2
話がまとまりすぐにチェックアウトすることにして部屋を出てフロントに降りた。
原田がカードで決済してサインをする。
そして、伝票を渡しカードを返された瞬間に、フロントマンが小声で言った。
「お気になさらず」
原田は、フロントマンを凝視した。突然の慰めが理解できなかったからだ。するとフロントマンは微笑んで続けた。
「みなさん、わかってますから」
そんな言葉に原田は問う言葉すら思いつかない。
そんな具合に硬直している原田の腕を君島が掴み、引き摺って行った。
「今日タクシーが少ないらしくて急がないと掴まらなくなる。妙さんが先に行ったから急げ!」
そしてエントランスを抜けると、強引な朱鷺母はタクシーを2台調達していた。
原田がその一台に一人で乗り、鷹村邸に、と頼んでから朱鷺母に訊いた住所を運転手に伝えようとしたら、鷹村邸なら存じておりますと一言言われて車は発車した。
無口な運転手だった。後ろに乗る原田も無口なので、道中一言の会話もなかった。
沈黙したままタクシーは30分程で件の屋敷に到着し、料金を支払った後に自動でドアが開けられ原田が降りようとすると、ありがとうございました、と小さく礼を言った運転手が振り向いて、続けた。
「良かったですね」
原田は運転手を凝視したままタクシーを降り、口を開いて問う前にドアが閉められた。
茫然と走り去るタクシーを見送っていると、ポケットの中の携帯が鳴り出したのでとりあえず表示を見ると、朱鷺母。
『あのね、原田君。今日の入り待ち?昨日の5倍はいるから、あなたはムリよ』
「は?」
『来ない方がいいわね』
「え?」
『私と秋ちゃんで朱鷺と健介君を連れて出るから、昨日の裏口で拾ってもらえる?この後携帯の電源切るから時間決めておきましょうね』
「はぁ」
『11時に病院に来れるかしら?』
「あと1時間。道がよくわかりませんが」
『ナビがついてるわよ』
「はい。なんとかやってみます」
相変わらず強引な朱鷺母に押し切られ、原田は急いで鷹村邸の敷地に踏み込み、橘家のベンツを探した。
田舎のせいもあるがやたらと広い庭。来客用の広い駐車場もあり何台も駐車している。
その奥に、豪奢な日本家屋。大屋根の平屋。
なんだこの金持ち。原田はちらりとそう感じた。
上部階層を持たない、土地を有効利用しない贅沢。まるで根を下ろしているかのように土地に堂々と張り付いている大邸宅。
しかしその奥に、南欧風二階建て。これが単独で建っていたなら、または南欧風住宅街の一角を占めている物件だったら悪くはなかった。
これを寺か旅館のような日本家屋に並べる心地悪さに気付かなかったのだろうか。
そしてこれが、健介の恐らく生物学上の父親の家。
二つの建造物の対比に原田は寒々しい印象を抱く。同じ敷地に建ちながらも寄り添うつもりはないと主張しているデザイン。原田は建築士なのでつい家主の心情を値踏みしてしまう。
一見して金持ちだとアピールできればそれでいい。使い勝手や将来設計は視野外。母屋のコンセプトはそれだけだろう。離れは子供の世帯のためなのだろうか。やはり一見贅沢ではあるがこの統一性の無さは世帯の断絶しか表していない。そして母屋も建ててからはさほど手が入ってない。庭もそう。恐らく作った当時はちょうどよかったはずの庭木が育ち過ぎて密着している。
突然金持ちになりそれなりの家を建てたが、維持管理に気を回さず、つまりは家族を放置して、結果バラバラになり衰え始めている。
それが、健介の父親の建てた家であり、同じく健介の父親の姿。
原田はそう考えた。
この家に健介が入るスペースはないだろう。
健介は小さい子供だがこの家の中に居場所はない。
健介はこの家に馴染めないしこの家が健介を拒む。
原田はそう感じた。
それから、離れの洋館に目を向けた。
その掃出しの窓に貼られているダンボールが割れたガラスの穴を塞いでいるのを見て、つい吹き出した。
朱鷺母が庭の石で割った窓だ。
あそこに朱鷺が閉じ込められていた。
ということは健介もあそこに連れ込まれていたということだ。
あそこにいた健介を、朱鷺が迎えに行ったのだ。
ここに来て、実際に鷹村邸の現場を見て、それがどれほどの僥倖だったかと思い知る。
偶然。
幾重にも重なった偶然。
健介が奪われたことも不幸な偶然と原田の判断ミスが重なった結果だった。
そしてその後この鷹村邸に連れて来られて、そこに偶然朱鷺がいた。
また連れ去られたが健介が自力で逃げ出し、そして偶然高速が渋滞していて逃げ切れた。
誰かの采配のように重なった偶然。
実は健介は昔からそうだった。
偶然と幸運と僥倖が重なって原田の元で暮らすことになったのだ。
健介は昔からそういう子供だった。
原田は一度ため息をついた。
健介はやらない。
こんなところに置いていかない。
健介は、うちに連れて帰る。
そうだ。急ごう。
健介を迎えに行かないと。
原田は邸宅から目を背けて車を探し、見つけて乗り込んでエンジンを掛けてナビをセットして発進した。
一度も振り向かなかった。




