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ARROGANT  作者: co
土曜日
45/194

19

 暗闇が怖くて、そこに漂うタバコの臭いが怖くて、そこで響く大きな音が怖い。


 その健介の不可解な癖の原因は、


 全部、押入れの中の体験だった。


 赤ん坊の時に何度も何度も繰り返し同じ恐怖を味わったのだ。

 そんな体験の記憶がない今でも、恐怖だけを覚えている。



 こんなことがあるなんて。

 頭が忘れた恐怖を体が覚えているなんて。



 健介は、やっと痛みが去ってきた腹を抱えながら、考える。



 火を押し付けられたんだ。

 皮膚を焼かれる痛みを体が覚えているなら、なおさらタバコなんか。

 タバコなんか怖くて堪らないはずなのに。


 それなのに僕は、父さんのタバコを許した。


 どうしてだろう。

 どうして父さんのタバコは怖くないんだろう。


 小さく丸く身体を固めて、呼吸を整える。



 きっと父さんが、そうやって僕のいろんなことを、治してくれる。

 父さんのところに戻れば怖くない。


 帰りたい。




「……帰して」




 健介の呟きに、お母さんが慌てて応えた。


「あ、あら!起きてたの!そ!これから家に帰るからね!」

「……僕の、家は、」

「本当の家!楽しみでしょ!」

「僕の家に、帰して」

「だからこれから行くったら!」



「戻してよ!僕を捨てたお母さんなんかと、どこにも行かない!」



 そう叫んだ後、健介の身体がふわりと浮いた。

 同時に高い金属音が聞こえた。

 お母さんが短い悲鳴を上げた。

 直後、浮いた身体をフロントシートに強く打ち付けられた。




「お母さんに向かってそういう口を利くようなバカ息子は、お仕置きだな?」




 運転席のシートの横から顔を出した黒い男が、笑いながら健介のパーカーのフードを掴みあげた。

 周囲の車が一斉にクラクションを鳴らし、バイパスのど真ん中で急停止したこの車に抗議している。

 男は気にすることもなくリアシートから落ちている健介の身体を引き上げて、運転席に引き摺り、ドアを開けた。



「お仕置きの定番だ。物置に閉じ込めますよ!」



 男は、運転席から健介を引き摺ったまま降りて、開けたトランクに健介を放り込んで、閉めた。


 後ろの何台かの車から、それを見ている人がいた。


 しかし誰も止められないまま、車は動きだしバイパスを降り走り去った。




 息もできないほどの恐怖。


 暗闇。

 ただでさえ怖い暗闇。

 そして轟音。

 そして絶え間なく跳ねる床面。

 そして狭い。寒い。

 閉じ込められた。


 夢だ。

 夢だ。

 夢だ。



 誰か、助けて。



 健介は声も立てずに丸く蹲って震えていた。

 トランクの中で膝に頭をつけて両手で耳を塞いで目を閉じて、小さく固くなっていた。


 怖くて怖くて怖くて、

 家に帰りたいと言う希望を忘れた。



 何も望まないから、


 この恐怖だけを、


 取り去って。


 何もいらないから。




 しばらくして車が止まり、二つのドアが開いて閉まる音が聞こえた。

 二つの足音が遠ざかる音が聞こえた。



 恐怖に打ちのめされている健介は、これ以上絶望することが怖かった。



 ここで声を上げて、救いを求めて、応えられないことを知るのが怖かった。




 健介はトランクの中で丸く蹲り、震えながら長い夜を越えた。

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