12
両手で健介の頬を挟んだまま、君島はダイニングに続くドアを振り向いた。
少し開いた隙間から、落ちたカップを拾う原田の影が見える。
それに向かって、浩一、と声を掛けた。
「聞いてたんだろ。入ってこいよ」
しばらく間を置いて、原田がドアを開けた。
「健介が言ってたこと、聞いただろ?何か言えよ」
君島が原田を睨んでそう言った。
原田は二人を見たまま口を開かない。
「こんなだぞ?健介。こんなことすら口にもできないんだぞ?」
君島はまた健介に目を戻し、頬を挟む両手に力を入れて健介の唇をクチバシのように尖らせた。
「何すんの、秋ちゃん!」
「ヤケドって言葉すら怖がってるようなヤツだよ」
君島が笑った。
「浩一にそんなこと、できるわけないだろ?」
「だって、あるんだよ!僕の身体に、」
健介が頬を押さえる君島の手を掴む。
「痕が残ってるんだもん!」
「知ってるよ」
健介の叫びに君島があっさり答えた。
「知ってる。前はもっと濃かった。これでずいぶん薄くなったんだよ」
健介が、掴んでいる君島の手を強く握った。
「知ってた……なんて!じゃ、父さんが僕に、」
「初めからあった」
「僕の、」
続けようとした言葉を呑み込み、まだ君島に頬を挟まれたまま、健介はその目を見上げた。
君島は笑みを浮かべたまま続けた。
「初めからあった。たった二歳のお前の身体に、可哀想なぐらいたくさん散らばっていた」
言葉の意味が、頭に沁みこまない。
「寒そうだったお前をお風呂に入れようとして、服を脱がせて浩一は驚いたんだ」
健介は掴まれている顔を振ろうとする。
嘘。
「お前のヤケドを一番心配したのは浩一だよ。いろいろな軟膏試したり、食べ物を調べたり」
嘘。嘘。
振ろうとする顔を押さえられて健介は目を閉じる。
その瞼の裏に蘇る今朝の光景。
空き缶の上の吸殻についていた、紅。
「たった二歳の子供の薄い皮膚に、たばこを押し付けたのはあのお母さんだ」
嘘。
何もかも嘘。
僕の体に残った印すら、嘘。
でも、そうだよね。それならわかる。その方がなんとなく、わかる。
父さんにそんなことができるはずがないと思った。
だからこそショックだった。
だから違うって言葉の方が、わかる。
泣いてばかりで、何も教えてくれないお母さんが、部屋で僕を待っててくれないお母さんが、黒い男と寝るために僕をバスルームに閉じ込めたお母さんが、
それをやったと言われる方が、わかる。
父さんのはずはなかった。
それはなんだか、嬉しい。
父さんのはずはなかった。
僕みたいな邪魔な子供にでも父さんがそんなことをするはずがない。
僕は邪魔でやっかいで嘘だらけの子供だけど。
父さんがそんなことするはずがない。
健介は頭を振ろうとした。
力を込めても頭を動かせない。
君島に押さえられていて動かせない。
僕には力がない。
僕には何もない。
力も名前も父さんもない。
邪魔でうるさくて汚い子供だったのに、ごめんなさい。
やけどだらけの僕を、世話させてごめんなさい。
そんなことも忘れて文句言ってごめんなさい。
お母さんのところに、帰るね。
ごめんなさい。
健介が笑ったので、君島は油断して顔を挟んでいた両手から力を抜いた。
その間から抜けた健介は、深々を頭を下げた。
「ごめんなさい。お世話になりました」
「健介!」
怒鳴る君島を無視して、健介は原田を見上げて訊いた。
「父さん、さっきの大根と魚の、明日お母さんに持って帰っていい?」
原田は、わずかに首肯した。
健介が笑って礼を言った。
「ありがと」
「ばかっ!」
君島が叫んで額を押さえて天井を仰いだ。
どうしたらいいんだ?
もちろん健介は渡さない。
浩一がどんな甘いこと考えていようと、強硬手段を取ってでも渡さない。
だけど、
健介の意志がなければ無意味だ。
よほど二歳の時の方が正直だった。
どうする?
どうする?
君島が頭を掻きながら考えていると、
ふと顔を上げた健介が、呟いた。
「マックスは?」
君島が閉じていた目を開いた。




