4
夜中に目覚めて、真っ暗で、自分のベッドじゃない固いマットの上で、健介は身体を縮めて息を呑んだ。
それから、叫んだ。
助けて、助けて。
暗いのは怖い。もう嫌だ。もう嫌だ。助けて。
そんな言葉は頭の中にあるだけで口からはでない。
逃げればいいのに身体は動かない。
縮まり固まったまま健介は布団を被ったまま叫んでいた。叫んでいたつもりだった。
布団を被ったままだったから誰にもその声は届かない。
聞こえない朱鷺にも当然届いていない。
細く高く掠れたその声は、健介の耳にも何の力もなく響いていた。
布団の中の健介にだけ響いていた。
それだけが絶望的に響いていた。
あの時の絶望に引きずり込まれていく。
そして段々耳に聞こえる自分の叫びも消えていく。
その健介を、ふわりと温かい手が撫でた。
細い指が健介の癖毛をかき上げる。
固まって震えて泣いていた健介が目を開けた。
目を開けてもやはり暗い部屋の布団の中。
暗闇の中。
自分の声も消えて何の音もない。
だけどそんな繰り返される恐怖の中に、優しく触れてきた温かい手。
誰だろう。
この温かい手は。
父さん?
健介はその手が逃げないうちに、その身体が離れないうちに、急いで起き上がって抱きついた。
その身体は健介のベッドに腰掛けて、健介の頭を撫でている。
その身体は知ってる匂いがした。
父さんじゃない。秋ちゃんじゃない。
だけど知ってる。
この人は。
健介がその顔を思い出すと同時に、頭を撫でていた手がふと浮いて、指でトントンと軽く合図された。
それからその後、その指が頭をススっと左右に擦った。
ああ、と健介の胸がじわりと熱くなる。
それは手話で『どうしたの?』の意味。
朱鷺ちゃんだ。
朱鷺ちゃんだね。
健介は朱鷺にもっと強くしがみついた。
ごめんね。ごめんね。
僕は朱鷺ちゃんにひどいことを考えていた。
聞こえないことに甘えてるとか聞こえないことで得してるとか、そんなことを考えていた。
そんな僕を朱鷺ちゃんは走って助けにきてくれて、僕のせいで怪我までしたのに、それなのに、僕をもらうって、父さんに返さないって言った。
僕は本当にバカだ。
朱鷺ちゃんはずっとこうだったのに。僕はずっとこうして朱鷺ちゃんに大事にされてきてたのに。どうして気付かなかったんだろう。
耳が聞こえなくたって困ったことなんか一度もないのに。
今だってこうして僕は朱鷺ちゃんに助けられてるのに。
聞こえないなんてしゃべれないなんてどうでもいいことだったのに。
ごめんね、朱鷺ちゃん。
と、健介が感謝と罪悪感に塗れていつまでもしがみついて泣いている。
そして実は朱鷺は困っている。暗闇でしがみつかれて泣かれているのだ。理由を訊いても返事もないのだから、朱鷺じゃなくても困る。
再度健介の背中をポンポンと軽く叩いてみるが、反応なし。
ん~。困ったね。どうしようか?
とりあえず明かりをつけようと、どれがライトのボタンかわからないのでベッドボードに近づこうとすると、また健介に強くしがみつかれる。
なんだろうね?困った子だなぁ。
しょうがなく朱鷺はナースコールのボタンを押した。
懐中電灯を持って現れたナースは起きている朱鷺に気付いて室内灯を点け、朱鷺にしがみついて泣いている健介を見てこの部屋に出されていた指示を思い出し、あらあらまぁどうしましょうと慌てたが朱鷺の手話は通じないし健介は泣きじゃくっていて話にならない。
朱鷺はベッドのライトさえ点けばそれでよかったのだけれど、ナースは指示を忘れて消灯してしまったことを平謝りに謝って、もう消さないから泣き止んでねと健介にも謝り、立ち去った。
健介は依然泣き続けている。
困ったなぁ。
朱鷺は泣き続けている健介の頭を、指でくるくると撫でた。
そんなことをしていると、じきに健介がくすくすと笑いだした。
ああ、やっと泣き止んだ、と思ったら、そのまま健介の身体が重くなり、呼吸が深くなった。
えー……。寝ちゃった?こんな体勢で?
また朱鷺は困る。
起こしたらまた泣くだろうし、このままだと僕の脚が痺れる。
悩みながらも朱鷺は限界まで我慢して、脚が無くなった気がしたぐらいにそれを引き抜こうとして、健介を起こしてしまった。しかし明るい中で起きて、目の前にいるのが朱鷺だと分かった健介は、泣くこともなく朱鷺に手を伸ばして笑った。
その後は、寝たり起きたり笑ったり話したり。
朝になり食事が運ばれてきてそれを食べた後も話をしたりいねむりしたり。
二人ともゆっくりとは過ごしたのだが、十分な睡眠は取っていなかった。
寝たり起きたり笑ったり寝たりしていた。




