。)
等は欠伸をこらえながら所長の話を聞いていた。今日の会議の議題は「この研究所のこれからについて」。まるで論文の題名のような単純な議題だ。どうせだったらもっと複雑な題名にすれば良かったんじゃないだろうかと思ってしまう。例えば「我が研究所を客観的かつ様々な視点から見つめ直し、自由かつ論理的に話しあう」とか。……って駄目だ、長すぎるしそもそも複雑じゃない。
しかし退屈な会議だ。結局言いたいことは「お前らもっと大きなことやってこの研究所の業績を上げろ」というだけなのに三十分以上さっきから喋っている。研究員の中にはもう眠ってしまっている奴もいるくらいだ。何の生産性も無い。どこの会議もこんな物らしいが、これじゃただの迷惑だ。今日の会議は短いはずなのにまだ終わらないのだろうか。
「――では原田くん。君はどう思いますか?」
そんなことを考えているといきなり指名された。果たして周りを見てみると皆等を見ている。ヤバイ、全く聞いてなかった。
「え、ええとですね…」
等は立ち上がりながら近くの研究員にアイコンタクトを送る。会議の内容がわからない時はこうやって切り抜けるしかない…のだが残念なことに近くの研究員は大体が机に突っ伏していた。これは酷い。どうやら自分自身で考えるしかないようだ。
「とりあえず設備の質を向上すれば良いかと…」
とりあえず議題に沿ったことを言っておく。こういう場合は大体当たらない。ある意味分からないと言っているのと同じだ。
「面白い答えですねー」
え、当たったのか?
「別に当たってる訳ではありませんよ。犯罪率について話しているのに、深読みの上手な原田くんが全く関係ないことを答えたのが面白いだけです」
やはり間違っていたようだ。寝ていたはずの研究員達がクスクスと笑う声が聞こえる。等は少し顔が熱くなるのを感じながら席に座る。
「さて、原田くんの面白い返答は今に始まったことではないので置いておくことにしましょう。で、本題に戻りますが果たして犯罪率をゼロにすることは可能でしょうかね。どう思いますか寺田さん」
「私は不可能だと思います。人間が犯罪を犯してしまうことは、自然なことだからです」
寺田と呼ばれた研究員が立ち上がって言う。こいつは確か何でも面倒くさいっていう奴だ。前に所長から政策関連についての意見を聞かれた時に、「そんな面倒なこと知ってて何か意味あるんですか?」と言い放っていて驚いたのでよく覚えている。
「確かにそうかもしれませんね。人間にはやってはいけないことほどやりたいと思ってしまうという心理的欲求がありますから。では逆に、無くせるという人はいませんか?」
誰の手も挙がらない。それはそうだ。挙げたら理由を聞かれる。そんな面倒なことをやりたい奴がいるはずもない。
「うーん、いないのですか。これでは日本には半永久的に犯罪が存在しなければならない事になってしまいますね…。」
そうだ、それでいい。というかそもそもそんなことになったらこの研究所だって仕事が無くなってしまうのだ。そう考えると犯罪は無いほうが良いようである方がいいという矛盾した存在なのかもしれない。
「では、先ほど面白い深読みをしてくれた原田くん。これに反論をしてみて下さい」
――は?俺が?
なんでここでお鉢が回って来るんだ…そう思いながらも脊髄反射で立ち上がる。しかし立ち上がったは良いものも特に何も思いつかない。記憶の中でそれらしき物を探してもみるが見つからない。そうやって立ち尽くしていると研究員の中から声が上がる。
「所長。会議終了の時間を過ぎたようですが」
時計を見ると確かに過ぎている。元々会議の時間が短めに設定されていたのが不幸中の幸いだった。等は内心ほっとする。
「何と、これは残念ですね。続きは三日後の会議にする事にしましょう。ではこれで解散です」
解散と聞いて研究員が帰る準備を始める。俺も早く帰ろう。今日の会議は疲れたし、家で早く休みたい。 そう思って手早く帰る準備をしていると所長から声をかけられる。
「原田くん。さっきの話ですがあれを君の次の会議までの宿題としたいと思います」
「え、あれってつまり反論を考えてこいということですか?」
「はい、そういうことです」
何ということだ。思いつかないのにどうやって三日で考えろというんだ。俺の頭の中でばっくれるという選択肢が浮かぶ。選択しようとしたところを所長の声に遮られた。
