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ごちそうさま、と食事を終えると、君島が微笑んで健介をリビングに誘った。
ダイニングを出る時に君島は振り向き、原田に言った。
「君は来るなよ」
君島はそう言ってドアを閉めた。
来るなと言われてもリビングはそのドアの向こうだ。
それを少し開けておくだけで声も聞こえる。
君島が原田を信用していない以上に原田は君島を信用していない。
原田もすぐに立ち上がり、ドアをわずかに開いた。
健介はソファに座ってテレビのリモコンを押している。
よくわからないバラエティしかやっていない。
つまんないなぁと唇を尖らせる健介の横に君島が座る。
「健介」
健介がちらりと横の君島を見上げる。
多分、きっと、これから言い訳するんだね。
お母さんのことを隠してた言い訳があるんだね。
健介はテレビを消して、また君島を見上げた。
「えーとね。何から、言えばいいのか、まだ整理できてないんだけど、」
君島がそう言って、目をくるりと上に回した。
健介は少し怒りを燻らせる。
「本当は15歳になったら、説明するつもりだった」
「……15!そんなに先?そんなに、そんなにずっと僕を騙すつもりだったの?!」
「ん。事情があってね」
「僕が子供だから?言ってもわからないと思ったの?」
「いや、わからない、というか、わからない方がよかったというか」
「何言ってんの?ずっとずっと、お母さんのこと隠すつもりだったの?だってそんなの無理だよ!」
君島の歯切れが悪いせいで健介の声が大きくなる。
一度大きく息を吐いて、君島は健介をじっと見据えて、まず告げた。
「お前はね、浩一の子供じゃないんだ」
お腹の中で燃えかけていた怒りが、君島の意味のわからない言葉で鎮火した。
「あのお母さんの子供ではあるようだ。確かによく似てた。それに浩一が確認したらしいしね」
「昔、浩一の住んでたアパートの自転車小屋に、お前がいたんだ」
「8年前の11月、今日より寒いみぞれの降る夜に、お前は肌着一つで自転車小屋で震えていた」
「もちろんすぐにね、警察に連れて行った。お前は浩一に、パパ、パパって泣いて追い縋ったらしいよ」
「それからがすごかった。なんでかお前はね、浩一の仕事の現場に何度も現れたんだよ。泣いて浩一を追い回したんだよ」
「お前は施設にいたんだけど、とにかく誰にも口をきかないし暴れて喚いて手の付けられない子供だった。どうしてか浩一だけがお前を宥められた」
「施設で持て余されて、浩一が引き取るしかなかった」
「そういう理由で、あちこちでもらった特例と例外って言葉を積み重ねて、お前はここにいるんだ」
君島の言っていることが、健介には全然わからない。
「15で説明しようと思ったのは、その年にお前が浩一の戸籍に入れるからだ」
「……戸籍?」
「うん」
君島がまた躊躇ってから、続けた。
「お前と浩一は、血も繋がってないし、籍も違う」
「籍って……」
「うん。お前を引き取る時に、どうしても養子縁組はできなかった。大学出たばっかりの独身男だからね。普通に無理だ。里親だってまともに考えれば無理だった。ただ浩一が急遽この家買って資産のある証明をして、看護師の僕が同居してお前の世話ができる保証をして、何よりお前がよそで暮らせないって証明をしてたからね。
身体はたくさんの条件付きで引き取ることができた。ただ、名前だけは、無理だった」
「名前?」
「そう。お前は浩一の籍に入ってないから、実は原田じゃないんだ」
「……え?」
「お前はね、山崎って苗字なんだ」
あ……
「それって、前に住んでた人の名前って、」
「ずいぶん根回しして、保育園や学校ではお前を原田って呼ばせてたんだけど、全部は難しかった」
「山崎……?じゃ、僕、山崎、健介?」
君島が、また躊躇った。
そして、首を振った。
「実は、健介じゃない」
健介は息を止めた。
「お前は浩一にしか口をきかなかったって言っただろ?みんなお前はまだ言葉を知らないと思ってた。だから誰かがお前に名前を付けた。その後にお前が浩一に自分の名前を名乗ったんだよ。自分は健介だって、お前が名乗った。そして実際、健介って呼ばないと反応しなかった。
だけど僕はあの時に、その名前は捨てた方がいいと思った。名前を変えることは難しいからね。小さいうちから慣れさせればなんとかなるって言ったのに、浩一が反対した」
何もかもわからない。
父さんの子供じゃない。
原田じゃない。
原田健介じゃない。
それは、僕じゃない。
誰?
「浩一が、健介って呼ぶことにしたんだ。お前のたった一つの持ち物だからって。ほんっとに甘いだろ?だからこんなことになるんだ。
お前をね、健介って呼ぶことが、母親の証明になってしまったんだよ。だって健介って名前を付けたのはあの母親なんだから。だってお前は、お前の戸籍上の名前は、健介じゃないんだ」
健介は首を振った。
怖い。
知りたくない。
「お前の名前はね、原田健介じゃないんだ」
聞きたくない。
「山崎、まことって言うんだ」
健介は両手で目を覆い、顔を膝に伏せた。




