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「今日、学校に、朱鷺ちゃんみたいに聞こえないおじさんが来たけど、しゃべってたよ!全然聞こえなくても努力すればしゃべれるんだよ!」
「で」
「……だ、だから、朱鷺ちゃんだって努力してれば、まわりがみんな、協力してればしゃべれたんだよ!」
「それが、必要か?」
「しゃべれた方がいいに決まってる!」
「誰が決めた」
父の冷たい視線に、健介は息を止めた。
「おじさんは自分でしゃべることに決めて努力したんだろう。それはすごいことだろうけど、朱鷺は努力したくなくてしゃべらないんじゃない。自分でしゃべらないことに決めたんだ。それだけのことだ」
「なんで、なんでそんなこと、みんな許すの?なんでみんな朱鷺ちゃんに甘いの?」
「許す?誰の許可がいるんだ?」
「許可とかじゃないよ!なんで努力しないのさ!」
尚一層、父の目が冷えた。
「お前がそんなこと言うとはな。間違っても朱鷺にはそんなこと言うなよ」
「なんで……!なんで父さんもそんなに朱鷺ちゃんに甘いのさ!」
そして健介は氷点下の視線を浴びた。
「そうだな。朱鷺とはお前より付き合いが長いからな」
まるで、氷の剣で斬り捨てられたような気がして、健介は茫然と立ちすくんだ。
晩ご飯も食べずに真っ暗な部屋でベッドに潜りこんでいる健介を、帰ってきた君島が襲撃した。
「健介―――っ!」
「いた――――いっ!!!!!」
いきなり布団に潜りこみ、的確に健介の身体を押さえ込んで足に関節技を掛けた。
「ご飯も食べてないんだってー?」
「痛いってば!」
次に健介の身体をうつ伏せに反して、腕を決めた。
「こんな真っ暗だし布団に入ってるなんて、泣いてるのー?」
「痛い痛い!まいった!」
「泣いてる?」
「泣いてない!」
「そうなの?ホントに?」
「いた―――い!泣いてるっ!」
「はい、OK!」
やっと健介の身体を解放して、君島が部屋の電気をつけた。
「あ、なんだ。本当に泣いてるんじゃん」
「違うよ!今の技が痛くて泣いたんだ!」
「嘘だよね。マブタが腫れてるよ」
君島がにっこり微笑んだ。
小さく白い卵型の顔に、長く濃い睫毛に縁取られた茶色い大きな瞳。
唇も色を乗せているように桃色。気が強そうに少し上がり気味の眉毛もチャーミング。
茶掛かった髪の毛は何の手入れもしていないから適当にはねているのだけれど、そんな美女顔のためにまるでデザインされたスタイルのように似合っている。
そんな美女顔で小柄で服からはみ出る関節部が細いので、君島は華奢な女子にしか見えない。
しかし実は脱げば筋骨隆々。幼い頃から少林寺拳法を嗜み、現在は師範。
格闘技全般を好み、関節技は多く習得している。
ただし本職は看護師。
「なんで泣いてんの?振られたの?」
「そんなことじゃないよ」
「じゃ、どんなことよ?言わないと腕ひしぎ逆十字掛けるよ」
「なんでさ!」
「ほら」
「あ―――っ!言う!あの、朱鷺ちゃんが!」
「朱鷺ちゃん?」
「朱鷺ちゃんが、しゃべらないから、」
「は?」
「努力したら、しゃべれるのに、しなかったって父さんに言ったの」
「あららら」
「そしたら父さんが、」
健介の目から涙が零れた。
「父さんが、僕より朱鷺ちゃんの方が付き合いが長いから、朱鷺ちゃんに甘いんだって」
「えー。浩一がそんなこと言ったの?」
「言ったの……」
健介がさめざめと泣いている。
「てかまぁ、健介が逆鱗に触れたよね」
「逆鱗?」
「朱鷺ちゃんの耳のことはね。結構浩一の逆鱗なんだよね」
「逆鱗て何?息子より大事ってこと?」
君島が吹き出した。
「いや、息子より大事だとは思ってないよ!浩一はお前が一番大事だから!それで泣いてたのか!うはは!バカだなぁ!」
君島が腹を抱えて笑った。