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二階に駆け上がり自分の部屋のベッドに放り投げてあった黒のダウンジャケットを掴み、原田はまた階段を駆け下りる。その間に電話で社長におおまかな事情を説明した。
「実は健介が誘拐されて、ついさっき朱鷺の電話で健介が俺の携帯に掛けてきたんですが二三話した後に急に途切れてそれっきりなので、社長に朱鷺の居場所を訊きました。もしかしたら朱鷺にも何かあったかも知れない。俺はこれから白沢に向かいますが、社長はできたら妙さんに連絡つけてください」
『は?』
相変わらず不親切な説明を一方的に告げて通話を切り、原田は子機を充電台に戻して携帯を掴んだ。
どちらかは自宅に待機しろと私服の刑事に頼まれたが、原田も君島も嫌だと断った。
行方がわかったのなら待ってなどいられない。
パトカーと覆面の計三台で向かうことになった。
白沢市まで高速飛ばして片道2時間。そこから屋敷まで1時間掛かるとして7時には着くだろうか。
それまでに隣県の県警が捜査に入って何もかも解決すればいい。
朱鷺と健介がそこで無事に待っていればいい。
原田は、暴走する車のリアシートで腕組みをして座り、俯いていた。
君島はその横で窓から外を見ていた。
「……雪が降りそうだ」
健介は上着も着ていないのに。
それでなくても熱があるのに。
誰か助けてくれ。
原田は空を見る勇気も持てずにそう祈る。
また車の後ろに乗せられ、来た道を戻る。
健介は疲れ果てていて、シートに横になっていた。
お母さんと男の話し声が聞こえている。
「100万とはな。安い子供だな、こいつ」
「大金じゃん!それもらって健介置いてくればよかったのに」
「アホか。会長の実子だぞ?何千万もらったっておかしくねぇんだ。あの規模の会社だと億かもな」
「そうなの?この子できた時に手切れ金で500万もらったけど、もっともらえたのかな?」
「足元見られたんだな。しかしこいつがいればいくらでも取れるさ」
「そっか。堕ろさなくてよかった」
「そうだな。しかも見つかってよかったよ」
「でしょー。ホントにラッキーだった!神様っているよね!」
ぼんやりしている健介には全然意味がわからない。
考えていたのは、朱鷺のことだけ。
助けに来てくれた朱鷺が自分のせいで犠牲になった。
自責の念から抜け出せない。
ごめんね、朱鷺ちゃん。
ごめんね。
高速を爆走しているパトカーの助手席に座る刑事の携帯が鳴った。
「はい。宮下。鷹村邸の捜索が。はい。怪我人、二名」
刑事がそう応対しながら、後ろの原田と君島を振り向いた。
「救急車で搬送。鷹村の、息子の現社長と、弔問客の男。橘という名の」
二人は息を止めて、その続きを待った。
「子供はいない。中年の男女が連れ去った」
「……え……」
「その三人連れで現れて、車で立ち去った」
二人は、絶句した。
その後刑事は相手からしばらく報告を受けて電話を切って、二人に言った。
「しかしもう周囲に検問配備しますから、車もわかってますし、大丈夫ですよ。包囲したようなものです」
そんな刑事の慰めにも二人は反応しなかったが、続いた言葉で顔を上げた。
「それに、健介君の生命に、危険はないと思われます。容疑者の目的は、遺産です」
「……遺産?」
「健介君は鷹村会長の子供だと、容疑者が夫人と社長を脅したそうです」
「は?」
「会長は亡くなったばかりですから、遺産分配はこれからです。それに乗り込みたいのでしょう」
「何を、」
「言葉は悪いですが容疑者にとって健介君は大事な脅迫材料ですから、命は保証されていると言ってもいいです」
脅迫材料。
遺産。
金。
最初からその目的で健介を連れて行ったのか?
母親が?
本当の母親が?
健介を産んで捨てて探した母親が?
そこでやっと原田も理解した。
この母親のやっていることは、最初から筋が通っていたのだ。
健介は、子供は、ただの「物」だ。
ただの動く「物」だ。
邪魔になれば捨てるし金になると分かれば探して利用する。
世の中にそういう人間や母親がいることは知識としては持っていた。
しかしそれはただの知識でしかなく対処法など考えたこともない。出会うはずのない人種だったから。
健介の母親がその人種だった。
そしてその利用対象が健介だった。
そんな相手に、原田は健介を渡してしまったのだ。
「あの、さっきの、救急搬送された橘朱鷺の容体は?」
君島が訊いた。
「ああ、弔問客の。彼はまだ意識が戻らないそうです」
会長の遺産。
たかがそんなもののために、健介と朱鷺をこんな目に。
原田は深く深く俯く。
暗くなった空から、とうとう雪が降り始めた。