「ちなみに最近予算が少なくて、少し人を減らそうと思ってましてね。そこのところよく考えて下さいね」 そう言って所長は白衣を翻しながら去っていった。何ということだ。これは事実上のクビ宣言ではないか。
――――――――――――
さて、回想も終わり、狭い研究室を何周か回った等はある事を思いついた。
「これなら良いだろうか…」
等が思いついたことというのは少し前に本で読んだことの応用だ。実際にできるかは分からないがひとまずの解答にはなるだろう。
「確かあいつがこういう事に詳しかったはずだ…聞いてみるか」
何しろ自分のクビがかかっているのだ。聞ける奴には聞くしかない。そう思い等は簡単に身支度を整えると「あいつ」の家に行く事にした。
…出かける前にやっと床の惨状に気付いて片付けた、なんてことはない。
「よう、久しぶりだな。」
「ん、まあな」
あいつ、もとい笠井貴に聞きたいことがあると連絡すると二つ返事で承諾してくれた。いつもは不在の事が多いのだが、今日はたまたま予定がなかったらしい。運が良かった。
「で、聞きたいことってのは何なんだよ、相棒」
「久しぶりに聞いたぜそのあだ名。まだそう呼ぶ気かよ」
「ふっ、これはもうあだ名じゃなくて俺にとってはお前の本名だからな」
「いや普通に名前覚えろよ」
こいつとは中学からの付き合いになる。十年来の仲という奴だ。社会人になった今でもこうやって時たま会ったりしている。
「で、結局何の用なんだ、相棒?」
「ああそれなんだが…」
俺はこれまでの経緯を話す。
「あれ、相棒ついにリストラが迫って来てるのか?」「茶化すなよ…結構重要な問題なんだ」
「ごめんごめん。で、それと俺とに何か関係があるのか?」
「ああ。確かお前催眠術とかそういうのが詳しかったよな?」
「え、ああ、まあお前よりは知ってる自信はあるぜ?」
「で、その知識から答えて欲しいんだが…テレビで人に催眠術をかけるのって可能なのか?」
俺は少し力を入れて聞く。ここが重要な部分だ。これがもし無理だと俺はまた考え直さないといけなくなってしまう。
しかし、そんな俺の杞憂はたった一言で雲散霧消した。
「可能か不可能かと言えば可能なはずだぜ」
「本当か!?」
「ああ、相棒なら聞いたことがあると思うがサブリミナル効果っていうのを応用すれば出来るはずだ」
言われてみて思い出す。そういえばそんな話をどこかで聞いたことがある。
「成る程な…。じゃあ犯罪をするなっていう催眠をやることも出来るか?」
「うーん、分からないが出来るんじゃないか? 試しに映像を作ってみるか」
「ありがとな。そう言ってくれると心強い」
「へへっ。大事な相棒の危機だぜ?これぐらい楽勝だ。…でも相棒、こういうのってどちらかというと相棒の方が詳しいんじゃないのか?」
「そのはずなんだが…どうもそっちの方はよくわからなくてな」
「ふーん。ま、とりあえず映像を一応作っとくぜ」
「本当に色々ありがとな」 俺はその後笠井と少し話をして帰った。これで俺のクビが無くなってくれると良いんだが…祈るしかないな。
三日後、俺は一応原稿やパワーポイントを用意して会議に向かった。何となく使う気がしたのだ。備えあれば憂い無し、自分のクビを守るためには準備は怠らない方がいい。
会議室に入るといつもなら使わないはずのプロジェクターが動いていた。どうやら俺の予想は当たったらしい。運が良いこともあるものだ。
その後、完璧に用意していた俺な驚きを隠せない様子の所長を尻目に俺はプレゼン、もとい前回の会議の続きを終えた。予想以上に反響は良く、まばらではあるが拍手ももらった。力を入れた甲斐があったというものだ。
そうしてそのままなし崩し的に会議は終わった。研究員がいつも通り帰っていくなかで俺は所長に呼ばれた。
「君があそこまで用意してくるとは正直思っていませんでした。君もやる時はやるんですね」
「いや、まあ、それほどでも…」
褒めているのか貶しているのかよくわからない所長の評価に等は曖昧な苦笑いを返す。
「しかし、これで私も依頼を達成することが出来ました。いやはや、本当に良かった!」
どうやら喜びを隠せないらしい。顔が笑みで一杯になっている。そんな中、俺は所長の言葉に少し引っ掛かりを覚えた。
「依頼って何のことですか?」
「ああ、君に言うのを忘れてましたね」
所長は笑顔を崩さずにこう言った。
「実は君への宿題は国からこの研究所への正式な依頼だったんですよ」
…は?
