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翌朝健介が起きると、すでに君島の姿はなかった。
婚約者持ちのカノジョの独身最後の思い出作りにハワイ婚前旅行へ同行。
そして健介はこの家に、父と二人きり。
夕べあの後、君島と一緒にご飯を食べに階下には降りた。
父とも多少言葉は交わした。
ただ、健介のわだかまりは消えてはいない。
父はネコと朱鷺の方が好きだ。
その疑惑は消えていない。
わだかまったまま、登校時間になった。
「行ってきます」
「車に気をつけろよ」
いつもの父の言葉を背中に聞いて、健介は玄関を出た。
いつもの集合場所である翼のマンションの前に、いつものように一緒に登校する児童が集まっていた。全員丸くなって話に夢中になっている。
健介が、おはよーと声を掛けると、全員が一斉に健介を振り向いた。
全員が、驚いたようにびくりと健介を振り向いた。
「何?」
その様子に健介が驚いてそう訊くと、集団を抜け出して拓海が難しい顔をしたまま健介の目の前に立って言った。
「健介、お前お母さん死んだって言ってなかったか?」
そんなことを突然訊かれて、健介は首を傾げてから頷いた。
「昨日健介のお母さんが健介探しにきたぞ」
「え?」
「なぁ。サッカーの帰りにな」
拓海が後ろの集団を振り向いて同意を求め、翼を含む数人が頷いた。
そして拓海がまた健介を見据えて続けた。
「明らかにお前のお母さんがさ、健介って名前の4年か5年の友達いないかって、明らかにお前探してた」
健介はまだよくわからず、拓海に問う。
「明らかに僕のお母さんって、何でだよ?」
「お前にそっくりだったし、だって健介探してるんだからそうだろ?」
「だって、」
健介は首を振った。
「だって、僕のお母さんは火事で死んだんだよ」
「見たのかよ?」
子供は残酷だ。
「健介君、そういうことってよくあるのよ。離婚した相手を死んだことにして子供に隠すのよ。会わせたくないから」
隣のクラスの美少女杏ちゃんが健介に忠告する。
「だけど、そんな大人の都合で子供が振り回されるなんて、許されないわよ。健介君、お母さんに会うべきよ」
健介はまだよく理解できずにいる。
「今日もお前のお母さん、グラウンドに来るって言ってたからお前も来いよ」
拓海がそう言った。
「泣いてたよ。友達に4年の健介がいるって教えたら。ずっと探してたって言ってたよ」
拓海がそう言った。
そして放課後、言われるままにサッカーチームの集う公園のグラウンドに向かい、ベンチの一つに座る女性を見た。
拓海がその人に手を振り、健介連れて来ましたー!と大声をあげると、女性が立ち上がった。
女性は、立ち上がって子供の集団に向かって歩き出し、健介の顔が見えると走り出した。
「健介!」
そっくりな、健介にそっくりな、目尻の下がった大きな茶色の目。小さなぷっくりした唇。薄く尖った鼻筋。
明らかにお前のお母さんと拓海は言った。
そしてその女性が、まっすぐ駆けてきて健介を抱き締めて、その名前を呼んだ。
小柄な女性に抱き締められて、健介は動けなかった。
やっと見つけた!ずっと探してたの!ずっと探してた!健介!
泣きながら何度もそう繰り返す女性に抱き締められて、その身体を押し返すこともできず、健介は女性の体温に包まれている。
それが、初めてではないような気が、していた。
懐かしいような気がしていた。
知っている体温と匂いだと思った。
だから混乱した。
死んだはずなのに。
いないはずなのに。
生きてるなんて考えたこともなかったのに。
初めからいなかったから、お母さんが欲しいと思ったこともなかったのに。
それなのに
どうしてこんなに懐かしいんだろう。
どうして僕は、泣いてるんだろう。
どうして知らなかったんだろう。
僕は、
こんなにお母さんに会いたかった。