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ARROGANT  作者: co
翌月曜日
75/194

 ホールの奥では僧侶が三人声を合わせて読経している。

 その左右に並べられた椅子に親族が座り、喪主とその家族は客席を向いて俯いて立っている。

 次々と流れ作業のように進んでいく焼香客に、流れ作業のようにお辞儀をしている。


 多くの座席の真ん中を貫く焼香に向かう列、朱鷺母の後ろに健介の手を引いた原田が並ぶ。

 大きなホールなので入場してすぐにはよく見えなかったのだが、焼香がさばけるにつれて列が短くなり大きな遺影に近づいた。

 遠くからぼんやり見えていたその顔がはっきり見えるようになった。

 はっきり見えるようになったのだが、見えるようになったものの印象はぼんやりしていた最初と全く変わらない。



 ただの爺さんだ。



 正直、何の感想も持てない。恐らくこの場を去った後には思い出せない顔。

 原田はそういう自分の反応に困っている。もう少しショックでも受けると思っていたのに。

 同じく健介も困っている。原田と同様、何も感じないからだ。いや、何も感じないのではなく、予想外の感想を抱いていて困っている。

 困った挙句に、健介は繋いでいる原田の手を引っ張った。


「どうした?」

「父さん。あの、あの写真のおじいさんって、」

「うん」

「あのおじいさんが、僕の、本当のお父さん?」

「多分な」

「……だって。おじいさんだよ?」

「昔はじいさんじゃなかったんだろ」

「だって、だって翼のおじいさんとか拓海のおじいさんよりおじいさんだよ?」

「あー……。そうか?」

 小声でそんな会話をしているうちに朱鷺母の順番が回ってきた。朱鷺母が数珠を持って焼香台に向かう。

 その横の焼香台が空いた。原田が健介の手を引いて向かう。

 朱鷺に借りた数珠を手に提げて、どうしたらいいの?と見上げる健介に焼香手順を実演してやる。

 唇を尖らせながら健介もそれを真似してまた原田を見上げ、原田が頷く。

 そして二人で手を合わせ、大きな遺影を正面から眺めた。



 やはりただの爺さんだった。



 遺影にお辞儀をして、僧侶にお辞儀をして、次に喪主に向かってお辞儀をした。

 そして朱鷺母に続いて、焼香台を後にした。

 焼香客はまだまだ後にも延々と続いている。振り向くとさっきの夜の蝶たちがハンカチを目に当てて並んでいた。その姿は真っ黒な場内に明るい彩のポイントになっている気がした。

 悪くないのかも知れない。きっと故人は喜んでいるんじゃないかと原田は思う。葬式が故人のためのものならば。

 と、原田はすでに他人事としてこの葬儀を観察し、遺影の記憶も手放した。




 ところで喪主は、朱鷺母と原田たちの姿に息を呑んでいた。

 焼香客に機械的にお辞儀をしていて全く他に注意を払っていなかったため気付くのが遅れたが、その姿が目に入り驚いた。

 昨日のあの救急車騒ぎがあったのだから、橘夫人が焼香に現れるとは思っていなかったのだ。しかもあの子供を連れて。故人の隠し子とされるあの子供を連れて。

 しかもあの子供の手を引いているあの大男は。


 そして、その原田たちの姿は喪主だけでなく周囲の多くの人間が注目していた。


 実は原田は、入場してからずっと注目されていた。いや、入場する前からぼちぼち気付かれていた。

 あのでかい男って。あの手を引いてる子供って。あれってもしかして。



 そんな視線に気付かずに、原田と健介は小声の内緒話を続けている。

「翼のお父さんって父さんよりおじさんなんだよ」

「俺よりおじさんって何だ?」

「うーんと、なんかね、いつも疲れてて太ってる」

「んー。それで?」

「だからね、そういうおじさんのおじいさんが翼のおじいさんだけど、さっきのおじいさんの方がおじいさんなんだよ」

「ん?」

「だから、父さんよりおじさんのおじいさんよりさっきのおじいさんの方がおじいさんなの」

「悪い。全然わからない」

「だからね。僕ね。ずっとお父さん若いねって言われてきてたの」

「ああ。俺か」

「うん。それなのにね、さっきのおじいさんがお父さんなのは、僕ね、」

「うん」

「やだな、って」

「んー」



 喪主は、大変無礼ながら焼香客への挨拶を他の家族に任せて脇のドアから抜けて橘家の社長夫人の元に走っていた。社長夫人と、例の隠し子の元に。

 その子供をどうするつもりか、我が家の相続に一悶着起こすつもりか、もし穏便に済ませる心づもりがあるのならその条件を今訊きたい。なんとか表沙汰にはしないで欲しい。

 そう頭の中で組み立てながら息を切らせてホールの出入り口で待つと、橘夫人を先頭に三人が出てきた。

 喪主が一歩踏み出すと、子供の声が聞こえた。



「あのおじいさんがお父さんなのは、嫌だ」

「うん」

「父さんが、父さんでいい?」

「うん」

「僕、父さんの子供でいい?」

「うん」

「僕、父さんから生まれたことにしていい?」

「お前、まだそんなこと言ってんの?」

「違うの?」

「違う。けどお前は俺の子供だ。ずっと前からこれからもずっと」

「うん」


 子供が頷いて続けた。




「僕、あのお父さんなら、いらない。あのお母さんもいらない」




 大男がため息をついて、子供の頭を片手で包んだ。

 子供の声が、また小さく聞こえた。




「父さんがいるから、いい」





「そうか。それならもうここには来ない」

「うん」

「帰ろう」

「うん。帰る」



「僕の家に、父さんの家に、帰る」





 喪主は、踏み出した足を戻した。


 昨日から世間を賑わせている事件の当事者が、それの印象通りに子供を大事に連れ帰る。

 それが義父の隠し子なのかどうか、どうやら当人たちにもどうでもいいことらしい。


 喪主は安心してその姿にまた目をやる。


 そして、立ち去る大男と小さな息子の後ろ姿に、深く頭を下げた。



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