「ふふふ。これで国からのこの研究所の評価が上がりました。本当に君のおかげですよ。もちろん君のクビは撤回です。では、これからも研究に励んでくださいね?」
そういって所長はいつも通り白衣を翻しながら帰って行った。
…つまりはどういう事だったのか俺にはよくわからないが、まあとりあえずクビが無くなったし良かったという事にしよう。俺はそうやって自分を納得させて、慣れないプレゼンで疲れた体を引きずって会議室を後にした。
――――――――――――
このプレゼンから半年程経った頃、等は笠井から遊びにこないかと呼ばれて笠井の家に向かっていた。四ヶ月前ぐらいにテレビが壊れてしまい、買い換えるのが億劫なためにパソコンと退屈な生活を過ごしていた等にとって、この誘いは退屈しのぎにちょうどいいものだったのだ。
電車の中で雑誌の広告を見ながら、等は最近感じている違和感について考え始めた。
(最近何だか世の中の様子がおかしい気がする)
例えば明らかにおかしい法案が何故か大絶賛されて通っていた。あれは明らかに国に有利すぎて国民には損しかないと誰が見てもわかるものだ。だから途中までずっと批判されていたはずなのに…何故だろうか。 もっと身近なところでもおかしい部分がある。最近研究仲間がやけに政策に興味を持ちはじめているのだ。良いことなんだろうが凄い違和感を感じてしまう。特に寺田が「あの議員は有能で〜」などと議員の番付をしていたのには本当に驚いた。政策に全く興味が無いと言っていた寺田はどこに行ってしまったのか。
それ以外の様々な違和感について考えようとしたが、いつの間にかもう笠井の家のある駅に着いていた。しょうがない。後はあいつの家で考えよう。
笠井の家に着くと、笠井に玄関でいきなりよくわからない質問、いや意図がわからない質問をされた。
「なあ相棒。最近いきなり政策に興味を持ちはじめたりしてないよな?」
俺は相当驚いた。ちょうどしようとしていた質問をいきなりされたのだ。一瞬テレパシーなんていう冗談が思いついたが、笠井の深刻そうな顔を見ると、どうやらただ事では無いようだ。
「俺もちょうど同じ質問をしようとしてたんだ。とりあえず中で話さないか?」 そういうと、笠井はあからさまにほっとした顔をして俺を部屋に迎え入れた。
「前、相棒にサブリミナル効果のビデオを作っただろ?」
「ああ、あの時は世話になったな」
「相棒の役に立てて嬉しいよ。で、俺あの後、何となくサブリミナル効果に興味が湧いてさ、調べてみたんだ」
そう言いながら笠井は俺の方にパソコンのモニターを向けた。そこには有名なネット百科事典の「サブリミナル効果」の項目が写っていた。
「ここに書いてあったんだが、昔はお遊びでテレビに一コマだけ全く関係ないシーンを写したりしてたらしいんだ。で、もしかしたら今もやってたりしないかな、って思ってどうせ暇だし最近のテレビ番組をパソコンに取り込んで細かく見てたんだよ」
「そんな事できる暇があるなんて、羨ましい限りだよ…」
「まあ、そんな事はどうでもいいんだ。こっからが問題だ。それを始めて一ヶ月は特に何もなかったんだが二ヶ月くらい経って、おかしいものが写るようになったんだ」
「ちょうど俺のテレビが壊れた辺りか」
「…相棒、運が良いんだな。まあいい、とりあえずこれを見てくれ」
そう言って俺にまたパソコンのモニターを向ける。そこには国営放送のニュースが写っていた。コマ送りなのでとても遅い。これを見せて何がしたいんだろうか?そう思っているとニュースの中で一瞬何か変なものが写った。
「あれ、今のって…」
「お、さすが相棒。気付いたか。そう、今の内閣総理大臣だ」
そう、確かに今一瞬写ったのは今の内閣総理大臣だった。確か前の選挙で圧倒的得票数をとっていて大きく報道されていたはずだ。「つまり、サブリミナル効果を使ったインチキを国がやってる訳か?」
「簡単に言えばそういう事だ。これ以外にもこの法案を通せとか色々酷いメッセージを入れてるんだ」
「でもこれ法律で禁止されてるんだろ。普通は出来ないはずじゃないのか?」
「相棒、よく考えてみようぜ。これをやってるのは国家権力だぜ。そんなの圧力をかければ一発なのさ」
「じゃあつまりこれって…」
「そう、国民は完全に国に支配されたんだ。俺達の考えた方法を悪用してな」
笠井は肩を落としてわざとらしく言う。
「これ、どうしようも無いのか?」
俺は答えが分かっていながらも思わず聞いてしまう。答えはもちろん
「ああ、無理だぜ」
――そう、ノーだ。なぜなら国民には国家権力に実際に対抗できる力なんて備わっているはずがないから。
「さて、相棒。この方法は悪用されたとはいえ、俺達の考えた方法だ。つまり俺達には一応対抗策を考える責任がある。相棒だって国の言いなりは嫌だろ?」
俺はその言葉を聞いて気が遠くなる。自分のクビを守るために考えた適当な方法に、いつの間にか自分のクビを国民全員に持ちかえて対抗しなければならない。しかも相手は国家権力。一体どうすれば…。
等は頭を抱えた。