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ずっと待っていた救いの手なのに、健介は動けない。
あまりに突然で信じられなかった。
君島が日本にいるはずがない。
それに、
さっきのマックスのように、消えてしまうと思った。
追えば逃げると思った。
マックスのように、バイクのように、追えば逃げると思った。
逃げられれば追いつけない。
それならせめて、ずっとそこにいて。
車のライトを背に浴びて真っ黒な君島を見たまま、健介は立ち竦んでいた。
「健介!なんでこんな所にいるんだ!僕今日帰ってくるって言ってたよ!」
君島の声の黒い影が健介に近づく。
逃げないで、秋ちゃん。健介はそう呟く。
「寒いし暗いし、さいてーだね!こんなとこでかくれんぼか!」
黒い影が大きくなる。
消えないで、秋ちゃん。健介は呟く。
「なんだ、それ?」
君島が声を一つ低くして、健介に訊いた。
もう目の前にいて、君島の姿がヘッドライトを遮る。
だから、君島の姿が、顔が、見えた。
「なんて恰好なんだ?転んだの?それに、顔」
君島が腰を曲げて、健介の頬に触れた。
「殴られたのか?」
君島の温かい指が健介の頬を撫でた。
そして健介の頭に、一瞬で何もかもが蘇った。
黒い男に顔を殴られたこと
お母さんにバスルームに放置されたこと
よくわからない父さんの記憶
行為の残骸を見せられたこと
落ちたジッポ
走り去ったバイク
転んですりむいた手と膝
怒鳴るドライバーの声
おばあさんに切られた通話
逃げたマックス
星のない空を見上げる絶望
「誰が殴ったんだ?」
笑っていた君島の目が、一瞬で形を変えた。
凶悪な三角になった。
そんな目を、僕のためにしてくれるの?
健介の身体から力が抜ける。
誰も探してくれないと思ってた。
もう誰にも会えないと思った。
寒くて暗い中に、一人きり。
「顔の痣と、膝?手がひどいよ。あれ?健介。熱があるな?」
君島が健介の頭を撫でて、押さえて、身体を抱いた。
「こんな恰好でこんな時間まで外にいるからだ。風邪ひいたんだろ?」
君島の熱い身体に抱かれた。
触れると君島のいつもの熱くて硬くてガチガチの筋肉。
その熱い手が触れる部分が溶けるようだ。
冷え切った身体が、だんだん溶けてくる。
「家に帰ろう」
君島のその言葉で、身体の全てが溶けた。
凍っていた涙も溶けて溢れた。
嬉しくて悲しくて震えてくる。
「もう、違うの。帰るところが、違うの」
泣いているから途切れる言葉。
君島のお腹に吸い込まれる。
「僕、お母さんのところに、」
「お母さん今いないよ。今日は戻らないらしいよ」
君島の言葉に健介は顔を上げた。
「さっき会った。今日は健介預かってくれって言われた」
ふわりと健介の表情から強張りが落ちた。
「お土産があるよ」
にやりと君島が笑った。
「また、エッチなの?」
健介も涙を拭いて笑った。
今日初めて笑った気がする。
吐いた白い息をちらりと目で追って、ヘッドライトに照らされる長身に気付いた。
びくりと健介の身体に力が入る。
「あ、あの」
また健介に震えが戻る。
「あのね、父さん」
君島の上着を両手で掴んだまま、健介は君島の後ろにいる父を見上げて言った。
「あのね、コンビニでね、拾ったの」
そう言ってから健介はブルゾンのポケットを探り、バンツのポケットを叩き、シャツのポケットにもそれがないことに気付いた。
「あっ……さっきまであったの。ジッポ拾って、それで、父さんにあげようと思って、」
落とした。
健介の目からまた涙が溢れた。
「ジッポあげようと思って、だから父さんの家に行こうと思って、」
君島が健介の頭を強く抱きかかえた。
「家に帰ろうとして道に迷ったんだ?バカだなぁ」
「だって、バイクが、」
「帰ろう。冷えすぎだよ、健介」
「ジッポが、」
また君島のお腹に涙が吸い込まれる。
君島に抱えられて、健介の身体はずいぶん温かくなっていた。
健介を後部座席に先に乗せてから、君島が原田に小さく低く言った。
「後で絶対、殴るからな」




