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「窓ガラスを割って部屋に入って、玄関に回ったら朱鷺の靴があるじゃない。あの時はもう、頭真っ白だったわ。呼んだって聞こえないのに大声で朱鷺を呼んで探して、一階から全部見回ってるうちに二階からうめき声が聞こえてね、慌てて階段駆け上がって部屋に入ったら鷹村の婿が倒れてて唸ってるの。朱鷺じゃないから放置して別の部屋を開けたら、朱鷺が倒れてたのよ。息があったけどどうしても目を覚まさなくて、すぐに救急車呼んだわ。
それを待っている間になぜか先に警察が来てね、婿になにかいろいろ訊いてるんだけど私はそれどころじゃないから全然聞いてなかったの。オヤジの息子とか脅迫とか、そんな言葉だけ耳についたんだけど、私はそれどころじゃなく朱鷺を抱えて救急車を待ってたの。
そうしたらね、鷹村の奥さんが、お経の時間をこんな騒ぎにされていい迷惑だって、窓割って家に入り込むなんて非常識だってわざわざ私に聞こえるように言うのよ。
私、その時に決めたの。この会社との取引を一切引き上げる。すぐに別の仕入れ先を探します。同業他社はいくらでもあるのよ。うちには何のデメリットもない。
会社のトップがこれほど判断力を持たないのなら、先はないわ。朱鷺のおかげではっきりわかった。
人の生命が危険にさらされている時に、おかしな常識やらお通夜の段取りやらを優先させるなんて」
原田と君島は依然、息を詰めて聞いている。
「私はそんな決意を固めていたんだけど、井口会長も呆れてたのね。奥さんを窘めてた。私を誰だか知らないのか、どんなに長い間の付き合いか、どれほどの割合の売り上げに貢献している会社か、なにより内通夜にまで駆けつけた客になんという応対だって。
なんだかね、目を覚まさない朱鷺抱いてそんな風に庇われて、涙が出そうだった。
その後慌てて謝ってきたんだけど、許さないわ。絶対許さない。金輪際朱鷺には関わらせない。私も会社もこことの付き合いは止めることにしたの」
ふ、と君島が笑った。
それを見て朱鷺母も微笑んだ。
「お母さんはすぐに仕事に私情を挟むって、いつも昴に言われるんだけどね。でも一度も私は判断誤ったことはないのよ。だって企業って人間だものね」
「そうですね」
原田が応えた。
「そうでしょ?原田君もそう思うわよね?」
朱鷺母は満足気に笑い、やっと前菜を平らげ、やっとスープとメインが並べられた。
「でも、すごいね。石で窓割って家に土足で踏み込んだんですね?普通に犯罪だよね?器物破損とか住居侵入とか」
つい前日健介の母親の部屋でほぼ同じことをした君島が笑いながら感嘆すると、朱鷺母は唇を尖らせて反論した。
「朱鷺の命とどっちが大事かってことよ。それで警察に逮捕されたって構わないわよ、私」
それを聞いて、二人は爆笑した。
原田は、この朱鷺の母を尊敬している。
企業経営者の娘であり妻であるため日頃は何事にも合理的で賢い女性なのに、朱鷺をこのように犯罪に手を染めることも厭わないほど溺愛している。末っ子の朱鷺のみ、あからさまに溺愛している。上の息子二人はそれを諦めているらしい。
それは間違いなく、朱鷺が障害を持って生まれたせい。
しかしこの母はそれを口にしないし、それを負い目に思わせないように朱鷺を育てた。
そういう強さを、原田は尊敬している。
「だからね、健介君が鷹村と関わりを持つと、また朱鷺まで関わっちゃうかも知れないじゃない?だから相続放棄しなさい。どうせ負債しかないから」
やっぱり朱鷺最優先か。と、原田は笑った。
そして、親っていうのはこれでいいんだな、と安心する。
今後自分は健介の父親として自覚を持っていかなければならないけど、朱鷺母を見習えばいい。
健介最優先。プラス、自分の想いもそこそこ汲む。自分と健介最優先でいいかな。法ぐらい適当に背いても。
そう考え俯いて笑んでいる原田に、朱鷺母が再度訊いた。
「それで?健介君に一体何があったの?」
んー……。まだ全然まとまっていないのですが、と原田がまた沈黙しているうちに朱鷺母が続ける。
「大和の話じゃ、今朝誘拐されて?鷹村の屋敷に連れて来られて?朱鷺に会ったのね?その後の鷹村の婿の話だと会長の隠し子を連れた犯人が遺産要求してきたってことだから、その隠し子って言うのが健介君?と思ったんだけど?」
「その通りです。それで正解です」
かなり省略されているが日付以外は概ね間違ってはいないので肯定する。
「……会長の隠し子なの?」
「さぁ……?」
「ありえなくはないけどねぇ…。家に帰らない会長だったし」
「そうなんですか」
「そう。いろいろと噂はある会長だった。脇が甘いのね。案外隠し子は健介君だけじゃないかも知れないわ」
原田はつい笑った。
健介に兄弟がいるかも知れないという可能性はちょっと面白かった。
しかし健介には伝えない。
健介には、面白い話ではないだろうから。
「でも、どうなの?ちゃんと鷹村さんと親子関係をはっきりさせたいと思ってるの?原田君は」
「いえ。俺は必要ないと思ってます。健介がどう思っているかはわかりませんけど」
「知りたいわけないじゃん!」
酔っぱらった君島が、舌っ足らずな口調で断言する。
「健介が知りたいとしたら、君の息子だっていう根拠を知りたいだけさ!」
「何言ってんだよ?お前」
「だって君と健介は親子なんだろ?その証拠が欲しいさ!健介は!」
原田はうんざりと天井を見上げた。
「ああ、秋ちゃん、酒癖悪かったわね?」
朱鷺母が今頃思い出した。
原田が天井を見上げたまま、呟いた。
「そうですよ。この後一晩中、ひどいことになるんです」




